フェドカップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
フェドカップ
今シーズン・大会:
フェドカップ2014
分類 テニス
創立 1963年
参加チーム 8 (ワールドグループ)
95 (総計)
ITF加盟国
前回優勝チーム  チェコ
テンプレートを表示
フェドカップ

フェドカップ(Fed Cup)は、1963年から開催されている女子テニスの国別対抗戦である。男子のデビスカップに相当する。1963年国際テニス連盟(International Tennis Federation)設立50周年を記念して、第1回大会が行われた。最初の名称は「連盟」の名前を取って「フェデレーション・カップ」(Federation Cup)といったが、1995年から現在の名称「フェドカップ」に変更された。男子同様、BNPパリバ・フェドカップ(Fed Cup by BNP Paribas)として開催されている。

歴史[編集]

  • 1976年から1982年まで、アメリカが大会7連覇を達成する。
  • 1981年 フェデレーション・カップが初めて日本に誘致される。この時の会場は「多摩川園ラケットクラブ」だった。
  • 1985年 フェデレーション・カップが2度目の日本誘致。この時は愛知県の「名古屋グリーンクラブ」で行われる。
  • 1989年 フェデレーション・カップが3度目の日本誘致。この時は東京有明コロシアムで行われた。アメリカ・チームが2年連続14度目の優勝を飾ったが、クリス・エバートの現役最後の試合がこのフェデレーション・カップであった。
  • 1991年 この年のフェデレーション・カップで、当時の女子テニス界のトップ選手であった3名が各国の代表選手を辞退する。モニカ・セレシュユーゴスラビア代表、当時最年少世界ランキング1位になったばかり)、ガブリエラ・サバティーニアルゼンチン代表、1988年ソウル五輪銀メダリスト)、マルチナ・ナブラチロワアメリカ代表)の3選手に対して、国際テニス連盟は翌1992年に行われるバルセロナ五輪の出場を禁止する措置を発表した。ここで重視された論点は「国の代表選手」としての役割である。オリンピック代表選手がこの役割を担う以上、自国の代表としてフェデレーション・カップへの出場を拒否する選手は、五輪代表にはふさわしくないのである。この年のフェデレーション・カップが今後の型となり、テニスにおけるオリンピック代表選手の選考資格に「フェドカップの代表選手であること」が必須事項の1つとなった。この年の優勝チームはスペインで、アランチャ・サンチェスコンチタ・マルチネスのコンビが女子団体戦に君臨し始める。
  • 1992年 ドイツ・チームが5年ぶり2度目の優勝。1990年10月3日に実現した東西ドイツ再統一により、この時は「統一ドイツ代表」となっていた。シュテフィ・グラフアンケ・フーバーの2人を軸にして得た優勝だったが、これ以後ドイツはフェドカップの優勝から遠ざかっている。
  • 1993年から1995年まで、スペイン・チームが大会3連覇を達成する。
  • 1995年 この年から、男子国別対抗戦の「デビスカップ」に倣って、各国が前年度の成績に基づいて「グループ」に振り分けられる。日本チームは当時の最高位置である「ワールドグループ」8ヶ国に入った。
  • 1996年 日本が「ワールドグループ」1回戦でドイツを3勝2敗で破り、初の準決勝に進出。準決勝ではアメリカに敗退。
  • 1997年 3月1日-2日に行われたワールドグループ1回戦で、日本はフランスに敗退。

大会の流れ[編集]

