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| 美尾 敦 |
| 名前 |
| カタカナ |
ミオ アツシ |
| ラテン文字 |
MIO Atsushi |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1983年1月26日 |
| 出身地 |
神奈川県 |
| 身長 |
170cm |
| 体重 |
60kg |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
ヴァンフォーレ甲府 |
| ポジション |
MF |
| 背番号 |
8 |
| 利き足 |
左足 |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
美尾 敦(みお あつし、1983年1月26日 - )は、ヴァンフォーレ甲府所属のプロサッカー選手。ポジションはMF、神奈川県横浜市出身。
[編集] 所属クラブ
[編集] 略歴
1年間在籍した甲府時代は高卒のルーキーながらリーグ戦33試合に出場しており、当時まだJ2の弱小チームだった甲府を支えた。京都に移籍してからの2年半はほとんど出場機会がなかったが、2004年シーズン中に西村昭宏監督が解任され、柱谷幸一監督が就任すると、まさに一変。まず柱谷監督最初の采配となった大宮アルディージャ戦で崔龍洙の決勝ゴールをアシスト。続くサガン鳥栖戦ではスコアレスで試合が進む中、終了間際に立て続けに2ゴールを決め、チームを勝利に導いた。この2試合は途中出場であった。ポジションの重なる松井大輔がオリンピック代表や海外移籍のためスタメンの座も手に入れた。また、この時期に京都に移籍した三上卓哉との左サイドでの連携も京都の武器となった。この年、J2では5位と不本意な成績に終えた京都にとっての数少ない明るい話題であった。以降、京都では主力として活躍している。ただ、2006年シーズンはJ1初ゴールも記録したが、控えに回ることが多かった。そして2008年に7季ぶりの甲府復帰になる。
[編集] エピソード
- 明石家さんまを髣髴とさせるほどのかなりの「出っ歯」。本人も「歯」を強調したコミカルなポーズを京都の公式サイトの写真で披露したりしている。また、京都の応援番組である「サンガ@LOVE」(KBS京都)に出演した際、自身の「宝物」を披露するコーナーで、寄せ書きのメッセージが多数書かれたユニフォームを持参したが、その中のメッセージには「さんまを越えろ!」というメッセージが大きな文字で書かれていた。
- 「サッカーを楽しむ」をモットーにしており、インタビュー等でしばしば口にする。
- 小原章吾とは神奈川県立岡津高校の同期生である。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 2001年 |
甲府 |
13 |
J2 |
33 |
2 |
0 |
0 |
2 |
0 |
35 |
2 |
| 2002年 |
京都 |
13 |
J1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
| 2003年 |
京都 |
13 |
J1 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
| 2004年 |
京都 |
19 |
J2 |
28 |
6 |
- |
2 |
1 |
30 |
7 |
| 2005年 |
京都 |
8 |
J2 |
39 |
3 |
- |
2 |
0 |
41 |
3 |
| 2006年 |
京都 |
8 |
J1 |
20 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
22 |
1 |
| 2007年 |
京都 |
8 |
J2 |
5 |
0 |
- |
1 |
0 |
6 |
0 |
| 2008年 |
甲府 |
25 |
J2 |
32 |
1 |
- |
2 |
0 |
34 |
1 |
| 通算 |
日本 |
J1 |
22 |
1 |
4 |
0 |
0 |
0 |
26 |
1 |
| 日本 |
J2 |
137 |
12 |
0 |
0 |
9 |
1 |
146 |
13 |
| 総通算 |
159 |
13 |
4 |
0 |
7 |
1 |
172 |
14 |
[編集] プレースタイル
[編集] 代表歴
- 2001年:U-18日本代表
- 2002年:U-19日本代表候補
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク