二川孝広
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| 二川 孝広 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | フタ | |
| カタカナ | フタガワ タカヒロ | |
| ラテン文字 | FUTAGAWA Takahiro | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1980年6月27日(29歳) | |
| 出身地 | 鹿児島県 | |
| 身長 | 168cm | |
| 体重 | 63kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 10 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1999-現 在 | ガンバ大阪 | 264 (27) |
| 代表歴 | ||
| 2006 | 1 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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二川 孝広(ふたがわ たかひろ、1980年6月27日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。ガンバ大阪所属。大阪府立島上高等学校(現 槻の木高等学校)卒業。
目次 |
[編集] プレースタイル
小柄な体躯をカバーして有り余る華麗なパスセンスと、難しいボールも簡単に捌ききるテクニックを持つ。サッカーの基本である「止める、蹴る」がきっちりできる、お手本のような選手。パス、トラップ、ドリブル、シュート、運動量、広い視野など、すべてにおいて高いレベルの技術を持つ。最近は攻撃意識も上がりゴールが増えている。
基本的なポジションは中央のミッドフィルダーだが、サイドアタッカーやボランチの位置でも高レベルでプレーできるユーティリティープレーヤー。クラブの中盤を構成するチームメイトたちとの細かいポジションチェンジをこなしながら、裏のスペースへと飛び出すチャンスを逃さない戦術的な嗅覚の確かさも併せ持つ。
[編集] 経歴
1996年にガンバ大阪ユースに入団し、1999年にトップチームに昇格する。大黒将志とはユース時代からの名コンビで知られ、大黒が札幌にレンタル移籍した1年間を除いて、同じチームでプレーしていた。
昇格2年目の2000年頃から出場機会を増やし、中盤の様々なポジションをこなすようになる。優勝した2005年は、主に3-5-2の左サイドMFとして出場していた。
2006年8月アジアカップ予選の西アジア遠征で日本代表メンバーに初招集される。同年10月4日のガーナ戦で背番号10として初出場を果たした。
[編集] 人物・エピソード
- 口数が少なくおとなしい選手として知られている。新聞や雑誌、テレビのインタビューからも明らかで、エピソードには事欠かない。時折発する言葉は聞いている者のツボをつく、愛すべきキャラクターである。
- ガンバ大阪ユースのセレクションに面接はないらしい。二川曰く「面接があったら、絶対に落ちてる」。
- ガンバ大阪ユースでは3年時にキャプテンを務めた。これは、当時の西村昭宏監督が「少しでもしゃべれるように」と指名したもの。しかし、練習終わりの反省会で「キャプテンなんかないか?」と聞かれても毎回「ありません」と答え、代わりに副キャプテンであった大黒将志が毎回のようにしゃべった。
- ガンバ大阪ユース時代は2年生の二川がボランチ、3年生の橋本英郎がトップ下を務めていた時期もあった。
- 人見知りが激しい。付き合いの長い大黒にさえ心を開いていないとまで言われる。しかし心を開いている数少ない選手の1人として、元同僚の児玉新(現・清水)がいる。2人の関係にまつわるエピソードは多数存在し、2人きりでサイパン旅行へ行き、一緒にバナナボートに乗ったことも。
- 元同僚のフェルナンジーニョが清水に移籍後の雑誌インタビューでこの件を踏まえて「移籍して一番心配だったのは、児玉もここ(清水)にいるのに。二川は一体誰と喋ってるのかということだ」と冗談を飛ばしている。
- 現在の背番号10は西野朗監督から薦められたもの。しかし一旦は固辞し、西野から「契約更改させないぞ」と脅されて、仕方なく背負ったという。
- 試合前のインタビューで「10番はいつでも譲る覚悟はできてます」と答えている。
- サッカー選手にしては足が小さく、靴のサイズが24.5cmしかないらしい。
- 中村俊輔曰く「(日本代表合宿中)二川君は、誰ともしゃべってない」らしく、ガンバ大阪で二川と共にプレーしている加地亮に「二川君って、いつもああなの?」と訊ねた(やべっちFCより)。
- ガンバ大阪でチームメイトのルーカスからパーティーに誘われるも、直前になって断る。しかし直後の試合でルーカスのゴールをアシストしてチームの勝利に貢献。
- 2008年のクラブ・ワールドカップに怪我をおして出場するが、初戦のアデレード戦で怪我を再び痛め、本人も楽しみにしていたマンチェスター・ユナイテッドFC戦は欠場。3位決定戦に出場するも、数分後にレッドカードを受けるなど、散々な大会になってしまった
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1993年 - 1995年 高槻FC
- 1996年 - 1998年 ガンバ大阪ユース
プロ経歴
- 1999年 - 現 在 ガンバ大阪
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | G大阪 | 32 | J1 | 5 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 |
| 2000 | G大阪 | 16 | J1 | 21 | 0 | 2 | 0 | 3 | 1 | 26 | 1 |
| 2001 | G大阪 | 16 | J1 | 26 | 2 | 4 | 1 | 3 | 1 | 33 | 4 |
| 2002 | G大阪 | 8 | J1 | 28 | 2 | 7 | 0 | 2 | 0 | 37 | 2 |
| 2003 | G大阪 | 10 | J1 | 29 | 5 | 5 | 0 | 2 | 0 | 36 | 5 |
| 2004 | G大阪 | 10 | J1 | 30 | 4 | 7 | 0 | 3 | 0 | 40 | 4 |
| 2005 | G大阪 | 10 | J1 | 29 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | 39 | 0 |
| 2006 | G大阪 | 10 | J1 | 33 | 6 | 2 | 0 | 5 | 1 | 40 | 7 |
| 2007 | G大阪 | 10 | J1 | 34 | 7 | 11 | 3 | 4 | 1 | 49 | 11 |
| 2008 | G大阪 | 10 | J1 | 29 | 1 | 4 | 2 | 1 | 0 | 34 | 3 |
| 2009 | G大阪 | 10 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 264 | 27 | 52 | 6 | 27 | 4 | 343 | 37 | |
| 総通算 | 264 | 27 | 52 | 6 | 27 | 4 | 343 | 37 | |||
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2006 | G大阪 | 10 | 5 | 1 | - | |
| 2008 | G大阪 | 10 | 12 | 3 | 2 | 0 |
| 2009 | G大阪 | 10 | 1 | 0 | - | |
| 通算 | AFC | 18 | 4 | 2 | 0 | |
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 1999年8月28日 J1 2nd第5節 vs横浜F・マリノス(新潟市陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 2001年7月7日 J1 1st第13節 vs東京ヴェルディ1969(万博記念競技場)
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(2006)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 1 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- footalk(サッカーマガジン インタビュー)(2002年5月16日)
- Humane FOOTBALLER (サッカーマガジン インタビュー) (2005年4月14日)
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