アバルト

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エンブレム
フィアットアバルト500
フィアットアバルト750
フィアットアバルト750ザガート
フィアットアバルト1000前部
フィアットアバルト1000後部
フィアットアバルトシムカ1300
フィアットアバルトシムカ2000
アバルトレースカー

アバルトAbarth )は、かつてイタリアに存在した競技用自動車メーカーである。1949年、トリノに設立され、おもにフィアットの自動車を用いての自動車競技への参加、自動車部品や改造車の販売などを行っていた。

1971年にフィアットに買収され、その後しばらくは同社の自動車競技部門に関与するなどしていた。1990年代以降にはフィアット車のモデル名に名を残す、いわゆる社内ブランドとの位置付けになっている。現在はフィアットの自動車部門を統括するフィアットオートモービルグループ社のもとに、アバルト&C.社(Abarth & C. S.p.A.)が再組織されており、2007年に発売された乗用車フィアット・500にも、アバルトの名を冠するモデルが設定されている。

歴史[編集]

1908年オーストリアウィーン出身のカール・アバルトは、バイクのレーシングライダーとして活躍したのちイタリアに移住し、カルロ・アバルト(en:Carlo Abarth) と名乗りチシタリア(en:Cisitalia)の技術/モータースポーツ責任者を経て1949年に会社「Abarth & C.」をトリノ市コルソマルケ38に興し、自動車マフラーなどのパーツを販売。それらの資金を元に主としてフィアットの小排気量車をベースにしたエンジン・チューンやレース車の製作を行った。

自動車にはカルロ・アバルトの誕生月の星座であるサソリエンブレム(スコルピオーネ)が装着された。「アバルトマジック」とも呼ばれる高度の改造を施された自動車は多くの競技で活躍した。1950年から1960年代にかけて113の国際記録とレースにおいて7400以上の勝利を得、「ジャイアントキラー」「ピッコロモンスター」などの異名も得た。

1971年、アバルトはフィアットに買収され、さらにその自動車競技部門はオゼッラに分割譲渡された。

代表的車種[編集]

フィアット・600ベース

フィアット・500ベース

フィアット・850ベース(en:Fiat 850)

シムカベース

ポルシェ・356ベース

オリジナル

1971年代以降[編集]

124アバルトスパイダーラリー
アウトビアンキA112アバルト
131ラリー
チンクェチェント・トロフェオ
プロカー4
プント・アバルト・ラリー
グランデ・プントS2000アバルト

1971年フィアットに買収されたアバルトは、そのモーター・スポーツ部門を受け持ち、世界ラリー選手権(WRC)向けにアバルト124ラリーアバルト131ラリーフィアット・アバルトX1/9プロトティーポの開発を行なった。

1979年より後の037ラリーのベースとなるベータ・モンテカルロ・ターボ Gr.5のパワーソースチューンを行なう。

1981年、会社としてのAbarth & C.の活動は停止したが、フィアット内のレーシング部門としてのアバルトの活動が続いた。

フィアットの世界ラリー選手権(WRC)出場が同社の傘下になったランチアに移行した後も、1983年発表の037ラリー1985年発表のデルタS4の2台の優れたグループB規定車両の開発を担当した。

1982年から1991年世界耐久選手権(WEC)ではランチアワークスでのオープントップクラスでのランチア・LC1やグループCカーランチア・LC2(ワークス放出後もムサットにより継続)のパワーソースチューンも担当している。

1986年、ボローニャ・モーター・ショウでデルタS4から発展型のハイテク(カーボンハニカムコンポジット)素材を統合させたランチア・ECV(Experimental Composite Vehicle)(推定600hp前後)発表。『ECV2』(750hp)は1988年ハイテク素材と空力のテストベッドとして発展し、WRCグループS頓挫によりそのプロジェクトを終了させた経緯がある。同時にFISAが予定し、頓挫したプロカー選手権用のプロカー4も試作、テスト段階でその幕を閉じることとなった。

1987年にはWRCの参加車両がグループB車両からグループA車両に移行したが、同年から1992年までWRC6連覇したランチア・デルタ・HFシリーズの開発も主にアバルトが行っている。

1990年代は主にドイツツーリングカー選手権(DTM)や国際ツーリングカー選手権(ITC)用とアルファロメオ系のGTカーやワンメークレースであるカップカーやグループN車両を手がけるようになる。

1997年、アバルトのスタッフのほとんどがフィアットのモータースポーツ部門、フィアット・アウト・コルセに吸収されて事実上のファクトリーが消滅した。

市販車においては、ラリーカーの市販バージョンのほか、1970年~1980年代にアウトビアンキ・A112アバルトフィアット・リトモ・アバルト125TCフィアット・リトモ・アバルト130TCなどに関与した。

その後もアバルトを冠した市販車がフィアット・グループから登場したが、1991年発表のフィアット・チンクェチェント・トロフェオ(車名にアバルトの名はないものの)を除いては、ターボを追加したり上位のエンジンを積んだりしたものに、アバルトブランドのエアロパーツやエンブレム・ステッカー等を追加したものであり、アバルト本来のエンジン・チューンは施されていない。

2001年フィアットはアバルトの名を冠したスーパー1600クラス車両プント・アバルト・ラリーおよびスティーロ・アバルト・ラリーを発表、以降ヨーロッパのラリー選手権に参戦した。開発はN・テクノロジー社が担当。

2005年、継続してプント・アバルト・ラリーにてヨーロッパラリー選手権に参戦。また、市販車のパンダを大幅にチューニングしたパンダ・ラリー・アバルトを使用したパンダ・ラリー・カップを開催。いずれも車体には大きくアバルトの文字、サソリが描かれていた。

2006年、フィアットはスーパー2000クラス車両グランデ・プントS2000アバルトでの参加を開始。ヨーロッパラリー選手権、イタリア国内選手権を制覇。

2007年、フィアットより、公式にABARTH&C.の復活がプレスリリースされた。これに合わせて市販車、グランデ・プント・アバルトのプロトタイプが発表され、その後9月にグランデ・プント・アバルト1.4ターボ(155ps)が発売された。フィアットとして参加していたインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)ではワークス名をアバルトと変更し、名実共にアバルトとしてラリー活動を行うことになった。

2008年、3月、新型フィアット・500のベースの500アバルト1.4ターボ(135ps)がジュネーブモーターショーにて発表された。また、グランデ・プント・アバルト1.4ターボに装着するesseesse(Super Sport)キット(180ps)も本国にて発表された。5月、49台限定の500アバルトassetto corse(200ps)を発表。9月500アバルト1.4ターボesseesseキット(160ps)発表。

2009年、2月より日本国内のオフィシャルディーラーネットワークが構築され、同時にアバルト グランデプント ベースグレード発売。4月にアバルト500発売。6月にアバルト グランデプント エッセエッセ発売。

2010年、10月アバルト500C(140ps) 、アバルトプントエボ(165ps)発売。11月にアバルト695トリビュートフェラーリ予約開始。

関連するモデル[1][編集]

グランデ・プント・アバルト1.4ターボ
500アバルト1.4ターボ
エッセエッセ・キット
500アバルトアセットコルサ

フィアット車ベース

アウトビアンキ車ベース

ランチア車ベース

アルファ・ロメオ車ベース

マセラッティ車ベース

名は付いていないがアバルト(含フィアット・アウト・コルセ)が開発した車両

アバルト復活後の車種[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Automotoretrc刊「Le Abarth dopo Carlo Abarth」 Sergio Limone、Luca Gastaldi著より一部抜粋。

外部リンク[編集]