菊池完

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菊池 完
名前
愛称 カン
カタカナ キクチ カン
ラテン文字 KIKUCHI Kan
基本情報
国籍 日本
生年月日 1977年5月3日(32歳)
出身地 東京都西東京市
身長 182cm
体重 76kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム FC岐阜
ポジション DF
背番号 3
利き足 右足
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

菊池 完(きくち かん、1977年5月3日 - )は、東京都西東京市出身のサッカー選手FC岐阜所属。ポジションはディフェンダー

目次

[編集] プレースタイル

自チームのゴール前を固めるセンターバックとしての起用が多い。サッカー専門誌では「冷静沈着でカバーリングに秀でた頭脳派選手」という評価が与えられている。また、フットサル経験に基づいた個人技の高さを活かした攻撃面での活躍も期待され、過去の在籍チームでは実際にフォワードとして登録された例もある。

[編集] 所属クラブ

[編集] 経歴

大学卒業後に下部リーグやフットサルで活躍し、30歳になって日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の選手になった、異色の経歴を持つサッカー選手である。

サッカーの強豪校で知られる都立久留米高校のサッカー部でプレーした後[1]関東大学サッカーリーグ所属の亜細亜大学に進み、サッカー部で関東大学選抜にも選ばれた。しかし卒業後はJリーグ入りが叶わず、地域リーグ関東サッカーリーグに加盟する青梅FCに入団した。菊池は青梅に5シーズン所属し、2002年には関東リーグ優勝を果たした。この年には初めて国民体育大会の東京都選抜に選ばれた[2]。しかし、関東代表として参加した全国地域リーグ決勝大会では1次リーグ敗退となり、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を逃した。

2004年に青梅FCが関東リーグ2部降格が決まると、菊池はチームを離れて、11人制(フルコート)のサッカーがオフシーズンに入る同年12月からは東京都フットサルリーグ1部のFC.VENGAに移籍し、2005年4月には11人制のチームであるFCフエンテ東久留米に入団した。フエンテは東久留米市サッカー協会が支援し、当時は東京都社会人リーグ3部に所属するチームで、菊池は前年の青梅FCから数えて4ランク下、Jリーグのディビジョン1から数えると8部に当たるリーグに参加したが、その実力は評価され、2006年9月には全国選抜フットサル選手権大会に東京都選抜の一員[1]として参加し、チームは準優勝となった。また、アマチュア選手である菊池は東京都小平市にあるフットサル場、トライフットボールフィールドでフットサルスクールのコーチもしていた[2][3]

2006年10月、東京都3部リーグの第8ブロックでフエンテが優勝して翌年の2部昇格を決めた後、菊池は東海社会人リーグ1部のFC岐阜へ移籍し[3]、自身初のプロ契約を結んだ。岐阜は同リーグで優勝した後、全国地域リーグ決勝大会で2位、続くホンダロックとの入れ替え戦で2戦2勝し、JFL昇格を決めた。続く2007年、背番号を30から3に改めた菊池はJFLで16試合に出場し、1得点を挙げた。特にJリーグ2部(J2)への参入条件の一つであるJFL4位以内を目指して厳しい試合が続いた終盤戦ではセンターバックとして先発出場を続け、3位となったチームのJ2参入に貢献した。これにより菊池は岐阜との契約を更新し、高校卒業後12シーズンを要してのJリーグ入りを果たした[4]

2008年の菊池は開幕からベンチ外メンバーとなっていたが、J2第10節の水戸ホーリーホック戦でJリーグ初出場となり[5]、第17節のヴァンフォーレ甲府戦ではJリーグ初得点を記録した。以後、ほとんどのJ2リーグ戦に菊池は出場している。「オールドルーキー」となった菊池への注目も高まり、サッカーマガジンでの特集記事でも取り上げられた[6]

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000 青梅FC 関東 -
2001 青梅FC 関東 -
2002 青梅FC 関東 -
2003 青梅FC 関東1部 -
2004 青梅FC 関東1部 -
2005 東久留米 東京都3部 -
2006 東久留米 東京都3部 -
岐阜 30 東海1部 -
2007 岐阜 3 JFL -
2008 岐阜 3 J2 28 1 - 2 0 30 1
2009 岐阜 3 J2 -
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 J2 28 1 - 2 0 30 1
日本 JFL -
日本 関東・関東1部 -
日本 東京都3部 -
総通算

[編集] 参照

  1. ^ サッカー日本代表選手の中村憲剛は同部で菊池の3年後輩に当たる。
  2. ^ 以後菊池は2003年、そしてフエンテ移籍後の2005年と2006年の計4度にわたって同選抜チームに選出されている。
  3. ^ 現在でも同施設の公式サイトには「スクールコーチ」の中に菊池の名前を残し、「トライから初のJリーガー」として菊池を紹介し、菊池のブログでも同施設に関する記述が見られる。
  4. ^ 2007年終了時点で、菊池と高校での同学年選手では明神智和(1978年1月24日生)と藤本主税がJリーグでの300試合を達成していた。
  5. ^ 先発し90分間フル出場した。
  6. ^ 2008年8月5日号。

[編集] 外部リンク

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