ミス・ワールド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ミス・ワールド
設立年 1951年
種類 ミス・コンテスト
本部 ロンドン
位置 イギリスの旗 イギリス
公用語 英語
会長 ジュリア・モーリー
重要人物 エリック・モーリー
ウェブサイト www.missworld.com
テンプレートを表示

ミス・ワールドMiss World)は1951年イギリスロンドンで第1回大会が行われて以来、毎年開催されている世界を代表するミス・コンテスト[1][2]

歴史[編集]

1951年ビンゴ・ホールの経営者であったエリック・モーリー英語版が「Festival Bikini Contest」という名のイベントを企画した。これは、そのころ広まりつつあったビキニを着た女性の美人コンテストでありイギリスのみならず各国から参加者を集めたもので、スウェーデンから来た女性が優勝した。このイベントを新聞などが好奇心たっぷりに「ミス・ワールド」の名で報じたのが、この名の誕生の由来である。モーリーは、一度限り・単発のイベントとしてビキニコンテストを開催したが、この影響で、翌年からミス・ユニバースが始まったほか、後年のミス・インターナショナルミス・アースといった世界のミスコンが行われるようになった。

ミス・ユニバースの開催に刺激され、モーリーは世界で一番の美女を探そうという「ミス・ワールド」を毎年開催することに決めた[3][4]。第2回のミス・ワールドは、ビキニに替えてより刺激の少ない水着コンテストが行われた。1959年から、BBCがコンテストの模様を放送するようになり、テレビの普及とともにミス・ワールドも人気イベントとなっていった。

1980年代には「目的のある美」をスローガンとして単なる美人コンテストからの脱却を図ろうとし、美貌のほかに知性や個性も選考基準に加えるように基準を改めた[5]1990年代に入りテレビ中継される国はほぼ全世界におよび視聴者は20億人に達したが、一方で発祥の地イギリスでは古いタイプの見世物であり政治的に正しくないとの批判を浴びるようになり、1998年にFiveが放送を再開するまでイギリスでは1988年からの10年間放送されないという事態になった[6][7]

2000年に創設者エリックが死去して以降、現在のミス・ワールド機構会長はエリックの妻ジュリア・モーリーである。ジュリアの指揮した2001年大会はナイジェリア人が優勝し初のアフリカからのミス・ワールドが誕生したほか、コンテストの裏側の候補者の素顔や浜辺での水着シーンの放送、視聴者が電話やネットで投票に参加するなどリアリティ番組の要素が導入された。

コンテストは1990年代以降、ロンドンを離れて世界各地のリゾート地を中心に開催されている。2003年から2005年までの決勝誘致に成功した中国・海南省三亜など、リゾート地ではミス・ワールド決勝を誘致する動きが盛んだが、一方で宗教や地元の慣習との軋轢も起こっている。1996年バンガロール大会では現地のヒンドゥー教関係者や一般市民から開催反対運動を起こされた。また2002年大会ではナイジェリアの首都アブジャで開催される予定だったが、北部ナイジェリア出身のナイジェリア代表が地元ムスリム指導者から姦淫の罪で石打ちの刑にすると脅される事態となり、これを受けヨーロッパを中心に各国代表が辞退したり各国政府がナイジェリア代表の救済のために動いた結果、決勝開催地はロンドンに移された。

世界大会は200カ国以上で中継されている。

ミス・ワールド機構[編集]

ミス・ワールド機構(Miss World Organization)は世界の耳目を集めるミス・ワールド決勝を毎年開催・運営する。1951年の創設以来、ミス・ワールド機構は2億5,000万ポンド以上を子供たちへの寄付にあててきた。またミス・ワールド予選を行うフランチャイズ組織を世界140カ国で認定している。

コンテスト[編集]

ミス・ワールドの栄冠への道は長い。世界決勝の前年に、各国の候補者は国内予選で優勝するか、「ミス・ワールド」の名称を使用することを許可された各国フランチャイズ組織によって国家代表として認定されなければならない。各国代表が集結する世界決勝は1ヶ月もの長さに及ぶ。数回に及ぶさらなる選抜、その合間のパーティーやディナー、舞踏会、奉仕活動が続き、最後には各国代表は15人から20人まで絞られて世界に中継される決勝に臨む。

