大正区

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たいしょうく
大正区
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27108-0
面積 9.43km²
総人口 66,993
推計人口、2014年2月1日)
人口密度 7,100人/km²
隣接自治体
隣接行政区
大阪市西区港区浪速区西成区
住之江区
区の花 つつじ
大正区役所
所在地 551-8501
大阪府大阪市大正区千島二丁目7番95号
北緯34度39分1.1秒東経135度28分21.9秒
Taisho Ward Office.jpg
外部リンク http://www.city.osaka.lg.jp/taisho/

大正区位置図

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大正区(たいしょうく)は、大阪市を構成する24区の一つである。

大正初期以来沖縄県からの移住者が多く、区民の4分の1が同県出身者とその家族や子孫など所縁をもつ人とされる[1][2]

地名と由来[編集]

区名[編集]

大正区の区名は、木津川に架かる大正橋(たいしょうばし)から命名された[3]。区名制定にあたり住民に区名を募集した際「大正橋区」を希望する声が多かったが、「大正橋区」では長いとして最終的に大正区に決定した。なお、区名の由来となった大正橋は大正4年竣工であるが、大正区自体は大正時代ではなく昭和7年に設置された区である。

町名[編集]

  • 三軒家西
  • 三軒家東
  • 泉尾
  • 千島
  • 北恩加島
  • 北村
  • 小林西
  • 小林東
  • 平尾
  • 南恩加島
  • 鶴町
  • 船町

三軒家の地名は、江戸時代初期の開発当時に3軒の民家があったことが由来となっている。三軒家は摂津国西成郡木津村の中村勘助(木津勘助)によって開発された。

北村および泉尾(いずお)の地名は、江戸時代にこの地を開発した北村六右衛門に由来する。北村は姓をそのまま取り、また泉尾は北村六右衛門の出身地・和泉国大鳥郡踞尾(つくの)村(現在の堺市西区津久野町)から、和泉国の「泉」と踞尾村の「尾」を組み合わせて命名された。

北恩加島(きたおかじま)・南恩加島(みなみおかじま)・千島・小林の地名は、江戸時代にこの地を開発した岡島嘉平次に由来する。北恩加島・南恩加島については、開発者・岡島嘉平次への敬意を示すため、この地を担当していた代官が「岡島」を「恩加島」の表記に変更した。また千島および小林は、岡島嘉平次の出身地・摂津国東成郡千林村(現在の大阪市旭区千林)からとっている。

平尾の地名は、江戸時代にこの地を開発した平尾与左衛門に由来する。

船町および鶴町の地名は、万葉集の和歌から町名がとられている。船町や鶴町など区の南西端は明治以降の大阪港第一次修築工事の際に埋立・開発がすすめられた町である。なおこの地にはかつて鶴浜通・福町の地名もあり、これらの地名も万葉集からとられていたが、住居表示の実施によりいずれも鶴町に統合される形で姿を消している。

地理[編集]

大正区は、かつての淀川水系と大和川水系により運ばれた土砂により出来た大阪湾の三角州の1つであり、運河により更に3つに分かれている。

北を頂点として、南の辺が約2.8km、南北の長さが約4kmの三角形の形をしている。東と南には木津川、西には岩崎運河尻無川が流れ、西端は大阪湾に接している。区の内部には、人工港湾の大正内港があり、木津川から分かれ、南恩加島・鶴町と船町との境界を成す木津川運河がある。北端に、JR西日本大阪市営地下鉄大正駅がある。また、南北の目抜き通りに大正通り、東西に国道43号が通る。

歴史[編集]

難波八十島と呼ばれた三角州地帯の南部に過ぎなかった当区域に人家が見られるようになったのは元和年間とされ、木津川尻の姫島に西成郡難波村から漁民3名が移住したのが始まりとされている(三軒家由来の他説)。その後、中村勘助による新田開発が始まり、姫島は勘助島や難波島と呼ばれるようになった。難波島は木津川口を塞ぐように位置していたため、1699年元禄12年)に河村瑞賢によって島の中央部を開削する工事が行われ、木津川の流路が一直線になった。以降、同じく瑞賢の開削による安治川と並んで木津川は諸国物産を積んだ廻船で大いに賑わった。

新田開発は木津川改修工事とともに本格化し、新田開墾は願書を1698年8月(元禄11年)に提出、同年9月に許可された。町民(中村勘助、北村六右衛門、岡島嘉平次など)が行い、現在の町名はその開墾した人に由来する。なかでも岡島嘉平次は当区域に該当する全16新田のうち9新田の開発に携わっている。工事としてはまず堤防予定地の内側を掘り下げて溝を造り、その上げ土で堤防を築いて海水の侵入を防ぐ。この後堤防内を新田に開拓する。新田の雨水などは、一時溝にためて、干潮のときは堤防の水門をあけて排水し、満潮のときは水門を通じて海水の侵入を防いだ。江戸時代後期になるとほぼ現在の形になる。

大正運河により周囲の貯木場への水運が便利になった。昭和初期の小林付近

1883年(明治16年)に三軒家にあった大阪紡績会社(現:東洋紡)がイギリスより日本で初めての蒸気式の紡績機を輸入し、大阪を日本一の紡績工業都市へと押し上げ「東洋のマンチェスター」とも呼ばれるきっかけを作った。また堀江など長堀沿いにあった材木市場が手狭になり、千島や小林に大きな貯木場が作られた。鶴町(現在の鶴町1丁目、船町渡船場付近)にはゼネラルモーターズの自動車工場(1927年から1941年まで)が、船町には中山製鋼所製鉄所日立造船などの造船所も作られ、近郊農村は阪神工業地帯の重工業集積地に姿を変えた。これらの大工場に働き口を求めて沖縄県から移住者が多く集まったことが、現在も続く沖縄県出身者のコミュニティ形成の主因となっている。川沿いの工場には大きな船が着岸するため、大正区を取り囲む川には(区の北端の大正橋などを除いて)橋は掛けられず、渡船が対岸とを結んでいた。市内からは大正橋を通り市電が鶴町までを結んでいた。この大正橋は1915年大正4年)に開通した。

