マツダ・ルーチェ
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マツダ・ルーチェ (LUCE) は、マツダから製造・発売された乗用車。マツダのプレステージセダンとして発売。
3代目後期型と5代目は「メルセデス・ベンツに似ている」という意見も聞かれたため、「広島(産)ベンツ」と呼ばれた事もあった(5代目については実際、広報資料では当時のベンツ・ミディアムクラスとツーショットで「日本のベンツです。」と謳っていた)。
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[編集] 歴史
[編集] 初代(1966年-1972年)
- 1966年発売。スタイリングは、当時ベルトーネに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロで、当時の競合車種、トヨペット・コロナ、ダットサン・ブルーバード、プリンス・スカイラインといった1500ccクラスのファミリーセダンとはまったく別次元の美しさであった。
ボディサイズはそれらに比べ、若干大きめで、ライバル車がいずれも5人乗りであったのに対し、ルーチェは2000ccクラスのセダンで一般的だった、フロント3人掛けの6人乗りであり、広告でもこの点がアピールされていた。初期の広告の「子どもは法律上三人で(大人)二人と換算されるので、8人乗りも可能です」というフレーズは、当時の市場の要求をよく反映している。2年後に相次いで発売される、日産・ローレル、トヨタ・マークIIなどの、いわゆるハイオーナーカーの先駆的な存在であったといえる。
また、開発初期に、同じベルトーネのスタイリングながら、市販車とはまったく異なる姿のプロトタイプがあったことが知られており、幻となったプロトタイプは、大盛屋のミニカー、ミクロペットにその姿を残している。 - 1966年8月 4ドアセダン1500が発売される。(営業車向けのいわゆるスタンダード)
- 1967年6月 SS追加。エンジンをツインキャブなどでチューンした高性能モデル
- 同年10月26日 第14回東京モーターショーのマツダブースに、「ファミリアロータリークーペ」となることが予想されていた「RX85」と、より大きな「RX87」の、2台のプロトタイプが出品される。この「RX87」こそ、後の「ルーチェロータリークーペ」であり、やはりジウジアーロのスタイリングによる、伸びやかな2ドアハードトップボディを与えられ、その下には、655cc×2ローターから126馬力を発揮する、13A型ロータリーエンジンと、マツダとしては初めてとなる、前輪駆動のドライブトレインが包み込まれていた。
- 1968年12月 1800が追加される。1500もSSを含め併売される。大きな車体に1500ではパワー不足は明らかであったための追加投入。ボンネット中央に大きなエアスクープが追加されたので識別は容易。ただオリジナルデザインの美しさは損なわれた。しかし1800の投入タイミングは遅きに失した感が強く、オート三輪や軽自動車を主力とした当時のマツダの販売力では、需要層であるアッパーミドル層へ浸透しにくかったこともあって、販売は苦戦続きであった。むしろデザインの美しさを買われ、欧州向け輸出の方が好調だった。
- 1970年代に入るとマツダ自身も、カペラやグランドファミリアなど、より時流に乗じたデザインの新型車を続々投入し、初代ルーチェは忘れられた存在になっていく。
- 1969年10月 コスモスポーツ、ファミリアロータリークーペに次いで、1967年のモーターショーに初登場し、翌68年のショーで最終試作車が披露されていたRX87の市販モデル、「ルーチェロータリークーペ」が登場。三角窓のない2ドアHTは日本初であったが車名は「クーペ」であった。この車体も、マツダ初のFWDを採用した機構もセダンとは全く別物であった。最高速度190km/hを誇り、カタログでは「ハイウェイの貴公子」と謳われたが、スーパーデラックスで175万円という価格は、コスモ・スポーツ同様、マツダ車の顧客層にはミスマッチで、1972年9月の生産打ち切りまでに976台が造られたに過ぎない。ルーチェセダンはもとより、創生円半径が唯一異なる13Aエンジンをはじめ、他のマツダ車との互換性にも乏しく、補修部品の入手も困難で、現存台数はごく少ない。当時の専門誌の試乗記ではスーパーデラックスに標準のパワーステアリングが軽すぎ、路面感覚を伝えないと不評で、美しいスタイルに比べ機構面は熟成不足であったらしい。
[編集] 2代目(LA2・3系、1972年-1978年)