2003年以降は、世界決勝の期間中にファースト・トラックというイベントが入るようになった。これらのイベントで優勝した者は自動的に決勝に勝ち進む。これらのイベントは毎年内容が変わるが、以下はその一例である。

  • ビーチ・ビューティー(浜辺での水着コンテスト。毎回開催)
  • タレント(知性を競う)
  • ミス・スポーツ(体力を競う)
  • ビューティー・ウィズ・ア・パーパス(「目的のある美」、各国代表が地元で行ってきた社会奉仕活動の有意義さを審査する)
  • トップ・モデル
  • パーソナリティー
  • ピープル・チョイス(視聴者選考)
  • コンテスタンツ・チョイス(出場者同士の選考)

歴代のミス・ワールド[編集]

ミス・ワールド 会場
1951 Kicki Håkansson スウェーデンの旗 スウェーデン イギリスロンドン
1952 May Louise Flodin スウェーデンの旗 スウェーデン イギリス・ロンドン
1953 デニス・ペリエ フランスの旗 フランス イギリス・ロンドン
1954 Antigone Costanda エジプトの旗 エジプト イギリス・ロンドン
1955 Carmen Susana Duijim Zubillaga ベネズエラの旗 ベネズエラ イギリス・ロンドン
1956 ペトラ・シュルマン 西ドイツの旗 西ドイツ イギリス・ロンドン
1957 Marita Lindahl フィンランドの旗 フィンランド イギリス・ロンドン
1958 Penelope Anne Coelen 南アフリカの旗 南アフリカ連邦 イギリス・ロンドン
1959 Corinne Rottschafer オランダの旗 オランダ イギリス・ロンドン
1960 Norma Gladys Cappagli アルゼンチンの旗 アルゼンチン イギリス・ロンドン
1961 ローズマリー・フランクランド イギリスの旗 イギリス イギリス・ロンドン
1962 Catharina Johanna Lodders オランダの旗 オランダ イギリス・ロンドン
1963 キャロル・ジョーン・クロフォード ジャマイカの旗 ジャマイカ イギリス・ロンドン
1964 アン・シドニー イギリスの旗 イギリス イギリス・ロンドン
1965 レズリー・ラングリー イギリスの旗 イギリス イギリス・ロンドン
1966 Reita Faria インドの旗 インド イギリス・ロンドン
1967 Madeleine Hartog Bell ペルーの旗 ペルー イギリス・ロンドン
1968 ペネロペ・プラマー オーストラリアの旗 オーストラリア イギリス・ロンドン
1969 Eva Von Rueber-Staier オーストリアの旗 オーストリア ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1970 Jennifer Josephine Hosten グレナダの旗 グレナダ ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1971 Lucia Tavares Petterle ブラジルの旗 ブラジル ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1972 ベリンダ・ローマ・グリーン オーストラリアの旗 オーストラリア ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1973 マージョリー・ウォーレス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1974 ヘレン・モーガン イギリスの旗 イギリス ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
Anneline Kriel 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
1975 Wilnelia Merced Cruz プエルトリコの旗 プエルトリコ ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1976 シンディ・ブレイクスピア ジャマイカの旗 ジャマイカ ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1977 Mary Ann Catrin Stavin スウェーデンの旗 スウェーデン ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1978 Silvana Rosa Suárez アルゼンチンの旗 アルゼンチン ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1979 Gina Ann Cassandra Swainson バミューダ諸島の旗 バミューダ諸島 ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1980 Gabriella Brum 西ドイツの旗 西ドイツ ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
キンバリー・サントス グアムの旗 グアム
1981 Carmen Josefina "Pilin" Leon Crespo ベネズエラの旗 ベネズエラ ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)、およびアメリカ合衆国マイアミ
