マラト・サフィン(Marat Safin, ラテン翻字: Marat Mikhailovich Safin, ロシア語: Мара́т Миха́йлович Са́фин, 1980年1月27日 - )は、ロシア・モスクワ出身の元男子プロテニス選手、政治家。2000年の全米オープンと2005年の全豪オープン男子シングルスで優勝し、18人目となる世界ランキング1位(2000年11月)にもなった。ATPツアーでシングルス15勝、ダブルス2勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。6歳年下の妹ディナラ・サフィナも2009年4月に女子テニス世界ランキング1位になり、マラトとディナラは“兄妹世界1位”を実現させた。
[編集] 来歴
元プロテニスプレーヤーの母親の指導下、父の経営するスパルタ・テニスクラブ(英語版)で練習していたサフィンは、14歳の時にスペインバレンシアのクラブに移り、さらにトレーニングを積み重ねていった。
経済面で苦しむ中、1997年にプロ入りする。1998年4月から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのロシア代表選手になる。同年5月末の全仏オープンで予選を勝ち上がったサフィンは、本戦の1回戦でアンドレ・アガシ、2回戦で大会前年優勝者のグスタボ・クエルテンを破る大活躍で有名になった。この時は地元フランスのセドリック・ピオリーンとの4回戦まで勝ち進んでいる。この年は全米オープンでも4回戦まで進出し、18歳の早熟な才能を世界にアピールした。
2000年は彼にとって飛躍の年となった。全仏オープンでベスト8に進出し、世界トップ10入りを果たす。同年の全米オープン決勝でピート・サンプラスを 6-4, 6-3, 6-3 のストレートで破り、20歳の若さで4大大会初優勝を果たした。20歳の若者が、ほぼ完璧な試合内容でサンプラスを打ち破って初優勝したことは大きな評判となり、翌年の5月には第2回「ローレウス世界スポーツ賞」の「最優秀新人賞」を授与されている。結局2000年は7大会で優勝し、11月20日付けのランキングで世界1位になるなど(年間最終ランキングは僅差で2位)名実共に世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たす。
2001年はウィンブルドン選手権でベスト8に進み、本大会の優勝者となったゴラン・イワニセビッチに 6-7, 5-7, 6-3, 6-7 で敗れた。全米オープンでは、準決勝でサンプラスに敗れて大会連覇を逃した。この年、フェデラーとダブルスを組んだ、スイスのグシュタードの大会でダブルス初優勝を飾っている。
2002年の全豪オープンでは4回戦でサンプラスを破り、準決勝でトミー・ハース(ドイツ)をフルセットの末に下して、2度目の4大大会決勝に進出するが、トーマス・ヨハンソン(スウェーデン)に敗れて準優勝に終わる。全仏オープンではベスト4に入り、ファン・カルロス・フェレーロ(スペイン)に敗れた。
2004年の全豪オープンではノーシードからトッド・マーティン、ジェームズ・ブレークといった実力者を下し、準々決勝では当時世界ランク1位のアンディ・ロディックを 2-6, 6-3, 7-5, 6-7, 6-4 で、準決勝ではアンドレ・アガシを 7-6, 7-6, 5-7, 1-6, 6-3 で破り、2年ぶり2度目の全豪決勝に勝ち進んだ。決勝ではフェデラーの前に敗れるが、前年のブランクからの完全復活を強く印象づけた。またATPマスターズシリーズの1つであるパリ・マスターズでラデク・ステパネク(チェコ)を破り、大会最多タイとなる3度目の優勝を飾っている。
2005年の全豪オープンでは、準決勝で4時間28分の激戦の後にフェデラーを 5-7, 6-4, 5-7, 7-6, 9-7 で倒すと、決勝で地元オーストラリアのレイトン・ヒューイットを 1-6, 6-3, 6-4, 6-4 で破り、“3度目の正直”で全豪初優勝を果たした。
その後は怪我のためツアーを離脱することが多く、また満足いくプレーが出来ずにいたが、2008年のウィンブルドンにて、28歳にして初のベスト4入りを果たす。サフィンはこの大会の2回戦で、当年度の全豪オープン優勝者ノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破って波に乗り、それまで好成績の少なかったウィンブルドンで自己最高成績を出したが、準決勝では第1シードのロジャー・フェデラーにストレートで敗れた。
2009年はほとんどの大会で早々の敗退が続き、母国ロシアのサンクトペテルブルクの大会で準決勝に進んだのが最高だった。BNPパリバ・マスターズでの対フアン・マルティン・デル・ポトロ戦が現役最後の試合となり、61位でそのキャリアを終えた。
サフィンはデビスカップのロシア代表選手としても、2002年・2006年と2度ロシア・チームの優勝に貢献した。2002年のデ杯決勝でフランス・チームを破った勝利は、ロシアのデビスカップ初優勝であった。
2000年(2位)、2002年(3位)、2004年(4位)と3度、年末トップ10に入り、テニス・マスターズ・カップにも出場した(うち準決勝進出2度)。2000年から2001年にかけて、合計9週間に渡って世界1位に君臨し、ツアー通算15勝には、4大大会2勝とマスターズシリーズ5勝が含まれている。
サフィンは2011年12月のロシア連邦議会下院選挙に統一ロシアから立候補して当選し、政治家になった[1]。
[編集] ATPツアー決勝進出結果
[編集] シングルス: 27回 (15勝12敗)
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| サーフェス別タイトル |
| ハード (10-5) |
| クレー (2-4) |
| 芝 (0-1) |
| カーペット (3-1) |
