坂本將貴

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坂本將貴
名前
愛称 サカ、隊長
カタカナ サカモト マサタカ
ラテン文字 SAKAMOTO Masataka
基本情報
国籍 日本
生年月日 1978年2月24日(31歳)
出身地 埼玉県さいたま市
身長 171cm
体重 70kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム ジェフユナイテッド市原・千葉
ポジション MF
背番号 2
利き足 右足
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

坂本 將貴(さかもと まさたか、1978年2月24日 - )は埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身のサッカー選手である。ポジションは主にMF日本体育大学卒業。愛称は坂本隊長。

目次

[編集] 経歴

2000年にジェフ市原(当時)に入団。大学時代までは攻撃的なポジションの選手だったが、クラブでは守備力に注目されて、右サイドのレギュラーに定着。以後、チーム事情によって時折、ストッパーボランチとしてプレーする事もある。

2007年は、アルビレックス新潟に移籍し1年間プレーした。2008年に古巣のジェフユナイテッド市原・千葉に移籍した。

[編集] プレースタイル

  • 大学時代のポジションは本人曰く「トップ下」。今の運動量と堅実さを武器にしたプレースタイルは当時を知る人にとっては信じられないだろうと語る。
  • 調子に波がなく、スタミナも豊富。また、クリーンにプレーする選手としても評価が高い。2002年2003年のリーグ戦は全試合フル出場、つまり、警告の累積による出場停止がなかった。
  • そのため、「計算できる戦力」としての坂本の価値は高い。しかし、2004年9月11日の東京ヴェルディ戦で痛恨のレッドカード。次節が出場停止となり、その年のリーグ戦出場試合数は「29」にとどまった(2004年までのリーグ戦は全30試合である)。
  • 2005年シーズンは、移籍した村井慎二(現・ジュビロ磐田)の穴を埋めるために左サイドでプレーすることに。坂本のいた右サイドには、若手の山岸智水野晃樹が入った。
  • オシム監督(当時)がいうには「(左右両足を使える)坂本以外に左サイドでプレーできる選手がいなかったから」ということだが、坂本自身はこのポジション変更により、さらに自分のプレーの幅をひろげた。
  • 利き足は右だが、左足からのキックも非常に精度が高い。その理由は本人曰く「右足を骨折していた時に左足のキック練習を相当やった」からだそうである。
  • 村井の移籍当初は「ジェフの左サイドはどうなってしまうのか」と、サポーターの不安は大きかったが、2005年シーズンの坂本の躍動ぶりは、その不安が杞憂であったことを知らしめた。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] タイトル

  • J1リーグ優秀新人賞 2001年

[編集] 代表歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000 市原 23 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 市原 23 J1 19 3 4 0 3 0 26 3
2002 市原 23 J1 30 1 7 0 4 0 41 1
2003 市原 23 J1 30 1 2 0 3 1 35 2
2004 市原 2 J1 29 1 4 0 1 0 34 1
2005 千葉 2 J1 34 2 11 0 2 0 47 2
2006 千葉 2 J1 34 1 11 3 1 0 46 4
2007 新潟 14 J1 34 2 6 0 1 1 41 3
2008 千葉 2 J1 32 1 8 0 0 0 41 1
2009 千葉 2 J1
通算 日本 J1 242 12 53 3 15 2 310 17
総通算 242 12 53 3 15 2 310 17

[編集] エピソード

  • 新潟へ移籍する前のジェフ千葉在籍時は選手会長を務めていて、若手を引っ張っていた。
  • サポーターには、その闘志あふれるプレーぶりから「隊長」と呼ばれ親しまれている。
  • 声がやや高く、ジュビロ磐田の「隊長」中山雅史に声質がちょっと似ている。
  • 愛嬌があり、チームのムードメーカーとしても、なくてはならない存在である。
  • かつてジェフに在籍していた中西永輔とはプライベートでも仲がよく、坂本に釣りを教えたのは中西である。「ミスター・ジェフ」として長年サポーターに愛されてきた中西の背番号「2」は坂本に受け継がれていた。
  • 教育実習で母校の浦和東高へ行った際、受け持ったクラスに現・川崎フロンターレ川島永嗣がいた。
  • 一度、喧嘩別れの形で退団した千葉への復帰は、クラブ側の説得と精神的支柱が必要と考えた巻誠一郎の『恋人のように』毎日電話や会いに来た事も大きな要因とされている。
  • しかし、新潟に在籍していた際に、ある発言をしていたにもかかわらず、開幕前のキャンプ直前で千葉へ復帰したことは新潟サポーターから大きな批判を受けた。本人も今でもこの決断が正しかったのかと自分に問いかけることはありますとコメントしている。このことにより本人と新潟サポーターの間では「裏切り者」の代名詞となってしまっている。

[編集] 関連項目


この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。


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