- 2代目はトヨタ・マークII、日産・ローレル、日産・スカイラインを強く意識した旧型とはまったく違うテイストのデザインとなった。ボディタイプは4ドアセダン、2ドアハードトップ、そして4ドアセダンに2ドアのフロントマスクを装着した「カスタム」の3種類。
- デビュー当時から低公害仕様のAPモデルが用意され、東京都など公害問題に関心の高かった自治体の公用車に黒塗りのセダンGRモデルが多用された。ちょうど昨今のトヨタ・プリウスのような存在であったが、このブームは翌年の第一次石油危機でたちまち終息した。
- 1972年11月 フルモデルチェンジされる。ロータリーエンジン(573cc×2・RE)搭載。
- 1973年4月 VC型レシプロエンジン搭載の1800追加。
- 1973年6月 50年排ガス規制(A-)に適応したAP仕様発売。(優遇税制適用車)
- 1973年12月 13Bロータリー搭載のグランツーリスモ、ワゴン発売。
- 1974年11月 不評の燃費を多少改善したREAPS4エンジン搭載。
- 1975年10月 50年排ガス規制適用に伴うマイナーチェンジ。4ドアセダンを「カスタム」に統合。
- 1976年7月 51年排ガス規制(C-)適用に伴い、VC型エンジンにFFCS(燃料流量制御装置)設置。
- 1978年7月 3代目ルーチェレガート(LA4系)と併売していたが、車名を「ルーチェ」に統一するのに伴い、販売を終了。
[編集] 3代目 LA4系(1977年-1981年)バンは1978-88年
- 1977年10月 2代目の追加モデルとして高級版のルーチェ・レガートが登場。ロータリーエンジン(573×2RE/654×2RE)、4気筒2000(MA型・110馬力)。当面は2代目も併売。1976年モデルのシボレー・マリブクラシックに酷似した縦置き角型4灯式ヘッドライトが特色のボディには、当時のトヨタ・クラウン4ドアハードトップに似た4ドアHT・4ドアセダン・5ドアバン(1978年7月発売)(輸出先ではワゴン)の3バリエーションがあった。サイドビューはセダンと4ドアハードトップがほぼ同じで当時のセドリック330型と似ていた。内装も競合車と同様に豪華であった。販売の主流がロータリーエンジンでトヨタ/日産のライバル達は6気筒レシプロエンジンを搭載していたことで「ロータリーは燃費が悪い」と批判されたことと個性的過ぎたフロントマスクで販売は芳しいものではなかった。
- 1978年7月 運輸省への形式認定申請をルーチェで行っていたことから、レガートの名称が無許可使用と看做され使用不能となったことから、サブネームが外れ元のルーチェとなる。4気筒1800(VC型)搭載車と5ドアバンをフルモデルチェンジと同時に2代目販売終了。
- 1978年9月 タクシー仕様車(2000LPG)追加。なお、同代のタクシー仕様車には、「中型料金・6人乗り」(コラムシフト)と「小型料金・5人乗り」(フロアシフト)の2仕様が設定されていた。このタクシー仕様は教習車仕様(3速フロアシフト)同様、丸型2灯式ヘッドライトだった。
- 1979年3月 ロータリーエンジン搭載車の53年排ガス規制適合で654cc×2ロータリーの13B型のみとなる。
- 1979年10月 マイナーチェンジ。フロントマスクがオーソドックスな角型2灯式ヘッドライトに変更される。特にセダンは当時のメルセデス・ベンツに近似したグリルとなった。タクシー仕様は中型仕様に統一。
- 1980年9月 セダン2200ディーゼルとハードトップ2000EGI追加。
- 1981年10月 セダンとハードトップがフルモデルチェンジ。バン継続生産されカペラカーゴが登場する88年3月まで生産された。
2代目とともに1980年代前半のテレビドラマ(土曜ワイド劇場・探偵物語・大激闘マッドポリス'80などいずれもマツダ提供枠)で多数カーチェイスを伴うスタントカーとして登場している。
[編集] 4代目 HB系(1981年-1986年)
- 1981年10月 フルモデルチェンジされコスモとデザインを共通化。4ドアハードトップと4ドアサルーンを設定。プラットフォームにマツダ・HBプラットフォームを採用。エンジンは従来型と同じ2.0L直4のMA型/1.8L直4のVC型をそれぞれ搭載。インパネデザインは大きく変えられハードトップ車ではメーターフードの左にエアコンとワイパーが、右にライトスイッチを装備したサテライトスイッチを装備した。この代から上位モデルのカセットプレーヤーはホーム用と同じ正立タイプとなる(この正立型カセットプレーヤーは5代目HC型にも受け継がれる)。