  • 1994年までは、資格のある32ヶ国が1箇所に集まってトーナメント方式で行っていたが、1995年から男子のデビスカップと同様のグループ方式になる。
  • 大会は年一度開催される。
  • 現在はワールドグループ(16ヶ国チームが所属)を頂点として、その下に3つの地域ゾーンがある。それぞれの地域ゾーン内はさらに6ヶ国~10ヶ国チームずつの構成でクラス分けがされていて、ワールドグループ所属チームを含めて95ヶ国(2007年現在)のチームが参加している。(構成の詳細はデビスカップの解説を参考)
  • ワールドグループはⅠとⅡに分けている。大会ではグループⅡの1回戦の勝者チームが次シーズンのグループⅠへの昇格を賭けてグループⅠの一回戦敗者チームとそれぞれ入れ替え戦に望む。グループⅠの1回戦勝者チームはそのまま大会優勝を目指してトーナメントでの対抗戦を行う。(2007年現在)
  • 各対戦は3セットマッチ制(試合の方法の詳細はテニスの記事を参照)の試合をシングルス4試合ダブルス1試合(1日目シングルス2試合、2日目シングルス2試合ダブルス1試合)の合計5試合で行われる。(2007年現在)

日本の挑戦[編集]

歴代優勝国[編集]

