三菱銀行人質事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
三菱銀行人質事件
場所 三菱銀行北畠支店(現三菱東京UFJ銀行北畠支店)
日付 1979年1月26日金曜日
標的 民間人、銀行員、警察官
攻撃手段 銃撃
武器 猟銃
死亡者 4名(銀行員2名、警察官2名)
動機 借金の返済

三菱銀行人質事件(みつびしぎんこうひとじちじけん)は、1979年昭和54年)1月26日三菱銀行北畠支店(現三菱東京UFJ銀行北畠支店)に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質猟奇殺人事件。

概要[編集]

1979年昭和54年)1月26日犯人(単独犯)が大阪府大阪市住吉区万代二丁目の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入。客と行員30人以上を人質として立てこもり、犯人は警察官2名、行員2名(うち1名は支店長)の計4名を射殺、女性行員を裸にしてバリケード代わりに並ばせるなどした。

大阪府警察本部は犯人に投降するよう交渉を続けたが、事件発生から42時間後の1月28日、SATの前身である大阪府警察本部警備部第2機動隊・零(ゼロ)中隊により犯人は射殺され、最終的に事件解決するに至った。戦後日本の人質事件が犯人射殺という形で解決した事件は、1970年瀬戸内シージャック事件1977年長崎バスジャック事件とこの事件の3つだけであり、三菱銀行人質事件以降、平成期においては存在しない。

1990年代まで警察24時改編期特番などで、戦後日本の事件史として再現ドラマやニュース映像が取り上げられることがあったが、猟奇的な少年犯罪が相次いで発生した2000年代以降は2000年12月放送のSAMBA・TVや2009年3月放送のフジテレビ50ッスth!などに留まり、取り上げられる回数は急激に減少している。

なお、三菱銀行は後に2度の大型合併が行われたが[1]、事件のあった店舗は「三菱東京UFJ銀行北畠支店」として現存しており、建物も事件当時のものをそのまま使用している。[2]

詳細[編集]

1月26日[編集]

事件発生状況[編集]

1979年1月26日、銀行の閉店時間である15時前ごろに、テラピンチ(当時、ゴルフをする際に被られていたハット・中央帽子製)を被り黒スーツに黒サングラス、白マスクの犯人が5000万円を強奪する目的で銀行に押し入り、ニッサン・ミロク社製の猟銃(上下2連式12番口径)を天井に向けて2発発砲した。

犯人は現金をリュックサックに入れるように行員を脅したが、その際に非常電話で通報しようとした20歳男子行員を見つけ射殺し、流れ弾に当たった男子行員と跳弾に当たった女子行員を負傷させた。観念した男子行員が現金を詰め込み、犯人は警察が到着する前に銀行から逃走する予定であったが、逃げ出した客が自転車で警ら中の住吉警察署警邏課係長に通報し、事件は発覚した。

通報から籠城まで[編集]

犯人の予想より遥かに早く楠本正己警部補が銀行に駆けつける。楠本正己警部補は犯人に銃を捨てるよう要求し天井に向けて威嚇発砲をしたが、犯人は楠本正己警部補の顔と胸を撃って射殺した。その前後に店から脱出した行員が近隣の喫茶店に飛び込み110番通報を依頼、行内の別の行員も警察直通緊急通報ボタンを押して通報。直後に阿倍野警察署パトカー阿倍野一号で駆けつけた巡査及び巡査長にも犯人は発砲し、巡査を射殺した。もう一人の巡査長は防弾チョッキを着ていたため無事だった。

午後2時35分に大阪府警に銀行の異常事態が通知され、3分後には大阪府内の全署に緊急配備指令発令。緊急配備から2分後には武装警官およそ320名が銀行を包囲し、銀行付近500メートルの道路を閉鎖。すると犯人は行員にシャッターを下ろすよう命じ、銀行の出入口を閉鎖したが、その際現場に到着していた警察官がとっさに近くにあった看板や自転車等をシャッターの下に置いたため、40cmの隙間を残してシャッターが下りなかった。

