統一ロシア
| 統一ロシア Единая Россия |
|
|---|---|
| 党首 | ドミートリー・メドヴェージェフ |
| 下院会派代表 | アンドレイ・ヴォロビヨフ |
| 成立年月日 | 2001年12月1日 |
| 本部所在地 |
〒-
モスクワ |
| 国家院(国家会議)議席数 |
238 / 450
(53%)
|
| 党員・党友数 |
198万人
|
| 政治的思想・立場 | 保守主義、ロシア・ナショナリズム |
| 公式サイト | www.ER.ru |
| シンボル | 党ロゴマーク |
統一ロシア(とういつロシア、ロシア語: Единая Россия イヂーナヤ・ラッスィーヤ)は、ロシアの政党で、現在の政権与党。党首は2012年よりドミートリー・メドヴェージェフが務める。
目次 |
歴史 [編集]
1999年の下院選前に、強い与党の創設を目論んだ政権側の肝いりで有力州知事らがショイグ非常事態相を党首に結成した政党「統一」と、同1999年にルシコフ・モスクワ市長らが結成した中道左派連合「祖国・全ロシア」が、2001年12月1日に統合して成立した。
2002年11月、党最高評議会ビューロー(執行部)議長(党首)にグルイズロフ内相が選出された。翌2003年の下院選で統一ロシアは圧勝し第一党となる。選挙後に召集された議会でグルイズロフは下院議長に就任した。2004年11月の党大会で、グルイズロフが党最高評議会ビューロー議長に再選される。
2006年12月2日、エカテリンブルクで党大会が開催された。党大会ではグルイズロフ下院議長・党首、ルシコフら地方政府代表が参加した。この党大会では今後10年間の国家建設の指針となる「国家発展戦略」を採択した。同戦略は2007年ロシア下院選挙及び、2008年ロシア大統領選挙に向けての党の公約でもある。一方で党内ではシロヴィキと反シロヴィキの駆け引きが熾烈なものとなり、党役員改選では、当初、役員に選出されると予想されていたロシア鉄道のウラジーミル・ヤクーニン社長が選出されなかった。
2007年の下院選挙では、プーチン大統領が党の比例代表名簿一位となり、国民の支持を集め、政権与党としての有利さを最大限生かして大勝し6割以上の議席を獲得する[1]。2008年の大統領選ではドミートリー・メドヴェージェフ第一副首相を支持した。同年4月15日、プーチンは党大会に出席し、次期党議長(党首)への就任を受諾した。同年5月7日、プーチンは大統領退任とともに正式に党首に選出された。
ロシアで2009年現在絶大な影響力を誇る統一ロシアであるが、2008年からの世界同時不況で人気に陰りが見え始めたと言う指摘がある。2009年3月にはトベリ市議会選でロシア連邦共産党に第一党の地位を奪われ、スモレンスクやエカテリンブルク近郊の首長選でも統一ロシアの候補は当選できなかった[2]。また、金融危機の進展次第では今後プーチンの人気が急落し、2012年に大統領選が実施された場合、プーチンが当選できないのではないかとの見方も出始めている[3]。とはいえプーチンは、現在も高い支持率を保っている(2009年8月の調査では73%の支持率[4])。
2011年ロシア下院選挙では3233万1244票(49.29%)を獲得し、238議席を得た。2012年ロシア大統領選挙でも勝利を収めた。
しかし、その後もロシアの中核都市の市長選で統一ロシア候補が惨敗するなど、地方選挙では苦戦を強いられている。「ニェザヴィーシマヤ・ガゼータ」は「ロシア国民の目が肥えてきた」と論評している[5]。
2012年5月26日、党首にドミートリー・メドヴェージェフ首相を選出した[6]。
2011年の下院選を終えたあたりから、統一ロシアの国民的イメージは選挙不正や統一ロシア議員の不祥事などから低下しており、プーチン大統領は統一ロシアを事実上見限り、超党派の国民運動体「全ロシア人民戦線」を2013年6月に正式な社会団体に格上げすることで自身の権力の安泰を図ろうとしている[7]。
政治的立場 [編集]
プーチン大統領支持だけを旗印にさまざまな思想信条を持つ政治家らが集まった「寄せ集め」政党との指摘もある。中道を標榜するものの、2006年10月に、より中道左派色の強い公正ロシアが結成されたため、実際には穏健な保守あるいは中道右派とみなされることが現在では多くなっている。結成当初は中道左派・社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルの会合に代表を参加させたこともあるが、その後は相対的に保守色が強まっていると考えられる。
日本の政党との関係 [編集]
日本の自由民主党とは、2002年以来、政党間交流を行うなど友党関係にある。統一ロシアの地方組織は、日本の自民党を参考にして作られたものであるという[8]。また2011年11月26-27日に行われた党大会には民主党の国際局長を務める渡辺浩一郎衆議院議員が出席。野田佳彦代表(内閣総理大臣)の親書をコサチョフ国家院国際問題委員長に手渡し、両者は党間交流の推進で合意している[9]。
評価 [編集]
旧ソビエト連邦最後の最高指導者を務めたミハイル・ゴルバチョフは、統一ロシアについて「統一ロシアは旧ソ連共産党のできの悪いコピーだ」とメディアに語っている[10]。
脚注 [編集]
- ^ 「ロシア下院に多数党が誕生」 ノーボスチ・ロシア通信社、2007年12月4日。
- ^ “【09衆院選 海外の目】日露与党 蜜月の終焉 学ぶべき衰退の経緯”. 産経新聞. (2009年8月26日) 2009年8月27日閲覧。
- ^ “露の“双頭体制”が1年、識者は「金融危機が政権を左右」”. 産経新聞. (2009年5月5日) 2009年8月27日閲覧。
- ^ 「プーチン氏支持率73% 政界登場10年、揺るがぬ人気」 朝日新聞、2009年8月10日、2009年10月23日閲覧。
- ^ しんぶん赤旗 2012年4月5日 国際欄
- ^ (日本語) “「統一ロシア」のために革命を!”. ロシアの声ホームページ (2012年5月26日). 2012年6月3日閲覧。
- ^ “超党派で権力基盤強化 プーチン氏 「人民戦線」が本格始動へ”. 産経新聞. (2013年4月1日) 2013年4月3日閲覧。
- ^ 「武部幹事長が「統一ロシア」の訪日団と会談」 自由民主党ホームページ、2004年11月1日。[リンク切れ]
- ^ “プーチン党首(首相)宛の野田代表(首相)親書を手交”. 民主党. 2011年12月25日閲覧。
- ^ “次の露大統領はどっち? ポスター合戦勃発”. 産経新聞. (2011年7月29日) 2011年8月5日閲覧。
外部リンク [編集]
- 統一ロシアホームページ (ロシア語)
|
||||||||||||||||||