1982 Mariasela Alvarez Lebron ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1983 サラ=ジェーン・ウット イギリスの旗 イギリス ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1984 Astrid Carolina Herrera Irrazábal ベネズエラの旗 ベネズエラ ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1985 Hólmfríður Karlsdóttir アイスランドの旗 アイスランド ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)
1986 Giselle Jeanne-Marie Laronde トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)およびマカオ
1987 Ulla Weigerstorfer オーストリアの旗 オーストリア ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)およびマルタ
1988 リンダ・ペトゥルスドッティル アイスランドの旗 アイスランド ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス・ロンドン)およびスペインマラガ
1989 Aneta Beata Kreglicka ポーランドの旗 ポーランド 香港会議展覧中心香港)および台湾台北
1990 Gina Marie Tolleson アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ロンドン・パラジウムおよびノルウェー
1991 Ninibeth Beatriz Leal Jimenez ベネズエラの旗 ベネズエラ ジョージア・ワールド・コングレス・センター(アメリカ合衆国アトランタ)および南アフリカ
1992 Julia Alexandrovna Kourotchkina ロシアの旗 ロシア サンシティ(南アフリカ)
1993 リサ・ハンナ ジャマイカの旗 ジャマイカ サンシティ(南アフリカ)
1994 アイシュワリヤー・ラーイ インドの旗 インド サンシティ(南アフリカ)
1995 ジャクリーン・アギレラ ベネズエラの旗 ベネズエラ サンシティ(南アフリカ)、UAEドバイ、およびコモロ
1996 Irene Skliva ギリシャの旗 ギリシャ バンガロール・クリケット・スタジアム(インドバンガロール)およびセーシェル
1997 ダイアナ・ヘイデン インドの旗 インド Plantation Club(セーシェル、Baie Lazare
1998 Linor Abargil イスラエルの旗 イスラエル Lake Berjaya Mahe Resort(セーシェル、マヘ島Port Glaud)、およびフランスパリ
1999 ユクタ・ムーヒ インドの旗 インド オリンピア(イギリス・ロンドン)およびマルタ
2000 プリヤンカー・チョープラー インドの旗 インド ミレニアム・ドーム(イギリス・ロンドン)およびモルジブ
2001 Ibiagbanidokibubo "Agbani" Asenite Darego ナイジェリアの旗 ナイジェリア サンシティ(南アフリカ)
2002 アズラ・アキン トルコの旗 トルコ アレクサンドラ・パレス(イギリス・ロンドン)およびナイジェリア
2003 ロザンナ・デービソン クリス・デ・バーの娘 アイルランドの旗 アイルランド クラウン・オブ・ビューティー・シアター中国三亜市)、北京上海西安
2004 マリア・フリア・マンティージャ ペルーの旗 ペルー クラウン・オブ・ビューティー・シアター(中国・三亜市)
2005 ウンナー・ビルナ・ヴィヒャルスドッティル アイスランドの旗 アイスランド クラウン・オブ・ビューティー・シアター(中国・三亜市)
2006 タタナ・クハロヴァ チェコの旗 チェコ 文化科学宮殿ポーランド・ワルシャワ)
2007 張梓琳 中華人民共和国の旗 中国 クラウン・オブ・ビューティー・シアター(中国・三亜市)
2008 クセーニャ・スヒノワ ロシアの旗 ロシア サントン・コンベンションセンター(南アフリカ共和国ヨハネスブルグ
2009 ケーン・アルドリノ ジブラルタルの旗 ジブラルタル ギャラガー・コンベンションセンター(南アフリカ共和国ヨハネスブルグ
2010 アレクサンドリア・ミルズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 クラウン・オブ・ビューティー・シアター(中国・三亜市)
2011 サルコス・コリメナレス ベネズエラの旗 ベネズエラ アールズ・コート・ツー(イギリス・ロンドン)
2012 于文霞 中華人民共和国の旗 中国 オルドス・スタジアム(中国・オルドス市
2013 ミーガン・ヤング フィリピンの旗 フィリピン ヌサドゥア・コンベンションセンター(インドネシアヌサドゥア
2014 エクセル展覧会センター(イギリス・ロンドン)

優勝者出身国[編集]

2013年現在

優勝回数
6 ベネズエラ
5 インド
4 イギリス (ほか1名が1974年に辞退)
3 アイスランドジャマイカスウェーデンアメリカ合衆国
2 アルゼンチンオーストラリアオーストリアオランダペルー南アフリカトルコロシア中華人民共和国
1 バミューダブラジルチェコドミニカ共和国エジプトフィンランドフランスドイツギリシャグレナダグアムアイルランドイスラエルナイジェリアポーランドプエルトリコロシアトリニダード・トバゴジブラルタルフィリピン