シャッターが閉じられた店内には客12人と行員31人の合計43人が犯人に人質に取られたが、うち親子連れと妊婦の客4人はすぐに解放されたため、人質の人数は39人になった。また人質とは別に犯人に気付かれずに貸し金庫室などに隠れた客5人が店内に残された。店内の状況は凄惨で、犯人によって殺害された死体が人質たちのそばにあったままだった。

店内の状況[編集]

銀行に籠城した犯人は、猟銃を支店長の至近距離より発射し射殺した。その後犯人は狙撃隊から自分の身を守るために、男子行員全員は上半身のみ裸、女子行員は電話係を除く19人全員が全裸になり『肉の盾』となるよう命令する。女子行員についてはただ脱がせただけではなく、ブラウス、ブラジャー、パンティに至るまで、ストリップを観るがごとく、じりじりと楽しむように服の脱ぎ方の順番までも指示していった。その後、犯人は片親の女子行員1人のみ服を着ることを許している。

やがて、こういう状況の中でも冷静沈着な最年長の男子行員を生意気だと怒った犯人は再び猟銃を発砲し、男子行員に重傷を負わせた。犯人は別の男子行員にナイフでとどめをさすように命じるが、命令された行員は「もう死んでいる」と嘘をついた。

すると犯人は映画『ソドムの市』で死人の儀式を行うワンシーンの話を出した上で、「そんなら耳を切り取ってこい。」と新たな命令を出す。命じられた行員は激しく抵抗したが、散弾銃で撃たれた遺体と猟銃で狙われている恐怖で、死んだふりをしていた行員の左耳を切除し、その耳を犯人に差し出した。すると犯人は耳を口にして、まずいと言って吐き出している。耳を切り取られた行員は失神し、多量の出血となったものの、幸いにも一命を取りとめた[3]。この行員は激痛から夜明けに目覚め、左耳から流れる血液で、「Y(妻の名前) ツヨクイキロ コドモタチモツヨクイキロ」と遺言を書くも、後から流れ出る血液で遺言は消えてしまったと後にマスコミのインタビューに答えている。

その後も犯人は行員らに向けて威嚇発射をするなど、いたぶって喜んでは、ささいなことでかんしゃくを起こして「殺すぞ!」と怒鳴りながら真剣な顔をして銃口を突きつけたりした。

警察の対策[編集]

事件をうけて警察は銀行の2階の事務室に現地本部をかまえた。(大久保清事件山岳ベース事件などの事件発生時に群馬県警本部長であった)大阪府警本部長の吉田六郎自らが現地本部長を務めた。ここから1階の犯人と電話で会話できるようホットラインを設置。外から当初パトカー113台、警官644名が銀行を包囲、銀行の半径1km内の交通をすべて遮断。本部は銀行の図面から、北と東のシャッターと2階のドアなどにドリルで小さな穴を7つ開け、外から中の様子を観察しようと試みた。午後6時半、ようやくひとつの穴から行内が見渡せるようになったが、店内は警官や行員の遺体が転がり、そのそばで「肉の盾」が動いている異様な光景が見えた(なお、このシャッターの穴から見えた犯人の写真は後に毎日新聞がスクープ報道する)。そのほかに現金自動支払機を動かしその隙間からも室内を偵察していた。

吉田はこの3月で退官する予定だったが、事件発生当時は出張中だったため、彼が出張先から戻るまで刑事部長だった新田勇が現場指揮にあたった。吉田が2府2県本部長会議で訪れていた出張先の京都から戻った時も犯人の素性が不明であったが、深夜岐阜県多治見市内で職務質問された男の自供から、犯人に頼まれてライトバンを盗んだこと、さらには銀行強盗の相棒を頼まれたが断ったこと、短気で感情を爆発させると何をするかわからない性格であることを多治見署ですべて供述していたことで犯人の素性が判明した。また彼の証言通り、犯人が15歳で強盗殺人の罪で服役したことが判明する。

人質はトイレに行くことも許されなかったが、犯人が許可を出したときのみカウンターの隅で用を足すことを許されていた。用を足しにきた行員らに、警察は2階から励ましたり、作戦計画を伝えていた。