第一次世界大戦時には、小林付近にドイツ軍捕虜を、第二次世界大戦時には新千歳にアメリカ軍捕虜を収容したと言われる収容所があった。第二次世界大戦時、大正区全域が大阪大空襲により壊滅的な被害を出したが、一方で現在の大正中央中学校(当時大正尋常高等小学校と言われていた[4][5]附近にあった高射砲陣地にあった砲は、B29を1機撃墜させるなどの戦果を挙げている。[6]

工業化による地下水くみあげのために地盤沈下が起こり、洪水や高潮に弱くなったほか浸水被害が深刻なため、第二次世界大戦後になって貯木場や市街地を削って川を広げ大正内港を作る一方、出た土砂で区内に盛り土を行い、大正運河なども埋め立てられた。1980年代以降、産業構造の変化で重工業が振るわず中小の工場も廃業するものが出る一方、その跡地に大型店舗が立地したり、川沿いの立地を生かしたレストランマンションの用地として活用されているものもある。

大阪府議会議員[編集]

大正区単独で1つの選挙区(大正区選挙区)を有し、定数は1人である。

交通[編集]

前述のとおり、大正区内には鉄道がほとんど整備されておらず、鉄道駅は大正駅が北端に所在するのみである。

区内の公共交通はおおむね大阪市営バスが担っている。南部の鶴町地区(鶴町四丁目停留所)と大正駅(大正橋停留所)との間は早朝から深夜まで比較的運行頻度が高く、昼間でもあまり待たずに乗れる程度の本数を確保している。また、朝ラッシュ時の大運橋通と大正橋間は1分未満の間隔で運行しているなど運行頻度は特に高いが、これは朝夕のラッシュ時でも双方向の需要が見込めること、大正区は南北に長く大正通がその中央を背骨状に通っており、バス路線を集約しやすいことがその理由である[要出典]大阪市営バス鶴町営業所も参照。

なお、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線を鶴町地区まで延伸する計画がある。

鉄道[編集]

道路[編集]

橋梁[編集]

大正橋 
岩松橋 
大浪橋 
千本松大橋 

渡船[編集]

落合下渡船場

大正区は河川や運河などの水路に囲まれた地域であるため、公営渡船が数多く運航されている。歩行者および自転車専用で、運賃は無料。港湾局による木津川渡以外は大阪市建設局による運航である(大阪市には全部で8箇所の公営渡船があるが、その内7箇所が大正区と関わりがある)。

大阪市の公営渡船も参照。

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

幼稚園[編集]

  • 大阪市立
    • 三軒家西幼稚園
    • 泉尾幼稚園
  • 私立
    • 昭和幼稚園
    • 北恩加島幼稚園
    • 南恩加島幼稚園
    • 昭光幼稚園

専修学校[編集]

施設[編集]

昭和山(千島公園)

公共施設[編集]

医療機関[編集]

商業[編集]

商店街[編集]

  • 大正橋商店会
  • 三泉北商店街
  • 三軒家中央商店会
  • 三泉商店街
  • 泉尾中一商店会
  • 泉尾中央商店街
  • 泉尾中通商店街
  • 泉尾商店街
  • 千島商店会
    • パルティ千島商店会
  • 平尾本通商店街(サンクス平尾)
  • 大運橋本通商店会
  • 鶴町商店会

主な大規模商業施設[編集]

寺社・宗教施設[編集]

  • 神明神社
  • 八坂神社
  • 泉尾神社
  • 高天原本宮
  • 小林産土神社
  • 天満宮
  • 地蔵院
  • 眞光寺
  • 順教寺
  • 万福寺
  • 南天山西福寺
  • 専称寺
  • 日蓮宗宗徳山真行寺
  • 妙法寺
  • 東林寺
  • 了照寺
  • 呑海寺
  • 高野山真言宗大運寺
  • 真宗大谷派正等寺
  • 帰命寺
  • 鶴町高野山普照教会
  • 金光教泉尾教会(泉光園)

その他[編集]

かつて存在した主な施設[編集]

木津川飛行場

本社を置く主な企業[編集]

出身者[編集]

舞台とする作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 一緒に考えまひょ!大正区の産業振興を考える意見交換会 (PDF) p.7 - 大正区(2011年9月13日付、2013年11月21日閲覧) ※筋原区長による発言部分。
  2. ^ 大阪市大正区における沖縄関連店舗の立地展開 (PDF) (「立命館地理学」第17号、2005年、p.87-99) - 真鍋一弘 著、立命館地理学会 発行(立命館大学、2013年11月21日閲覧)
  3. ^ 大正橋西詰の記念碑の記述より。
  4. ^ 『大正区の歴史を語る』 大正区の歴史を語る会事務局編 発行 2005年p.68
  5. ^ 『大正区の歴史を語る』 大正区の歴史を語る会事務局編 発行 2005年p.43
  6. ^ 『大正区の歴史を語る』 大正区の歴史を語る会事務局編 発行 2005年p.43・68
  7. ^ 大正区役所 総務課 総合企画グループ (2012年9月4日). “大阪市 大正区 綱が繋ぐ皆で繋ぐ「綱・ちゅら・エイサー祭 ~与那原大綱曳in大正区~」 を開催します!(※終了しました)”. 大阪市. 2012年10月1日閲覧。

参考資料[編集]

  • 『大正区の歴史を語る』 大正区の歴史を語る会事務局編 発行 2005年

外部リンク[編集]