以下はこれまでの決勝戦の記録である。

年度 優勝国 スコア 準優勝国 決勝会場 (サーフェス)[1] 都市
1963  アメリカ合衆国 (1) 2–1  オーストラリア (1) クイーンズ・クラブ (G) 英・ロンドン
1964  オーストラリア (1) 2–1  アメリカ合衆国 (1) ジャーマンタウン・クリケット・クラブ (G) アメリカ・フィラデルフィア
1965  オーストラリア (2) 2–1  アメリカ合衆国 (2) Kooyong Club (G) 豪・メルボルン
1966  アメリカ合衆国 (2) 3–0  西ドイツ (1) Turin Press Sporting Club (C) 伊・トリノ
1967  アメリカ合衆国 (3) 2–0  イギリス (1) Blau-Weiss T.C. (C) 西ベルリン
1968  オーストラリア (3) 3–0  オランダ (1) スタッド・ローラン・ギャロス (C) 仏・パリ
1969  アメリカ合衆国 (4) 2–1  オーストラリア (2) Athens Tennis Club (C) ギリシャ・アテネ
1970年  オーストラリア (4) 3–0  西ドイツ (2) Freiburg T.C. (C) 西独・フライブルク
1971  オーストラリア (5) 3–0  イギリス (2) Royal King's Park T.C. (G) 豪・パース
1972年  南アフリカ共和国 (1) 2–1  イギリス (3) Ellis Park (H) 南ア・ヨハネスブルク
1973年  オーストラリア (6) 3–0  南アフリカ共和国 (1) Bad Homburg T.C. (C) 西独バート・ホンブルク
1974年  オーストラリア (7) 2–1  アメリカ合衆国 (3) Naples T.C. (C) 伊・ナポリ
1975年  チェコスロバキア (1) 3–0  オーストラリア (3) Aixoise C.C. (C) 仏・エクス=アン=プロヴァンス
1976年  アメリカ合衆国 (5) 2–1  オーストラリア (4) The Spectrum (ICp) 米・フィラデルフィア
1977年  アメリカ合衆国 (6) 2–1  オーストラリア (5) Devonshire Park (G) 英・イーストボーン
1978年  アメリカ合衆国 (7) 2–1  オーストラリア (6) クーヨン・クラブ (G) 豪・メルボルン
1979年  アメリカ合衆国 (8) 3–0  オーストラリア (7) RSHE Club Campo (C) 西・マドリード
1980年  アメリカ合衆国 (9) 3–0  オーストラリア (8) Rot-Weiss Tennis Club (C) 西ベルリン
1981年  アメリカ合衆国 (10) 3–0  イギリス (4) 田園テニス倶楽部 (C) 日・東京
1982年  アメリカ合衆国 (11) 3–0  西ドイツ (3) Decathlon Club (H) 米・サンタクララ
1983年  チェコスロバキア (2) 2–1  西ドイツ (4) Albisguetli T.C. (C) スイス・チューリッヒ
1984年  チェコスロバキア (3) 2–1  オーストラリア (9) Pinheiros Sports Club (C) ブラジル・サンパウロ
1985年  チェコスロバキア (4) 2–1  アメリカ合衆国 (4) 名古屋テニスグリーン (H) 日・名古屋
1986年  アメリカ合衆国 (12) 3–0  チェコスロバキア (1) Štvanice Stadium (C) チェコスロバキア・プラハ
1987年  西ドイツ (1) 2–1  アメリカ合衆国 (5) Hollyburn C.C. (H) 加・バンクーバー
1988年  チェコスロバキア (5) 2–1  ソビエト連邦 (1) Flinders Park (H) 豪・メルボルン
1989年  アメリカ合衆国 (13) 3–0  スペイン (1) 有明テニスの森公園(H) 日・東京
1990年  アメリカ合衆国 (14) 2–1  ソビエト連邦 (2) Peachtree W.O.T. (H) 米・アトランタ
1991年  スペイン (1) 2–1  アメリカ合衆国 (6) ノッティンガム・テニスセンター (H) 英・ノッティンガム
1992年  ドイツ (2) 2–1  スペイン (2) ヴァルトシュタディオンTC (C) 独・フランクフルト
1993年  スペイン (2) 3–0  オーストラリア (10) ヴァルトシュタディオンTC (C) 独・フランクフルト
1994年  スペイン (3) 3–0  アメリカ合衆国 (7) ヴァルトシュタディオンTC (C) 独・フランクフルト
1995  スペイン (4) 3–2  アメリカ合衆国 (8) Valencia T.C. (C) 西・バレンシア
1996  アメリカ合衆国 (15) 5–0  スペイン (3) アトランティックシティ・コンベンションセンター (ICp) 米・アトランティックシティ
1997  フランス (1) 4–1  オランダ (2) Brabant Hall (ICp) 蘭・スヘルトーヘンボス
1998  スペイン (5) 3–2  スイス (1) Palexpo Hall (IH) スイス・ジュネーヴ
1999  アメリカ合衆国 (16) 4–1  ロシア (3) Taube Tennis Stadium (H) 米・スタンフォード
2000  アメリカ合衆国 (17) 5–0  スペイン (4) マンダレイ・ベイ (ICp) 米・ラスベガス
2001  ベルギー (1) 2–1  ロシア (4) Parque Ferial Juan Carlos I (IC) 西・マドリード
2002  スロバキア (1) 3–1  スペイン (5) Palacio de Congresos (IH) 西・グラン・カナリア島
2003  フランス (2) 4–1  アメリカ合衆国 (9) オリンピック・スタジアム (ICp) 露・モスクワ
2004  ロシア (1) 3–2  フランス (1) クリタツコエ・スポーツ・パレス (ICp) 露・モスクワ
2005  ロシア (2) 3–2  フランス (2) Court Philippe Chatrier (C) 仏・パリ
2006  イタリア (1) 3–2  ベルギー (1) スピロウドーム (IH) ベルギー・シャルルロワ
2007  ロシア (3) 4–0  イタリア (1) ルジニキ・スポーツ宮殿 (IH) 露・モスクワ
2008  ロシア (4) 4–0  スペイン (6) クラブ・デ・カンポ・ヴィラ・デ・マドリッド (C) 西・マドリード
2009  イタリア (2) 4–0  アメリカ合衆国 (10) Circolo del Tennis (C) 伊・レッジョ・ディ・カラブリア
2010  イタリア (3) 3–1  アメリカ合衆国 (11) サンディエゴ・スポーツ・アリーナ (IH) 米・サンディエゴ
2011  チェコ (6) 3–2  ロシア (5) オリンピック・スタジアム (IH) 露・モスクワ
2012  チェコ (7) 3–1  セルビア (1) O2 Arena (IH) チェコ・プラハ
2013  イタリア (4) 4–0  ロシア (6) Tennis Club Cagliari (C) カリャリ
2014  チェコ (8) 3–1  ドイツ (5) O2アリーナ (I) チェコ・プラハ

外部リンク[編集]

  1. ^ (G) - 芝, (C) - クレー, (H) - ハード, (Cp) - カーペット, (Ix) - 屋内