夜、犯人が要求したビーフステーキとワインが届けられる。人質にはカップラーメンが差し入れられたが、「栄養がない」と犯人が怒り、代わりにサンドイッチや胃薬が差し入れられた。このカップラーメンは後に犯人が食べている。午後9時半、ひどい風邪をひいていた女子行員が解放された。警察は犯人が要求したビーフステーキに睡眠薬を入れることを検討したが、舌を刺激して分かってしまう可能性があるという理由で断念している。なお、犯人は差し入れられた食事は全て人質に毒味をさせた後で口にしていた。

1月27日[編集]

日付は変わり、しばらく膠着状態が続いていたが深夜2時頃、人質の客(76歳男性)がトイレに行かせてくれと申し出たところ犯人は年齢を聞くと解放。同じころ、捜査本部は銀行の3階の女子更衣室に作戦指揮室を開設して指揮に当たった。

数時間後、ラジオの差し入れが遅いことに腹を立てた犯人は、ロッカーに向けて発砲。跳弾が当たり客と男子行員の二人が負傷。夜明け前にラジオが差し入れられ、そのラジオのニュースで実名が誤った読み方で報道されていたことに激怒し、捜査本部に「報道のやつらにアキヨシだと言っておけ!」と言い放った。

1月27日の午前8時前に人質の客(41歳女性)が解放、9時30分には退職した大阪府警察本部捜査第一課の元刑事(57歳男性)が解放される。犯人に職業を聞かれたとき、元刑事は身分を大工と偽っていたが、犯人はまったく疑わなかった。だがラジオが差し入れられてから、いつ犯人が自分の嘘に気づいて激怒して猟銃を発射するかと思うと生きた心地がしなかったと、マスコミのインタビューで述べている(事件解決するまで、この事実は公表されなかった)。

10時半ごろ、犯人の母親と亡き父の弟が捜査本部に到着し、説得を始めるも犯人は電話を切ってしまい失敗に終わる。母親の説得が終了すると、犯人は全員に服を着ることを許可して、昼までに2人の人質(いずれも女性客)を解放した。

その後、差し入れてもらった朝刊を女子行員に朗読させ、銀行中の800万円の現金を用意させると、犯人は借金の支払い先を書いたメモを男子行員に渡し、借金を返済してくるよう命じる。午後1時半、弁当の差し入れと引き換えに人質の客(24歳の女性)を解放。午後3時前、犯人の借金返済のため男子行員がハイヤーで出発し(同日午後10時ごろ銀行に帰る)、覆面パトカーが追跡。ハイヤーに乗った男性が人質の銀行員らしき情報が報道陣に流れるも、この借金返済についてマスコミが知ったのは事件解決後であった。なお、この借金返済は法律上無効であり、借金返済の金は警察によって回収され銀行に戻された。

午後3時半、リポビタンDの差し入れの後に人質の客(19歳の女性)解放。しばらくして行員の申し出によって、3人の男子行員の負傷者が解放される。3人のうち2人は大阪府立病院に、残る1人は阪和記念病院救急車で搬送。それから1時間後の午後5時前、最後の人質の客(25歳の男性)解放。犯人はこの人質が最もお気に入りだったらしく、この人質をKちゃんと愛称で呼ぶほどだった。午後6時、犯人に気づかれずに隠れていた客(合計5人)が、応接室、貸し金庫室、カウンターから捜査員の誘導により無事脱出され、犯人は5名の存在も脱出も知らなかった。この際民間の錠前技術者が捜査本部の要請により技術協力し通用口等の鍵を解除、脱出支援を行った。

犯人は夕食とシャトー・マルゴーを要求(当時、このワインの名を知る人は少なかった)。銀行の向かいの酒屋にこのワインがなかったので、シャトー・ランゴア・バルトンとなる。午後7時、犯人がシャッターの穴に気づき、行員に穴を塞ぐように命じる。だが東のシャッターの穴だけは唯一、気づかれず事件終了まで犯人や行内を監視しつづけた。深夜、遺体の腐敗臭が強くなると、犯人と行員が協力し合って遺体を移動させる。1月28日の午前0時から、捜査本部は人質の苦痛はすでに限界と判断して突撃作戦を開始する。

1月28日[編集]

特殊部隊の突入[編集]

