帝塚山古墳

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帝塚山古墳
帝塚山古墳(2007年2月)
帝塚山古墳
位置 北緯34度37分17.61秒
東経135度29分48.58秒
所在地 大阪府大阪市住吉区帝塚山西2-8
形状 前方後円墳
規模 全長88m、高さ9m
築造年代 4世紀末~5世紀初頭
被葬者 大伴金村父子説あり
出土品 円筒埴輪
史跡指定 1963年国指定
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帝塚山古墳(てづかやまこふん)は、大阪市住吉区帝塚山にある古墳。近隣の帝塚山という地名のルーツ。

概要[編集]

現在は、帝塚山古墳は一つだけだが、明治時代までは、俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、この地に館を持っていた古代豪族大伴氏大伴金村とその子の墓とされていた。大帝塚の方は、現在の大阪市立住吉中学校の敷地となり、小帝塚の方が帝塚山古墳として現存している。前方後円墳。

帝塚山は、元はたんに「塚」または「手塚」「手塚山」と呼ばれていた。阪堺線の塚西停留場の名称は、塚の西という意味でその痕跡を伝えていると言えるかもしれない。

明治天皇大阪行幸し、かつての南朝後村上天皇御所だった住吉行宮に滞在し当地に足を運んだことを機縁に「帝塚山」という名称に改められたと伝えられる。その一方で、摂津名所図会(1796年)に「帝塚山」の記載がみられることから、江戸時代後期にはすでに「帝塚山」と呼ばれていたとも指摘されている[1]

財団法人住吉村常盤会が管理している。

1928年には、大阪市により古墳の周囲を含む地域を史跡公園として整備し帝塚山公園とする都市計画事業が立ち上がったが、その後土地の買収が進まず計画は中座している。

交通[編集]

所在地 大阪市住吉区帝塚山西2丁目8

脚注[編集]

外部リンク[編集]