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| 結果 |
No. |
決勝日 |
大会 |
サーフェス |
対戦相手 |
スコア |
| 優勝 |
1. |
1999年8月23日 |
ボストン |
ハード |
グレグ・ルーゼドスキー |
6–4, 7–6(13–11) |
| 準優勝 |
1. |
1999年11月7日 |
パリ |
カーペット (室内) |
アンドレ・アガシ |
6–7(1–7), 2–6, 6–4, 4–6 |
| 優勝 |
2. |
2000年4月24日 |
バルセロナ |
クレー |
フアン・カルロス・フェレーロ |
6–3, 6–3, 6–4 |
| 優勝 |
3. |
2000年5月1日 |
マヨルカ |
クレー |
ミカエル・ティルストロム |
6–4, 6–3 |
| 準優勝 |
2. |
2000年5月21日 |
ハンブルク |
クレー |
グスタボ・クエルテン |
4–6, 7–5, 4–6, 7–5, 6–7(3–7) |
| 優勝 |
4. |
2000年7月31日 |
トロント |
ハード |
ハレル・レビ |
6–2, 6–3 |
| 準優勝 |
3. |
2000年8月20日 |
インディアナポリス |
ハード |
グスタボ・クエルテン |
6–3, 6–7(2–7), 6–7(2–7) |
| 優勝 |
5. |
2000年8月28日 |
全米オープン |
ハード |
ピート・サンプラス |
6–4, 6–3, 6–3 |
| 優勝 |
6. |
2000年9月11日 |
タシケント |
ハード |
ダビデ・サンギネッティ |
6–3, 6–4 |
| 優勝 |
7. |
2000年11月6日 |
サンクトペテルブルク |
ハード (室内) |
ドミニク・フルバティ |
2–6, 6–4, 6–4 |
| 優勝 |
8. |
2000年11月13日 |
パリ |
カーペット (室内) |
マーク・フィリプーシス |
3–6, 7–6(9–7), 6–4, 3–6, 7–6(10–8) |
| 準優勝 |
4. |
2001年2月4日 |
ドバイ |
ハード |
フアン・カルロス・フェレーロ |
2–6, 3–6 |
| 優勝 |
9. |
2001年9月10日 |
タシケント |
ハード |
エフゲニー・カフェルニコフ |
6–2, 6–2 |
| 優勝 |
10. |
2001年10月22日 |
サンクトペテルブルク |
ハード (室内) |
ライナー・シュットラー |
3–6, 6–3, 6–3 |
| 準優勝 |
5. |
2002年1月27日 |
全豪オープン |
ハード |
トーマス・ヨハンソン |
6–3, 4–6, 4–6, 6–7(4–7) |
| 準優勝 |
6. |
2002年5月19日 |
ハンブルク |
クレー |
ロジャー・フェデラー |
1–6, 3–6, 4–6 |
| 優勝 |
11. |
2002年10月28日 |
パリ |
カーペット (室内) |
レイトン・ヒューイット |
7–6(7–4), 6–0, 6–4 |
| 準優勝 |
7. |
2003年4月27日 |
バルセロナ |
クレー |
カルロス・モヤ |
7–5, 2–6, 2–6, 0–3 途中棄権 |
| 準優勝 |
8. |
2004年2月1日 |
全豪オープン |
ハード |
ロジャー・フェデラー |
6–7(3–7), 4–6, 2–6 |
| 準優勝 |
9. |
2004年4月18日 |
エストリル |
クレー |
フアン・イグナシオ・チェラ |
7–6(7–2), 3–6, 3–6 |
| 優勝 |
12. |
2004年9月13日 |
北京 |
ハード |
ミハイル・ユージニー |
7–6(7–4), 7–5 |
| 優勝 |
13. |
2004年10月18日 |
マドリード |
ハード (室内) |
ダビド・ナルバンディアン |
6–2, 6–4, 6–3 |
| 優勝 |
14. |
2004年11月1日 |
パリ |
カーペット (室内) |
ラデク・ステパネク |
6–3, 7–6(7–5), 6–3 |
| 優勝 |
15. |
2005年1月17日 |
全豪オープン |
ハード |
レイトン・ヒューイット |
1–6, 6–3, 6–4, 6–4 |
| 準優勝 |
10. |
2005年6月12日 |
ハーレ |
芝 |
ロジャー・フェデラー |
4–6, 7–6(8–6), 4–6 |
| 準優勝 |
11. |
2006年10月9日 |
モスクワ |
ハード (室内) |
ニコライ・ダビデンコ |
4–6, 7–5, 4–6 |
| 準優勝 |
12. |
2008年10月4日 |
モスクワ |
ハード (室内) |
イーゴリ・クニツィン |
6–7(6–8), 7–6(7–4), 3–6 |
[編集] ダブルス: 6回 (2勝4敗)
[編集] 4大大会優勝
[編集] 4大大会シングルス成績
- 略語の説明
| NH |
開催なし |
A |
欠場 |
LQ |
予選敗退 |
#R |
#回戦敗退 |
QF |
ベスト8 |
SF |
ベスト4 |
F |
準優勝 |
W |
優勝 |
※: 2003年全豪の不戦敗は通算成績に含まない
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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男子テニス世界ランキング1位 |
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| 1973年8月23日のATPランキング導入以降の記録 · (最初に在位した年-最後に在位した年 - 在位総週) · 現在の1位は強調表示, 2011年7月4日更新 |
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