青葉幸洋

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青葉 幸洋
名前
カタカナ アオバ ユキヒロ
ラテン文字 AOBA Yukihiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-07-26) 1979年7月26日(44歳)
出身地 埼玉県東松山市
身長 174cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2005
2006
2007
ヴァンフォーレ甲府
東京ヴェルディ1969
徳島ヴォルティス
140(0)
14(2)
44(1)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年1月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

青葉 幸洋(あおば ゆきひろ、1979年7月26日 - )は、埼玉県東松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー

経歴[編集]

小学校の時からサッカーを始め、高校では埼玉県の武南高等学校[1]、大学は関東大学サッカーリーグの強豪校である順天堂大学の蹴球部でプレーし、同大学では全国大会で好成績を収めた(下記参照)。2002年の同大学スポーツ健康科学部卒業後は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)2部(J2)のヴァンフォーレ甲府に入団し、1年目からサイドバックのレギュラーを獲得して、存続の危機や3年連続の最下位から脱出した甲府躍進の原動力の一つとなった。2005年は控えに回る事が増え、シーズン終了前には戦力外通告を受けたが、J1・J2入れ替え戦では第1戦に先発フル出場して柏レイソルへの勝利に貢献し[2]、J1初昇格をチームへの置き土産とした。その後、2006年には東京ヴェルディ1969、2007年は徳島ヴォルティスといずれもJ2所属のクラブでプレーし、2007年シーズン限りで現役を引退した。

引退後、青葉は2008年に母校・順天堂大学の大学院スポーツ健康科学研究科に進学し、同大学蹴球部コーチとして後進の指導に当たった。2009年には同研究科を修了し(修士号取得)、日本サッカー協会の公認B級コーチ資格を取得した。その後も同研究科の助教として勤務しながら[3]蹴球部コーチを勤めている。また、同蹴球部が地域貢献活動を行うために設立したNPO法人レーヴェン[4]でも指導者として小学生を指導している。2022年3月時点では、中央学院大学現代教養学部にて講師として勤務している[5]

プレースタイル[編集]

ディフェンダー、特にサイドバックでの起用が多かったが、センターバックもこなせる有用性の高さが特徴だった。2006年に東京ヴェルディへ移籍した際は、「サッカーマガジン」編集の選手名鑑で「ディフェンス・ラインはどこでもプレーが可能」と評価され、「(ディフェンダーとしては)体格に恵まれるわけではないが、冷静な判断でピンチを未然に防ぐ」とも紹介されていた[6]

所属クラブ[編集]

タイトル・代表歴[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 順大 12 - - - 3 0 3 0
2002 甲府 25 J2 43 0 - 3 0 46 0
2003 5 38 0 - 3 0 41 0
2004 34 0 - 2 0 36 0
2005 25 0 - 2 0 27 0
2006 東京V 27 14 2 - 0 0 14 2
2007 徳島 4 44 1 - 2 0 46 1
通算 日本 J2 198 3 - 12 0 210 3
日本 - - 3 0 3 0
総通算 198 3 - 15 0 213 3

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2006 東京V 27 1 0
通算 AFC 1 0

記録[編集]

人物[編集]

  • 東京ヴェルディ在籍時の2006年に、当時東京ヴェルディと資本・業務提携を結んでいたサイバーエージェントブログサービスであるアメーバブログでチーム公認ブログ『アオ・バディ!!』を開始した。現役引退後も同URLのまま『バディ・ライフ!』と改題し、コーチ業の傍らの日常生活などについて記事更新と一般公開を継続している(外部リンク参照)。
  • 父は陸上競技の指導者で、大東文化大学陸上競技部部長・関東学生陸上競技連盟会長の青葉昌幸。なお、父の項目の記述に従えば「青」の字体は「」が正しいが、Jリーグや順天堂大学における青葉幸洋についての公式表記では常に「青」が用いられている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 武南は全国高等学校サッカー選手権大会での優勝経験もある名門校だが、青葉の在学中には同大会の全国大会には出場しなかった。
  2. ^ 右サイドバックのレギュラーだった杉山新がJ2最終節の京都パープルサンガ戦で退場し、この試合で出場停止だったために青葉が起用された。入れ替え戦の第2戦では杉山が先発し、青葉は後半44分(公式記録上)からの出場になった。
  3. ^ KAKEN — 研究者をさがす | 青葉 幸洋 (50561643) KAKEN — 研究者をさがす 2022年3月6日閲覧
  4. ^ 特定非営利活動法人レーヴェン 内閣府NPO法人ポータルサイト 2022年3月6日閲覧
  5. ^ 靑葉 幸洋|中央学院大学 中央学院大学公式サイト 2022年3月6日閲覧
  6. ^ 出典:『週刊サッカーマガジン2006年3月10日号増刊 2006J1&J2リーグ 選手名鑑』183ページ。

外部リンク[編集]