朝からチャンスをうかがっていた警察は人質の見張り役が前夜外出した行員と交代した直後突入準備を開始。トイレにきた行員から「今回はチャンスがあると思うので合図しますからよろしく」との伝言を受け、大阪府警察本部警備部第二機動隊・零中隊(SAT前身部隊)に待機させた。直後犯人の至近距離にいて射撃の際に被弾する可能性のあった女子行員がお茶を入れるために離れた。のぞき穴から監視していた警察官からの報告を受け吉田本部長は強行突破を指示。零中隊員7名はトレーニングウェアを着用してほふく前進で侵入した[4]

1月28日午前8時41分、警察の作戦を知らされていた唯一の男子行員が、新聞を読みながら居眠りをし猟銃から手が離れていた犯人を確認、警察に合図した。直後、7名の零中隊員が人質に「伏せろ!」と叫ぶとともに銀行に突入する。零中隊員は拳銃[5] で8発を発射し、そのうち3発が犯人の頭と首、胸に命中、犯人は「殺すぞ…」と言いながら床に崩れ落ちた。担架で固定された瀕死の犯人を逆方向にして、前を救急隊員、後ろを刑事が担いで運び出すが、救急車にたどりつく寸前で後方の刑事が転倒する。このハプニングが致命傷となり犯人は死亡したという説や、すでに銀行内で即死していたという説もあるが、公式発表は出されなかった。犯人は天王寺大阪警察病院に搬送、意識不明の重体であったが脳波は確認され、大量の輸血と銃弾の摘出手術を受けるも、右の頸部の貫通銃創が致命傷となり同日午後5時43分に死亡した。犯人は自分のサングラスや帽子と弾を抜いた銃を男性行員に持たせる偽装を行っていたが、警察には見抜かれていた。

この事件により大阪府警察本部刑事部は現地本部に100名派遣、およそ1億8千万円が事件解決のため投入された。

特記[編集]

  • この事件はNHK大阪放送局毎日放送朝日放送関西テレビ読売テレビの5局が解決まで中継放送している。突入→狙撃(当然ながら写っていない)→血まみれの犯人搬送→人質解放の一部始終はVTRと16mmフィルムの両方で保管されているが、読売テレビのみがVTRで保管していなかったため同局に限りVTR映像がない。この一件でローカル報道の取り組みが遅れていることが露呈され、これをきっかけにローカルワイドニュース番組が編成されることになったといわれている[6]。なお、サンテレビ[7]では同事件による番組差し替えは行われなかった。
  • 1979年1月27日の事件当日、毎日放送は、夜9時からドラマ『Gメン'75』の放送を予定していたが、同日の内容が銀行強盗がテーマだったため、急きょ同番組を放送中止とし、同事件の報道特別番組に差し替えた。
  • 1979年1月27日の事件発生から2日後、日本テレビ及び読売テレビは、夜9時からドラマ『大都会 PARTIII』第17話として予定されていた「警官ギャング」を、同事件の影響を受けて「誘拐」と差し替えて放送した。放送予定だった「警官ギャング」は2週遅れのかたちで2月13日に放映された。
  • 1979年1月28日の突入実行時、毎日放送では『時事放談』を放送していた。突入するや制作局のTBSテレビは放送を中断して毎日放送の映像に切り替えた。同番組の放送中断はこの日のみだった。中断に際しては出演者に事前承諾は得ており、番組進行役の細川隆元は番組冒頭に「いつ、画面が切り替わるか分からんが…」と発言していた。
  • 犯人が人質をとって立てこもった後大阪府警は北畠支店のシャッターに穴をあけて写真を撮影していたが、この写真を解決後に毎日新聞が入手し、スクープ記事として全国に配信している。
  • この事件については逸見政孝が『逸見の情報案内人・素敵にドキュメント』(朝日放送)で「私が(フジテレビ在籍期に)報道番組でお伝えした数多くの事件の中で最も衝撃のあった事件です」と、発言している。なお、逸見の出生地である大阪市阿倍野区阪南町と、同事件が起きた三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)北畠支店がある大阪市住吉区万代は徒歩圏内で近接しており、現場付近では北側の南港通が両区の境界となっている。また、北畠は阿倍野区の地名である。
  • 犯人は高校を半年で中途退学して学歴はなかったが、毎月本に1万円を費やすほどの読書家であり、自宅から「ヒトラー」「ムッソリーニ」「スターリン」「チャーチル」「ドストエフスキー」「ニーチェ」などの伝記物、大藪春彦などのハードボイルド小説、六法全書経営学医学などの書籍が600冊が出てきた。中学・高校の成績は平均以下だったが、本好きのため国語だけは高かった。また、バーテンやツケ取り立て人として不特定多数の客と長い間接してきた体験で記憶力が高く、39名の人質の顔と姓名を全部覚えていた。
  • 犯人が15歳で大竹市強盗殺人事件を起こして逮捕されたが、強盗殺人罪なら本来は死刑または無期懲役判決になるところ、少年法により1年半ほどで中等少年院送致だけで済み、少年法第60条による少年時代の殺人歴が銃刀法第5条の不許可条項に該当しなかったため住吉警察署より猟銃所持許可を出されていた。後のマスコミのインタビューで、人質たちが異口同音に少年法改正を訴えたが、全国紙では犯人の前科には触れても、短期間で仮退院していたことや少年法の問題に触れることはなかった。
  • 2009年3月1日にフジテレビ報道特別番組フジテレビ50ッスth!)でこの事件を取り上げた際に狙撃した警察官として登場した人物が実際には突入狙撃班には入っていなかったことが判明し、3月13日に訂正放送が実施された。
  • この事件を題材とした映画『TATTOO<刺青>あり』は、犯人と付き合っていた女性の中には、3代目山口組田岡一雄を銃撃したことで知られる鳴海清が付き合っていた女性がいると示唆するストーリーである[8]。事件後に取材をした毎日新聞の記者もこの情報を得ていた[9]

