ソドムの市

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ソドムの市
Salò o le 120 giornate di Sodoma
監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ
脚本 ピエル・パオロ・パゾリーニ
セルジオ・チッティ
原作 マルキ・ド・サド
ソドム百二十日あるいは淫蕩学校
製作 アルベルト・グリマルディ
出演者 パオロ・ボナチェッリ
音楽 エンニオ・モリコーネ
撮影 トニーノ・デリ・コリ
編集 ウンベルト・アンセルッチ
配給 ユナイテッド・アーティスツ
公開 フランスの旗 1975年11月22日 パリ映画祭
イタリアの旗 1976年1月10日
フランスの旗 1976年5月19日
日本の旗 1976年9月25日
上映時間 117分
製作国 イタリアの旗 イタリア
フランスの旗 フランス
言語 イタリア語
フランス語
ドイツ語
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ソドムの市』(そどむのいち、 イタリア語: Salò o le 120 giornate di Sodoma, 「サロ、或いはソドムの120日」の意)は、1975年(昭和50年)製作・映画祭上映、1976年(昭和51年)公開、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督のイタリアフランス合作映画である。マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』(フランス語原題 Les 120 Journées de Sodome, ou l'Ecole du libertinage)を原作としている。スカトロ描写や性器の露出などの場面が非常に多い。ただしそれは単なるパゾリーニの嗜好としてだけではなく、様々な現代社会への批判が込められているという。

目次

概要 [編集]

パゾリーニは、原作では18世紀スイス山奥の城館であった舞台を20世紀イタリアに置き換え、この物語を現代における権力と個人の関係、消費社会のメタファーに作りかえた。その構成はダンテの 『神曲』 の構成を借りており、「地獄の門」 「変態地獄」 「糞尿地獄」 「血の地獄」の四つの章から成る。

本作の完成後、パゾリーニ監督はローマオスティア海岸で謎の多い死を遂げており、この作品が遺作となった。

ちなみに欧米ではあまりの過激な表現が問題となり上映禁止になった。

ストーリー [編集]


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


イタリアが連合国に降伏した後、残余のファシストたちは北部の町サロに集まって亡命政権(イタリア社会共和国)を形成していた。このナチス傀儡政権の権力者たち、大統領大司教・最高判事公爵の四人は、自分たちの快楽のために市町村条例を新しく制定する。その規定に従って美少年美少女が狩り集められ、さらにその中から彼らの厳選した男女各9人が秘密の館に連れ去られる。

権力者たちはそこで自分たちの定めた規則に従って、あらゆる淫蕩・変態行為に耽る。毎日、集会所で四人の語り婆たちのうち一人に猥褻な体験を話させることによって欲望をかきたて、少年少女たちを相手にその話を実行に移すのである。変態行為は次第にエスカレートしていき、最後には死に至る拷問が待っている。しかし、犠牲者たち同様に狩り集められてきた館の少年警備兵たちは、苦悶する犠牲者たちを尻目にラジオの音楽にあわせてダンスのステップなど踏んでいる。

政治的意図 [編集]

当時のイタリアもまた欧米における学生運動が展開されていた時期であった。こうした状況下でパゾリーニは自らの意見を映画の様々な描写の中に込めている。スカトロ描写に関しては現代の消費文明、特に食物の浪費(飽食)を強く批判する意図があったと語り、また経済面でイタリアの主導権を握る北イタリアの文化が貧しい南イタリアへ浸食している事に対する批判でもあったという。また舞台を原作のスイスからナチファシスト政権下のイタリアに設定したのは左翼運動に反感を抱いていた右翼への攻撃が意図されていた。

またパゾリーニは映画の撮影直後に海岸でその死体が発見された。警察はパゾリーニから性的暴行を受けた少年による犯行と断定し逮捕したが、パゾリーニの遺体は全身が殴打された上に車で何度も轢かれており、ネオ・ファシストの暗殺とも噂された。2005年には元少年が自首,彼の告白では,犯行は犯人グループからの恫喝でやむなく行った事で、実際には数人の男によるリンチ(パゾリーニを「薄汚いコミュニスト」などと罵倒していたという)でパゾリーニは殺されたとのことであった。

出演 [編集]

外部リンク [編集]