セドリック・ピオリーン

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セドリック・ピオリーン
Cédric Pioline at the 2010 US Open 02.jpg
基本情報
ラテン文字名 Cédric Pioline
フルネーム Cédric Adrien Pioline
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ヌイイ=シュル=セーヌ
生年月日 1969年6月15日(43歳)
身長 187cm
体重 79kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1989年
引退年 2002年
ツアー通算 6勝
シングルス 5勝
ダブルス 1勝
生涯通算成績 430勝368敗
シングルス 389勝318敗
ダブルス 41勝50敗
生涯獲得賞金 $6,921,029
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(1998)
全仏 ベスト4(1998)
全英 準優勝(1997)
全米 準優勝(1993)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(1990)
全仏 ベスト8(1989)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 5位(2000年5月8日)
ダブルス 93位(2003年1月13日)

セドリック・アドリアン・ピオリーンCédric Adrien Pioline, 1969年6月15日 - )は、フランスヌイイ=シュル=セーヌ出身の男子プロテニス選手。1993年全米オープン1997年ウィンブルドンで、4大大会に2度の準優勝がある。シングルス自己最高ランキングは5位。ATPツアーでシングルス5勝、ダブルス1勝を挙げた。身長187cm、体重79kg、右利き。フランス語の読みにより近い「ピオリーヌ」という表記も多く見られる。オールラウンド・プレーヤー。

経歴 [編集]

ピオリーンは16歳という非常に遅い年齢からテニスを始めたが、極めて高い運動能力の持ち主だった。1989年に20歳でプロ入りし、1991年に世界ランキングトップ50位以内に入る。1993年ウィンブルドンで初のベスト8に入り、同年の全米オープンで第15シードから決勝進出を果たす。この大会で、ピオリーンは4回戦で第1シードのジム・クーリエを 7-5, 6-7, 6-4, 6-4 で破る波乱を演じたが、決勝でピート・サンプラスに 4-6, 4-6, 3-6 のストレートで完敗した。この年は男子ツアーで5度の決勝進出があり(いずれも準優勝止まり)、初めて世界ランキングトップ10入りを果たしている。1995年ウィンブルドンで2年ぶり2度目のベスト8に入ったが、準々決勝でボリス・ベッカーに 3-6, 1-6, 7-6, 7-6, 7-9 で惜敗した。2セット・ダウン(先に相手に2セットを取られた状態)から、第3・第4セットのタイブレークを連取して最終第5セットに持ち込んだが、フランス人挑戦者の執念は実らなかった。

1996年3月、ピオリーンはようやくデンマークコペンハーゲンの大会で待望のツアー初優勝を実現させた。翌1997年ウィンブルドンで4年ぶり2度目の4大大会決勝進出を果たした時、ピオリーンは準決勝で1991年の優勝者ミヒャエル・シュティヒを 6-7, 6-2, 6-1, 5-7, 6-4 のフルセットで破っている。シュティヒはこの大会を最後に現役を引退した。しかし決勝ではまたもやピート・サンプラスに 4-6, 2-6, 4-6 のストレートで敗れ、4大大会で2度目の準優勝に終わった。1998年は地元の全仏オープンで初のベスト4に進出したが、準決勝でスペインアレックス・コレチャに 3-6, 4-6, 2-6 で敗れた。ウィンブルドンでは1999年にもベスト8に進出し、1993年・1995年・1997年(準優勝)・1999年と2年おきに準々決勝へ名乗りを上げている。2000年にツアーで年間2勝を挙げた。

ピオリーンの現役生活を通じて、サンプラスには極端に苦手意識が強く、9度の対戦で1度も勝てなかった。2002年のシーズンを最後に現役を引退し、現在は35歳以上の現役引退選手を対象とするシニア・ツアーに参戦している。

外部リンク [編集]