- 1981年11月 省燃費対策が施された12Aロータリー6PI(6ポート・インダクション)、2200ccディーゼルを追加。
- 1982年3月 LPGエンジンのタクシー仕様もフルモデルチェンジ。エンジンは従来型と同じLPG仕様の2.0L直4のMA型でグレードはDX/SG-L/SG-S(布シート、パワーウインド装備)の3種類。6人乗り4速MTコラムシフト(LPGタクシー専用)が標準仕様であったが、SG-Sには5人乗り5速MTフロア、6人乗りATコラム(ガソリン)も選べた。
- 1982年10月 世界初ロータリーターボ(12A)とセダン2.0LにEGI車追加。
- 1983年10月 大幅にマイナーチェンジ。ハイパワー仕様のRE13B-スーパーインジェクション(SI)追加。レシプロエンジン車は、2000ccのマグナムエンジンのFE型(直4EGI、直4キャブ)に統一され1800ccは廃止。ロータリーターボにも4AT車が追加される。最上級モデルLIMITEDに電子制御サスペンションAASが装備される。上級モデルは木目調の内装となる。タクシー仕様もマグナム直4のLPG仕様に変更され、グレードに関係なくAT車も選択可能になった。
- 1985年5月 レシプロエンジン車にGENTEEL(ジェンティール)シリーズ追加。
- 1986年9月 ルーチェのみフルモデルチェンジ。姉妹車のコスモはハードトップのみ継続され1990年3月のユーノス・コスモ登場まで継続。LPG仕様のセダンは1989年5月のカスタムキャブで再登場する。
[編集] 5代目 HC系(1986年-1995年)
- 1986年9月 フルモデルチェンジでクラウンクラスにサイズアップされる。兄弟車のコスモとは分離され、メルセデス・ベンツ風の再び独自のデザインを採用。マツダのフラッグシップに相応しく車体サイズが大きくなり、居住スペースでクラウン/セドリックに追従し、装備品は後席用もかなり充実がなされた。
- プラットフォームにマツダ・HCプラットフォームを採用。ボディタイプは従来通りプレスドアを持つ4ドアセダンとセンターピラーを持つ4ドアハードトップの2種類。
- エンジンは廉価版にFE型2000cc直4キャブ(ガソリン仕様82馬力とLPG仕様64馬力)、マツダ初のV6レシプロエンジンであり販売の主流となるJF型でV62000EGI・110馬力、V62000EGI-TURBO・145馬力、ロータリー愛好家向けの654cc×2ロータリーターボ・180馬力)。ルーチェ及びマツダのセダンのRE車では最後の設定車となった。
- V6車とロータリー車のリアサスペンションは、新開発のE型マルチリンク式が採用された。
- 4ドアセダンにはタクシー仕様も設定されエンジンは4気筒LPGで自家用セダンとの違いとしてリヤサスは耐久性と荷重を考慮した5リンク式となる。また6人乗り仕様の計器盤はタクシー専用でメーターパネルはBD型ファミリア後期の180km/hスケールのメーターを流用した。
- 韓国では起亜自動車でセダンのみポテンシャという名称で生産・販売していた。
- 1987年8月 ライバル車同様のオーバー2Lに対応するための2000ccJF型を排気量アップしたV6・3000SOHCのJE型追加。160馬力を発揮。アメリカ輸出用のマツダ・929と同じ大型バンパーを装着。
- 1988年9月 マイナーチェンジ。V6・3000はDOHC化され、200馬力にパワーアップ。
- 1990年2月 HTにV6・3000リミテッド・グランツーリスモが追加される。欧州仕様と同じスポーツサスペンションとメッシュタイプフロントグリルを持ち、鍛造アルミホイールを装備していた。
- 1991年5月 自家用向けモデル生産終了。ルーチェのフルモデルチェンジという形でセンティアが後継車となるが、そのセンティアも2000年3月に生産を打ち切った。
- ただしセダン(タクシー・教習車仕様)はマツダがタクシー車市場から撤退する1995年12月まで、カスタムキャブとともに生産が続けられた。
[編集] CM
[編集] CMキャラクター
[編集] キャッチコピー
- 同じ乗るならマツダのルーチェ(1972年)
- Big Rotary(1972年)
- わが地球、ルーチェあり(1972年)
- 大いなる走り(1975年)
- くつろぎのサルーン(1978年)
- いま、歓走の時代へ(1980年)
- 時代のフルサイズ(1981年)
- 熟して、ストロング。(1984年)
- 私の、ファースト・レデイーに(1986年)
- Big Personal(1988年)
- 3000 V6 DOHC GranTurismo(1990年)
[編集] 車名の由来
- イタリア語で「光」「輝き」

