高野山

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壇上伽藍

高野山(こうやさん)は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。平安時代弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地である。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。

平成16年(2004年7月7日高野山町石道と山内の6つの建造物が熊野吉野大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコ世界遺産に登録された。

地理[編集]

高野山
雨温図説明
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気温(°C
総降水量(mm)
出典:日本国気象庁1981-2010年平年値

地名としての「高野山」とは、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指す(行政上の字名としての「高野山」もおおよそこれと同じ地域である)。8つの峰々に囲まれているその地形は『の花が開いたような』と形容されており、仏教の聖地としては「八葉蓮台」という大変良い場所であるとされている。転軸山・楊柳山・摩尼山の三山を高野三山という。なお、高野山という名称の山は無い

気候[編集]

金剛峯寺境内にあるアメダスの観測値で年平均降水量1851.6mm。年平均気温は10.9℃と大阪管区気象台より6℃低い。一般的に温暖な地域が多い和歌山県としては異例で、冬の寒さが厳しく、1月の平均気温は-0.5℃と氷点下になる。極値は最高33.2℃(1994年8月6日)、最低-13.4℃(1981年2月28日)[1]

主な施設・寺院[編集]

壇上伽藍 金堂
壇上伽藍 不動堂(国宝)
奥の院 豊臣家墓所
大門(国の重要文化財)
金剛峯寺
金剛三昧院 多宝塔(国宝)
壇上伽藍(壇場伽藍)
弘法大師・空海が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(ほかの一つは奥の院)。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが境内に立ち並び、不動堂は世界遺産に登録されている。また、弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」や、高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍に存する。
奥の院
弘法大師の御廟と灯籠堂がある(世界遺産)。参道には、皇室公家大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある。奥の院の入り口は一の橋と中の橋の2箇所があるが、正式には一の橋から参拝する。一の橋から御廟までは約2kmの道のりとなっている。その途上には「弥勒石」などの七不思議と呼ばれる場所がある。
金剛峯寺
高野山真言宗の総本山で座主の住寺(世界遺産)。金剛峯寺は元は高野山全体の称だが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは明治2年(1869年)に2つの寺院が合併したもの。もと青巖寺(剃髪寺)と呼ばれた寺院は文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の建立、文久3年(1863年)、再建。歴代天皇の位牌や高野山真言宗管長の位牌をまつっている。大主殿、別殿、新別殿と分かれており、別殿では観光客に湯茶の施しがある。襖に柳鷺図のある柳の間は豊臣秀次の自刃の間。屋根の上に置かれた防火用の水桶は、かつては高野山全域で見られたが今も置かれているのはここのみ。また、金剛峯寺境内にある「蟠龍庭」(2,340m2)は日本最大の石庭。
大門(だいもん)
高野山全体の総門。1705年再建。国の重要文化財と世界遺産に指定されている。
苅萱堂(かるかやどう)
苅萱道心と石童丸の哀話の舞台として知られる。
徳川家霊台
寛永20年(1643年)、徳川家光の建立。家康秀忠の霊廟がある。世界遺産に登録されている。
女人堂
女人禁制の時代は女性はここまでしか入れなかったとされている。
金剛三昧院
建暦元年(1211年)、北条政子の発願による建立。源頼朝実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝・世界遺産)がある。
高野山霊宝館
高野山上にある国宝、重要文化財等の保存・展示が行われており、定期的にテーマを絞った展示会が開催される。なお、現在の日本の国宝の2%は高野山上にある(1083件中、23件)。大正10年(1921年)、開設。

主な名物、みやげ[編集]

交通アクセス[編集]

高野山内の通り(国道371号
高野山内の通り(国道480号

唱歌における高野山[編集]

明治33年(1900年)に大和田建樹が作詞発表した「鉄道唱歌第五集 関西・参宮・南海篇」では、高野山は3番を割いて歌われている。吉野山などと共に、建樹の歴史好みが強く影響しているものと見られている。なお、当時は現在の南海高野線が開業しておらず、高野山へは橋本駅から約12kmの山道を歩いて向かう必要があった。

43.瞬くひまに橋本と 叫ぶ駅夫に道とえば 紀の川わたり九度山を すぎて三里ぞ高野まで
44.弘法大師この山を ひらきしよりは千余年 蜩(ひぐらし)ひびく骨堂の あたりは夏も風さむし
45.木陰おぐらし不動坂 夕露しげき女人堂 みれば心もおのずから 塵の浮世を離れたり

自然[編集]

古くからよく知られた地であるだけに、生物の研究もよく行われている。[要出典]

高野山は和歌山県の北部山中である異常に寒冷な気候を持ち[要出典]、周辺では見られない生物もいくつか知られる。基本的には照葉樹林上部から落葉樹林帯にわたる生物相である。が、ツノハシバミ、マンサクなどはさらに北部に見られるもので、和歌山県では他に知られていない。

高野山の名を持つ生物もいくつかあり、以下のような例はその代表である。

これらは高野山で利用されることに基づく。
これらはこの地域に特産であることから。

高野六木[編集]

高野山では古くからヒノキスギモミツガアカマツ・コウヤマキの六種の樹木を「高野六木(こうやりくぼく)」と呼んで重視した。伐採を行った跡地にはこの六種を植えたという。これは森林を人為的に利用しつつ、その森林の自然林的様子や多様性を維持する効果があったとも考えられている。

備考[編集]

出典[編集]

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関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 井原俊一『日本の美林』岩波新書 - 高野六木が説明されている。

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度12分45秒 東経135度35分11秒 / 北緯34.21250度 東経135.58639度 / 34.21250; 135.58639