歴代の日本代表[編集]

(社)国際文化協会主催のミス・ワールド日本代表
(株)SMJ イネス リグロン主催のミス・ワールド日本代表
(社)国際文化協会主催のミス・ワールド日本代表
(株)クーインターナショナル主催のミス・ワールド日本代表

日本代表創設当初から2012年まで[編集]

日本代表の決定大会は、2012年まではミス・インターナショナル(日本代表決定大会、および世界大会)と同じ社団法人国際文化協会が主催・運営を行っていた。2012年度からミス・ワールド単体での日本代表決定コンクールの選出は廃止され、ミス・インターナショナル日本代表決定コンクールで準日本代表に選ばれた3人の中から1人をミス・ワールドの日本代表として改めて選ぶ方式が採用されていたため、同協会が主催や協賛するイベントではミス・インターナショナルの日本代表とともに出演する場合もある

代表派遣の取りやめ[編集]

しかし2013年度日本代表派遣選出は一度廃止されることが決定した。

ミス・ワールド事務局本部と国際文化協会とは1965年からミス・ワールド単体で日本代表を選出・派遣する目的で締結してきたが、今回のようにミス・インターナショナルの準ミス日本代表から選出する方式を問題視し、2012年12月21日にミス・ワールド本部から派遣契約を結ばないとの連絡があった。今後「ミス・ワールドの代表のみ選出する団体とだけ契約を結ぶ」とのことであった。

ただ、このような契約打ち切りの問題は日本だけではなく、国際文化協会が同様に契約を打ち切った日本国外の団体について調べたところ、フィリピンメキシコなど複数の国のミス・ワールドを選出する団体も契約を打ち切られたか、打ち切りを通告されている国があり、今後も複数の大会に派遣している国・地域の団体との契約が切られる可能性があるという。このため当初2013年ミス・インターナショナル日本代表決定大会で選出された準ミス日本代表3人から改めてミス・ワールド日本代表を選出することが不可能となった[8]

ミス・ワールド2013日本代表選出開始[編集]

その後、株式会社クーインターナショナルと、ミス・ワールド機構が2013年度以後の日本での専属ライセンスを結ぶことになり、改めて2013年度ミス・ワールド日本代表を募集することが決まり、日本代表の派遣が継続されることになった。クー社から株式会社国際美文化研究所に委託する形で2013年度のミス・ワールド日本代表を選出することになった[9]

中国の圧力[編集]

第60回ミス・ワールドで、開催地である中国側から選考委員に「ミス・ノルウェーは低い点に抑えるよう」露骨な圧力がかけられたと、デーリー・ニューズ紙が報じて話題になった。 ミス・ノルウェーは、数日前に選考委員会から「トップ・モデル賞」を獲得し、今大会の本命だったとされていたが、5位にも入らなかった事が憶測を広げる要因となった。また、ノルウェーのノーベル委員会が、中国の民主活動家の劉暁波にノーベル平和賞を与え、中国との関係が悪化していた。[10]

脚注[編集]

  1. ^ Tianjin Miss World China Pageant comes to a close”. China Daily (2009年8月28日). 2011年5月24日閲覧。
  2. ^ Miss Universe on August 23”. Timesofmalta.com. 2011年5月24日閲覧。
  3. ^ Frontline World: A Pageant is Born”. Pbs.org. 2011年5月24日閲覧。
  4. ^ Bet on Miss World Pageant”. Covers.com. 2011年5月24日閲覧。
  5. ^ Tiza.com. Miss World
  6. ^ Should the Miss World pageant have gone ahead?
  7. ^ Mayor's frosty reception for Miss World
  8. ^ 国際文化協会「2013年度ミス・ワールド日本代表の世界大会への派遣中止のお知らせ」(2013年1月9日 同2月3日閲覧)
  9. ^ ミス・ワールド2013日本公式サイト
  10. ^ 『ミス・ワールド大本命落選 中国陰謀説、ノーベル賞の腹いせ!?』MSN産経ニュース2010年11月3日付

関連項目[編集]

外部リンク[編集]