開かずの踏切

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開かずの踏切(あかずのふみきり)は、遮断機が降りた状態が長時間続き通行が困難な踏切の通称。線路が多く交通量が多い踏切やに近い場合に開かずの踏切となりやすい。

JR・名鉄の計8線を跨ぐため開かずの踏切となっている神宮前駅北の手動踏切(名鉄神宮前1号踏切とJR東海御田踏切)
列車が多くて踏切が開かない時間帯に通行止めとしている、戸塚駅近くの踏切(JR東日本 東海道踏切)

目次

[編集] 概要

国土交通省(旧・運輸省)では、「ボトルネック踏切」の名で、「ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分以上となる踏切」または、「1日あたりの踏切交通遮断量が5万台時以上となる踏切」と定義している。狭義の「開かずの踏切」は、「ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分以上となる踏切」と定義している。同省の調査によると、1999年平成11年)度において日本には約1,000箇所のボトルネック踏切があり、ほとんどが関東地方近畿地方に集中していた。

長い待ち時間から通行者のストレスが高まったり、自動車などの渋滞を発生させる。1回当たりの開いている時間も短く、線路が多いため踏切の幅も長いことが多い。また駅至近の踏切では停車列車の過走防護のため、加えて駅に停車する電車は速度を落とすため、電車が踏切を通るかなり前から遮断機が下りていることも多い。

これらのため、通行者が僅かな開いている時間で急いだり焦って通行するので、転倒事故などを誘発するほか、遮断機が下りてから歩行者・自動車が通行を強行したり、高齢の歩行者や幼児連れの親子などが開いている間に渡りきれない事態もたびたび発生し、事故の要因となっている。踏切待ちによる時間損失を貨幣価値に換算すると年間約1兆5,000億円にも上ると試算されている。

線路の高架化・地下化、もしくは道路の高架化・地下化などによる抜本的な対策が今後の課題となっている。線路の連続立体交差化事業は国からの補助のもと自治体の負担によって行われるが、地価や資材価格の値上り、財政状況の悪化、騒音などでの住民の反対によりなかなか進捗しないのが現状といえる。

阪神本線西宮駅では、高架化されるまで無料で駅構内を通過できる通行券を発行して踏切の利用者を迂回させていた。また、近年では西武新宿線都立家政駅京阪本線枚方公園駅において、同様に無料で駅構内を通過できる通行券を発行して踏切の利用者を迂回させる実験が行われた。専用のICカードと専用通路を利用した実験も行われている。

[編集] 関連する事件・事故

  • 2003年(平成15年)、JR中央線高架化工事に際し、三鷹 - 国分寺間で踏切の横断距離が延び、また遮断時間が工事前よりも増える箇所が出るなどしたため、一時期社会問題となった。その後、切替工事が進んだため横断距離は多くの箇所で以前と同程度に戻り、2009年12月の線路切替工事で全て高架となり同区間内の踏切は全廃となった。
  • 2005年(平成17年)3月、東武伊勢崎線の竹ノ塚駅近くの踏切において踏切保安係の誤操作が原因で人身事故が発生。通行者の苦情を避けるため保安係が規則を無視して自分の判断で遮断棒を上げ下げする行為が日常的に行われていたことがこの事故の後に発覚し、問題となった。その後人身事故の原因となった踏切保安係は逮捕され、実刑判決を受けた(竹ノ塚駅#踏切東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故も参照)。
故障灯が付いた踏切
広島市 中山踏切
  • 2005年10月京浜東北線東海道本線大森駅 - 蒲田駅間の開かずの踏切で発生した死傷事故では、列車ダイヤの乱れが原因で30分以上遮断機が下り続け、踏切に「こしょう」(故障)との表示が出ていた。これは踏切の故障でなくとも遮断機が30分以上下りていた場合は自動的に表示されるが、この表示が原因で「踏切の故障で遮断機が下り続けている」と通行者の誤解を受けたのではないかとの指摘がなされ、JR東日本では踏切の故障表示について見直しをするとの発表を行った。なお、これと同類の事故が2006年(平成18年)3月に東海道本線三河大塚駅 - 三河三谷駅間の踏切でも発生した。これらの事故を受け、国土交通省は「こしょう」の表示を廃止するよう全国の鉄道事業者に指示した。
  • 2006年7月東武東上線池袋駅 - 北池袋駅間および埼京線の池袋駅 - 板橋駅間の開かずの踏切で東上線の池袋発志木行き下り普通列車に親子がはねられる事故が発生、母親は死亡し子供は重傷を負った。この親子は遮断機が下りていた踏切をくぐった男性に続いて踏切内に進入した模様。この踏切は以前から遮断機が下りている状態での歩行者の横断が目立っていて、2001年(平成13年)にも男性が埼京線の列車にはねられる死亡事故が起きていることも明らかになっている。また、事故当日は併走する埼京線のダイヤが乱れ、70~80分間も踏切が開かない時間があった。
  • 2008年8月JR京都線摂津富田 - 茨木間にある『富田村踏切』で、踏切内に入っていた男性が高槻新三田行き下り普通電車にはねられ死亡した。この踏切は、2007年9月に、電動車椅子の男性がはねられて死亡するなど、事故による死者が2005年以降だけで5人に上っていたため国土交通省では抜本的な対策を講じるようにJR西日本に要求してきており、 これを受けて同社は、「開かずの踏切」の状態を緩和するため、列車種別に応じて遮断時間を変え閉塞時間を最小限に抑える新システムを2008年秋に導入することを発表した矢先の事故であった。
  • 2009年1月阪急京都線南方駅の隣に位置する『御堂筋東踏切』で、高校1年生の女子生徒が正雀梅田行き下り回送電車にはねられ死亡した。この女子高校生は上りの梅田発北千里行きの普通電車が通り過ぎた後に遮断機を潜り踏切内に入り込んだ模様。この踏切は地元では開かずの踏切として知られていた。事故に遭った女子高校生は、英語検定試験を受験後待ち合わせ場所へ向かうため急いでいた模様である。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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