1975年ウィンブルドン選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

1975年 ウィンブルドン選手権(The Championships, Wimbledon 1975)は、イギリスロンドン郊外にある「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」にて、1975年6月23日から7月5日にかけて開催された。

大会の流れ[編集]

  • 男子シングルスは「128名」の選手による通常の7回戦制で行われた。シード選手は16名。
  • 女子シングルスは「96名」の選手による7回戦制で行われ、32名の選手は「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。シード選手は8名。シード選手でも、1回戦から出場した人と、2回戦から登場した人がいる。2回戦から登場した選手が初戦敗退の場合は「2回戦=初戦」と表記する。

シード選手[編集]

男子シングルス[編集]

  1. アメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズ (準優勝)
  2. オーストラリアの旗 ケン・ローズウォール (4回戦)
  3. スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ (ベスト8)
  4. アルゼンチンの旗 ギレルモ・ビラス (ベスト8)
  5. ルーマニアの旗 イリ・ナスターゼ (2回戦)
  6. アメリカ合衆国の旗 アーサー・アッシュ (初優勝)
  7. アメリカ合衆国の旗 スタン・スミス (1回戦)
  8. メキシコの旗 ラウル・ラミレス (ベスト8)
  9. オランダの旗 トム・オッカー (ベスト8)
  10. オーストラリアの旗 ジョン・アレクサンダー (2回戦)
  11. アメリカ合衆国の旗 ロスコー・タナー (ベスト4)
  12. チェコスロバキアの旗 ヤン・コデシュ (2回戦)
  13. アメリカ合衆国の旗 マーティー・リーセン (4回戦)
  14. アメリカ合衆国の旗 ビタス・ゲルレイティス (1回戦)
  15. ニュージーランドの旗 オニー・パルン (3回戦)
  16. オーストラリアの旗 トニー・ローチ (ベスト4)

女子シングルス[編集]

  1. アメリカ合衆国の旗 クリス・エバート (ベスト4)
  2. チェコスロバキアの旗 マルチナ・ナブラチロワ (ベスト8)
  3. アメリカ合衆国の旗 ビリー・ジーン・キング (優勝、2年ぶり6度目)
  4. オーストラリアの旗 イボンヌ・グーラゴング・コーリー (準優勝)
  5. オーストラリアの旗 マーガレット・スミス・コート (ベスト8)
  6. イギリスの旗 バージニア・ウェード (ベスト8)
  7. ソビエト連邦の旗 オルガ・モロゾワ (ベスト8)
  8. オーストラリアの旗 ケリー・レイド (2回戦、途中棄権)

大会経過[編集]

男子シングルス[編集]

準々決勝

準決勝

女子シングルス[編集]

準々決勝

準決勝

決勝戦の結果[編集]

男子シングルス
女子シングルス
男子ダブルス
女子ダブルス
混合ダブルス

みどころ[編集]

  • 男子シングルス優勝者のアーサー・アッシュは、黒人の男子テニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。アッシュは1968年全米オープン1970年全豪オープンに続く4大大会シングルス3勝目。黒人の女子選手では、アリシア・ギブソン1957年1958年にウィンブルドンで2連覇したことがあるが、男子選手はアッシュが最初であった。
  • 女子シングルス優勝者のビリー・ジーン・キング夫人は、6度目のウィンブルドン優勝により、4大大会シングルス通算「12勝」を記録した。ウィンブルドン女子シングルス「6勝」は選手権の単独5位記録で、総計「12勝」は女子歴代6位タイ記録。これがキング夫人の最後の4大大会女子シングルス優勝になった。
  • 女子ダブルス部門で、沢松和子が日本人女性として最初のウィンブルドン優勝を達成した。パートナーのアン清村は、日系人3世の選手である。沢松の快挙は、日本全国に大きな反響を呼んだ。

外部リンク[編集]


先代:
1975年全仏オープンテニス
テニス4大大会
1975年
次代:
1975年全米オープンテニス
先代:
1974年ウィンブルドン選手権
ウィンブルドン選手権
1975年
次代:
1976年ウィンブルドン選手権