淀川区

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よどがわく
淀川区
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27123-3
面積 12.64km²
(境界未定部分あり)
総人口 174,682
推計人口、2014年7月1日)
人口密度 13,820人/km²
隣接自治体
隣接行政区
大阪市西淀川区東淀川区北区
豊中市吹田市
兵庫県尼崎市
区の木 キンモクセイクスノキ
区の花 パンジー
淀川区役所
所在地 532-8501
大阪府大阪市淀川区十三東二丁目3番3号
北緯34度43分15.6秒東経135度29分11.9秒座標: 北緯34度43分15.6秒 東経135度29分11.9秒
Yodogawa ward-office.JPG
外部リンク 大阪市淀川区役所HP

淀川区位置図

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淀川区(よどがわく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。

概要[編集]

淀川区内を望む

淀川区は大阪市内の北部、淀川の北岸と神崎川南岸に挟まれた位置にある。東は東淀川区、西は西淀川区、南は北区、北は吹田市豊中市兵庫県尼崎市にそれぞれ隣接している。古くは淀川の渡しや能勢街道などが通る交通の要所であったが、近代以降は多くの鉄道が通過しており、都心部や近畿各地と直接結ばれているほか、東海道・山陽新幹線により首都圏中部中国九州の各地とも高速度の交通で直接結ばれている。

区の産業は、江戸期には農業などが中心であった。旧来、中津川(現在の淀川)の洪水に悩まされながらも、肥沃な農業地帯であったようで、地域の農民は自力で中島大水道を開削した。加島には幕府の銭座がおかれ、伝統的に工芸の盛んな土地で「酒は灘、銭は加島」といわれるほど、良質な銭貨が生産されていた。現在では、卸・小売業、飲食店を中心とする商業活動が主であるが、機械器具製造業、金属製品製造業を中心とする工業活動も盛んであり、商・工業活動とも常に本市の上位を占めている。

明治以降、淀川の改良で区画整理が進み、更に淀川を渡る橋も幾つか架けられた。1910年箕面有馬電気軌道(現・阪急宝塚線)が開業すると沿線では住宅地化が進み、ターミナル駅である十三駅一帯は区内隋一の繁華街へと変貌した。一方、第二次世界大戦後の1964年には東海道新幹線の開業に伴い、区内東端に新大阪駅が設置された。駅周辺はベンチャー企業などが集積している[1]1990年代以降の再開発により、駅北口を中心に高層のオフィスビルが建てられ、現在では大阪市副都心に指定されている。

住居については、区内では全体的に密集住宅地が広がっている。近年では神崎川沿いから撤退した工場群の跡地やJR加島駅周辺、阪急三国駅周辺などで大規模なマンションが開発されている。

地理[編集]

隣接している自治体・行政区[編集]

大阪市の行政区
自治体

人口[編集]

淀川区の人口推移(国勢調査)
世帯数 人口 人口増減率
(前回比)
1950年(昭和25年) 23,971 100,571
1955年(昭和30年) 28,449 122,572 +21.88%
1960年(昭和35年) 42,656 165,659 +35.15%
1965年(昭和40年) 49,022 172,767 +4.29%
1970年(昭和45年) 48,473 155,868 -9.78%
1975年(昭和50年) 51,622 150,754 -3.28%
1980年(昭和55年) 57,796 154,269 +2.33%
1985年(昭和60年) 62,935 159,981 +3.70%
1990年(平成2年) 67,788 160,660 +0.42%
1995年(平成7年) 74,288 162,022 +0.85%
2000年(平成12年) 80,410 163,370 +0.83%
2005年(平成17年) 85,217 169,222 +3.58%
2010年(平成22年) 91,056 172,078 +1.69%

歴史[編集]

地域[編集]

教育[編集]

専門学校[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

地名[編集]

