ポール・ベルモンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ポール・ベルモンド
Paul Belmondo par Claude Truong-Ngoc juillet 2013.jpg
ポール・ベルモンド(2013年)
基本情報
フルネーム Paul Alexandre Belmondo
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ブローニュ=ビヤンクール 
生年月日 1963年4月23日(51歳) 
F1での経歴
所属チーム '92 マーチ
'94 パシフィック
活動時期 1992,1994
出走回数 27
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1992年南アフリカGP
最終戦 1994年オーストラリアGP
タイトル 0
テンプレートを表示

ポール・アレクサンドル・ベルモンドPaul Alexandre Belmondo, 1963年4月23日 - )は、フランスの元F1ドライバー。

概要[編集]

生い立ち[編集]

フランスを代表する人気俳優ジャン=ポール・ベルモンドの息子としてパリ郊外のブローニュ=ビヤンクールで生まれる。1981年モナコステファニー王女恋人であるとして報道されている。

デビュー[編集]

レーシングカートを経て1982年にフォーミュラ・ルノーに参戦し、1984年にはフランスF3選手権にステップアップした。1987年からは国際F3000選手権にステップアップするが、目立った実績は残せなかった。

F1[編集]

1992年[編集]

1992年に、前年まで活動していたレイトンハウスチームの参戦停止を受けて、過去のチーム名に戻したマーチF1チームのセカンドドライバーとして参戦を開始した。

しかし、メインスポンサーを失い開発の予算もままならないことから、ファーストドライバーのカール・ヴェンドリンガーともども前年からほとんど進化していないマシンに手こずることとなる。ハンガリーGPでは安定したレース運びで9位に食い込むものの、シーズン途中で新たなスポンサーを持ち込んだエマニュエル・ナスペッティと交代させられシートを失う。

1994年[編集]

マーチが1992年シリーズ一杯で撤退したことなどを受け、1993年はF1のシートを得られなかったものの、1994年シーズンから新たに参戦したパシフィックのセカンドドライバーとして再びシーズン参戦を果たす。

しかし、同チームのシャシーは1991年レイナードがF1参戦を狙った際にロリー・バーンパット・シモンズが設計したものに改良を施し、イルモアの型落ちエンジンを搭載したものであり、2台そろって予選を通過したのはカール・ヴェンドリンガーのクラッシュでザウバーが欠場したモナコGPシムテックアンドレア・モンテルミーニがクラッシュしたスペインGPのみという状況であった。

結果的に全シーズンを通じてベルモンドが決勝に出たのはこの2レースだけで完走はなし。ファーストドライバーでベテランのベルトラン・ガショーも決勝進出は5レースだけであった(彼も完走なし)。

その後[編集]

1994年シーズン限りでF1を去り、その後はFIA GT選手権に活動の場を移し、1999年からは同選手権に「ポール・ベルモンド・レーシング」のオーナー兼ドライバーとしてクライスラーバイパーGTS-Rで参戦していた。また、パリ・ダカールラリール・マン24時間レースにほぼ毎年参戦している他、俳優としてテレビドラマ映画にも数多く出演している。

関連項目[編集]