脚注[編集]

  1. ^ 1996年東京銀行との合併で東京三菱銀行へ商号変更。2006年に東京三菱銀行とUFJ銀行との合併で現在の行名に商号変更。
  2. ^ 三菱東京UFJ銀行北畠支店
  3. ^ なお、耳を切り取った行員は本来は殺人罪が適用される行為であるが、事件の状況を考慮し、立件はされなかった。
  4. ^ 『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)によれば、大阪府警察本部の零中隊は事件当時、専用のアサルトスーツ(突入服)を装備していたが、部隊の存在を秘匿するため着用せず、代わりにトレーニングウェアを着用したと記載されている。
  5. ^ 『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)によれば、この時、零中隊が使用した拳銃はスミス&ウエッソン(S&W)社製の45口径拳銃だったと記載されている。 事件当時の警察が使用していた拳銃で該当するものは、S&W社の「M1917」回転式拳銃である。この銃はニューナンブM60が配備される以前に、米軍から支給されたものである。
  6. ^ この事件が起こった当時、読売テレビを除く在阪3局は、すでにローカルワイドニュースが平日に編成されていた(毎日放送=MBSナウ、朝日放送=たいむ6、関西テレビ=アタック630)。
  7. ^ 本来は兵庫県が放送対象地域であるが、スピルオーバーにより大阪府も視聴可能地域となっている(当時、テレビ大阪は未開局)。
  8. ^ 文藝春秋社週刊文春』2009年4月2日号
  9. ^ 文藝春秋』2010年10月号 p,306

関連書籍[編集]

  • 読売新聞大阪社会部『ドキュメント新聞記者 三菱銀行事件の42時間』
  • 福田洋『三菱銀行人質強殺事件』
  • 麻生幾『封印されていた文書(ドシエ)』
  • 新堂冬樹『銀行篭城』
  • 大歳成行『危機管理 三菱銀行と猟銃人質事件の真実』

関連項目[編集]

  • ストックホルム症候群:人質事件において、人質が犯人に同調した行動をとる心理学的現象。当事件においても、見張り役をやらされた行員が警官の侵入に対し「入るな」や「警官がいます」など、犯人に協力する姿勢を示すということがあった。このような行動は、期待可能性不存在を理由に、犯罪とはされない。
  • 水谷勝海:元毎日放送アナウンサー。スポーツ実況アナウンサーのイメージが強いが、この事件解決までの2日間の中継リポートを担当した。

外部リンク[編集]