現在の地域名 1974年6月までの旧町名
加島 加島町の大部分,三津屋北通5丁目の一部,三津屋南通6丁目の一部,佃町の一部
三津屋 三津屋北 三津屋北通1-4丁目の全域と5丁目の一部,加島町の一部
三津屋中 三津屋中通1-6丁目の全域
三津屋南 三津屋南通1-5丁目の全域と6丁目の一部・堀上元町の全域
十三 十三元今里 元今里北通1,3丁目の大部分と2丁目の全域・田川通1丁目の半分と2-3丁目の一部・元今里南通1,3丁目の一部と2丁目の全域・田川通1-3丁目の一部・十三南之町1-2丁目の一部・十三西之町4丁目の一部・塚本町4丁目の一部
十三本町 十三西之町1,4丁目の一部と2-3,5丁目の全域・元今里南通1丁目の一部・元今里北通1丁目の一部
十三東 十三東之町1丁目の一部と2-5丁目の全域・木川西之町1丁目の一部
塚本 塚本町1-2丁目の一部と3,5丁目の全域と4,6丁目の大部分・元今里南通4丁目の一部・十三南之町3丁目の一部
田川 田川 田川通4-6丁目の一部,7丁目の全域・元今里南通3-4丁目の一部・元今里北通3丁目の一部,4-5丁目の全域・塚本町6丁目の一部
田川北 田川通1-5丁目の一部・加島町の一部
新北野 十三南之町1-3丁目の一部・十三西之町1丁目の一部・塚本町2丁目の一部
木川 木川東 木川東之町1,3-5丁目の全域と2丁目の一部・木川西之町1丁目の一部・西町の一部・山口町の一部
木川西 木川西之町1丁目の一部,2-5丁目の全域・十三東之町1丁目の一部・木川東之町2丁目の一部・西町の一部
野中 野中北 野中北通1-3丁目の全域・堀上通1-3丁目の一部
野中南 野中南通1-3丁目の全域
宮原 宮原 宮原町1-2丁目の全域と3丁目の一部・西宮原町1-3丁目の一部・西淡路町1-2丁目の一部・西町の一部・山口町の一部・宮原町の一部・西中島町9丁目の一部
西宮原 西宮原町1-3丁目の一部・西中島町9丁目の一部・木川東之町6丁目の一部・三国本町2-3丁目の一部
新高 堀上通1-3丁目の一部・新高北通1丁目の一部と2-3丁目の全域・新高南通1-3丁目の全域・三津屋新町の全域
西中島 西中島町1,3,6丁目の全域と2,4,5,7,8丁目の一部・西町の一部・南方町の全域・山口町の一部・浜町の一部
三国 三国本町 三国本町1-3丁目の一部・木川西之町6丁目の一部・木川東之町6丁目の一部・新高北通1丁目の一部・西町の一部
東三国 東三国町1-3丁目の全域・西三国町1-2丁目の一部・宮原町3丁目の一部・十八条町1丁目の一部・西淡路町3丁目の一部・国次町の一部
西三国 西三国町1-2丁目の一部,3-4丁目の全域・西宮原町3丁目の一部・十八条町3丁目の一部・三国本町3丁目の一部
十八条 十八条町1,3丁目の一部と2丁目の全域・西三国町2丁目の一部・西三国町5丁目の一部

1925年3月までの西成郡としては神津村と北中島村の全域・西中島町の西側部分・中津村の淀川右岸地域・歌島村と鷺洲村の一部(淀川右岸地域~神崎川左岸地域で現在の東海道本線の東側部分)、1925年4月の東淀川区成立時の北川口町・西町・三國町・三国本町・宮原町・十八條町・南宮原町・三津屋町・木川町・十三東之町・十三西之町・今里町・東雲町・新高町・堀上町、当時、西淀川区の区域であった加島町・塚本町(東塚本町の部分)が現在の淀川区の主たる地域となる。

観光スポット・名所・施設・イベント[編集]

イベント[編集]

交通[編集]

鉄道路線[編集]

区役所の最寄り駅は阪急十三駅である。 JR logo (central).svg 東海旅客鉄道(JR東海)

JR logo (west).svg 西日本旅客鉄道(JR西日本)

Hankyu-logo.svg 阪急電鉄

Osaka Metro Logo.svg 大阪市営地下鉄

バス[編集]

道路[編集]

区内に本社を置く企業[編集]

日清食品本社ビル

区内の大規模事業所[編集]

区内が発祥・発展の地の企業[編集]

