SHOEI
| 種類 | 株式会社 | |||
|---|---|---|---|---|
| 市場情報 |
|
|||
| 本社所在地 | 〒110-0005 東京都台東区上野5丁目8番5号 |
|||
| 設立 | 1959年3月17日 | |||
| 業種 | その他製品 | |||
| 代表者 | 代表取締役社長 安河内曠文 | |||
| 資本金 | 13億9,477万円 | |||
| 売上高 | 単体89億円、連結103億円 (2009年9月期) |
|||
| 純資産 | 単体44億円、連結67億円 (2009年9月) |
|||
| 総資産 | 単体56億円、連結84億円 (2009年9月) |
|||
| 従業員数 | 492名(2008年9月30日現在) | |||
| 決算期 | 9月30日 | |||
| 外部リンク | http://jp.shoei.com/ |
株式会社SHOEI(ショウエイ)は、ヘルメットなどを製造販売する企業である。
目次 |
沿革 [編集]
1954年3月、鎌田ポリエステルとして創業。鎌田栄太郎がオートバイレース用のヘルメットを製造し始める。栄太郎は新橋で旅館業を営んでおり、出張などでホンダの社員などが宿泊していた。外国からの輸入物への不満、頭形と呼ばれる頭の形の差から出る不快感などのホンダの社員たちの話から国産のヘルメットを作ることを始めたのだという。始めのころはリヤカーにヘルメットを積んで納品した。1960年に東京工場でJIS規格適合のヘルメットを生産し始める。
1959年に昭栄化工株式会社設立。1965年には本田技研工業により純正ヘルメットとして採用された。1968年に茨城工場を建設、7月にはアメリカ現地法人を設立した。
1980年代ころにはすでに世界一の生産量を誇るヘルメットメーカーに成長していた。1986年には当時本田技術研究所より独立し設計事務所を営んでいたCKデザインの佐々木が車体総合の技術者であることから技術顧問として契約し、佐々木提案によるヘルメットの快適性をテーマにヘルメットの風切音、換気性などを向上解決し、ただの頭を守るだけの機能のヘルメットは快適性を備えたものでなくてはならないという今日のヘルメットへと成長を遂げた。この機能を具備したヘルメットはオンロード用だけのとどまらず、オフロードも含め波及した。この時代には新橋の鎌田の旅館は本社ビルに改装され一階は日本料理屋として打合せなどにも活用されていた。旅館の息子というだけあって鎌田の料理の腕前もなかなかのものだった。
1992年、放漫経営などが原因で資金繰り難に陥り会社更生法の適用を申請する。三菱商事が再建に協力し、当初計画を前倒しして1998年に更生手続き終了、株式会社シヨウエイの社名変更を経て現社名に変更する。
2004年、ジャスダックに上場するが、2007年10月7日上場廃止。同年東京証券取引所2部に上場。
エピソード [編集]
以前は4輪レース用のヘルメットも製造し、アイルトン・セナ、ゲルハルト・ベルガー、F1デビュー時のミハエル・シューマッハも同社のヘルメットを着用していた。現在の製品ラインナップは2輪用のみである。MotoGPではマルク・マルケスやトニー・エリアスらが着用している。 世界GPに参戦するエディ・ローソンにヘルメットを供給していた同社は、彼がトップッグレードのヘルメットではなく、セカンドグレードのヘルメットを使っていることに疑問を抱き、エディに理由を聞いたところ、「こっちのほうが風切り音が少ないから」と答えた。時速300キロに達することもあるレース中、ライダーは常に暴風の真っ只中にいるような風切り音にさらされる。ショウエイの技術者は、さして注意を払っていなかった(あえて無視していた)が、エディが神経を使っていた事に驚き、その塊のような空気抵抗と闘いながら走るチャンピオンの意見を無視することも出来ず、後の、空気抵抗の影響がより少ないX-8の特徴的なシールド開発へとつながっていった。
2011年の東日本大震災では岩手と茨城の両工場が被災した。損害額は6,300万円であった。
ラインナップ [編集]
フルフェイス [編集]
- X-TWELVE
- XR-1100
- Z-6
- QWEST
- X-KIDS(子供用)
フリップアップ [編集]
- MULTITEC
オープンフェイス(ジェット) [編集]
- J-FORCEⅢ
- J-STREAM
- MASH-X
- FREEDOM
- SR-J(子供用)
- TJ-72(特大サイズ)
オフロード・トライアル [編集]
- VFX-W
- HORNET-DS
- TR-3
※2011年12月現在