  • 天辻鋼球製作所
    1920年大正9年)、十三にて創業して昭和30年代まで十三工場を操業。工場の跡地が天辻モータープールとして今も存在している。現在は門真市に移転。
  • ユニキャリア(旧社名・東洋運搬機)
    東洋運搬機時代の1957年(昭和32年)より1970年(昭和45年)まで十三工場を操業、跡地は市営木川第四住宅となっている。
  • タイガー(旧社名・タイガー計算器)
    1935年昭和10年)から長年、野中南にて工場を操業。その名は工場跡に建設されたタイガーマンションに、生産していた手廻式計算機の形は跡地に建設された阪急百貨店十三商品センターとタイガーマンションの屋上の形に残されている
  • 日本カタン(旧社名・木本鉄工所→日本可鍛鋳鉄所)
    1918年(大正7年)に木本鉄工所として発足し、1920年(大正8年)に日本可鍛鋳鉄所に改名。会社発足時より枚方市に全面移転する1965年(昭和40年)まで当時の元今里北通1丁目28番地(現在の神津小学校第2グラウンド - 淀川郵便局付近)に本社と工場があった。ピュア13(元・十三公設市場)周辺の土地は元々、日本カタン(日本可鍛鋳鉄所)の石炭殻捨場の草原であった。
  • 日本シエーリング(現在はバイエル薬品
    1933年設立。1959年、西宮原2丁目6番地に製造工場を完成。1969年、本社を東京から同地に移転。2007年にバイエル薬品と経営統合し、大阪市北区ブリーゼタワーに移転した。
  • バイエル薬品
    1973年設立、宮原3丁目5番地に本拠を置いていた。2007年に日本シエーリングと経営統合し、大阪市北区のブリーゼタワーに移転した。
  • 昭和ロック(旧社名・野口製作所→昭和金属工業 現在はユーシンに吸収されユーシン・ショウワとして茨木市に存続している)
    1924年(大正13年)に十三西之町(現在の新北野1丁目から十三本町に掛けての地域)にて創業、野中北通3丁目(現在の野中北2丁目付近)への移転を経て、1931年(昭和11年)に野中南通3丁目18番地(現在の野中南2丁目11番地)に移転し、その後50年以上当地で工場を操業した。跡地は住宅地となっている。
  • フジサワ(旧社名・藤沢鉄工所→藤沢製作所 平成15年にマルゼンへ営業権譲渡によりフジサワ・マルゼンとして尼崎市に存続している)
    1954年(昭和29年)1月に大淀区中津南通4丁目8番地(現在の北区中津6丁目)から加島町110番地(現在の加島2丁目7番地)に移転。約50年間当地で工場を操業した。跡地はマルハン加島店となっている。
  • 日清食品
    チキンラーメンの発売当初、当時の東淀川区内にあった田川工場で生産を行っていた。
  • エースコック(旧社名・梅新製菓→エース食品)
    エース食品時代、現在の三津屋東公園付近に社屋、富士電波工業の裏手に研究所があった。
  • 三ツ矢ソース(旧社名・越後屋商店 昭和44年にハグルマへ製造委託)
    1961年(昭和36年)にソース工場を大淀区豊崎西通二丁目(現在の北区豊崎三丁目付近)から大阪市立田川小学校の裏手(現在、浪速製作所のある場所)に移転し、1969年(昭和44年)まで生産を行っていた。
  • 大輝電球(旧社名・大阪輸出電球→大輝電気工業 1967年ハリソン電機へ吸収合併)
    1936年(昭和11年)に現在の淀川区田川二丁目4番地に設立、戦災にて焼失した後1947年(昭和22年)工場を再興し生産を続けていたが、1967年(昭和43年)ハリソン電機に吸収合併され、ハリソン電機大阪工場となった。1999年(平成11年)生産効率化のため、今治市にある本社工場へ統合により閉鎖。跡地にはクレアガーデン北大阪が建設された。
  • 明治機械製作所(旧社名・明治商会)
    1924年(大正13年)明治商会として設立、1933年(昭和8年)塗装機国産1号機の試作に成功し、1936年(昭和11年)に現在の田川2丁目3番地に大阪工場及び本社を建設、塗装機器および空気圧縮機の生産を同地にて60年以上続けてきたが、2000年(平成12年)生産拠点を岡山工場へ統合の為、大阪工場を閉鎖。跡地にはネクストシティメイツ北野が建設された。
  • 芦森工業(旧社名・芦森製綱所)
    1908年(明治41年)、現在の十三元今里三丁目1番地に十三工場を設立。1960年(昭和35年)摂津市千里丘への工場移転までの50年以上に渡り、当地にて紡績用スピンドルバンド・紡績用スピンドルテープ・ジェットホース・合成繊維ロープ等の生産を行った。跡地は現在、武田薬品工業大阪工場の敷地となっている。
  • 北おおさか信用金庫
    1925年(大正14年)、前身の一つ十三信用組合(のちの十三信用金庫)が設立された。
  • 太洋マシナリー(旧社名・太洋鋳機)
    1926年(昭和元年)、福島区吉野(当時の此花区吉野町一丁目25番地)に太洋機械商会を設立。1935年(昭和10年)に当時の東淀川区宮原町455番地(現在の淀川区西宮原二丁目5番地付近)に移転し、同地にて60年以上の間、鋳造工場用設備機械・各種ショットブラスト装置・各種振動搬送機械及び、振動機械の製造販売を行ってきたが、2003年(平成15年)に大正区に本社・工場を移転した。
  • ミクニプラスチックス(旧社名・三国セルロイド)
    1927年(昭和2年)、大日本セルロイド(現、ダイセル)三国工場から分離し三国セルロイドを設立。戦前までセルロイド製品の加工及び販売(主として輸出)業務に携わってきたが、戦後の石油化学の勃興とその後の技術の変遷に伴い、セルロイド製品からプラスチックス製品の加工・販売に移行し、1973年(昭和48年)に三国プラスチックス、2008年(平成20年)にミクニプラスチックスに社名変更し、プラスチック製品の製造並びに販売を行ってきたが、2011年(平成23年)1月に本社を東京都品川区に、工場を滋賀県高島市に移転した。

出身有名人[編集]

ゆかりのある人物[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 【新大阪】賃貸事務所の賃料相場とエリア情報 貸事務所.com大阪
  2. ^ 2013年11月7日放送、日本テレビ秘密のケンミンSHOWにて発言[誰によって?]

外部リンク[編集]