二井原実

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二井原実
基本情報
出生名 二伊原実
出生 1960年3月12日(49歳)
学歴 佛教大学
出身地 日本大阪府大阪市住吉区
ジャンル J-POP
職業 シンガーソングライター
作曲家
担当楽器 ボーカル
活動期間 1980年
レーベル 徳間ジャパンコミュニケーションズ
共同作業者 LOUDNESS
SLY
X.Y.Z.→A
西寺実
影響 上田正樹
ビートルズ
ロニー・ジェイムス・ディオ
  

二井原 実(にいはら みのる 本名:二伊原実 読みは同じ)は日本の歌手ヘヴィメタルバンドラウドネスX.Y.Z.→Aのヴォーカリスト。1960年3月12日大阪府出身。主な愛称は「ニイチャン」。他には「みの吉」「二井原先輩」「実ちゃん」「世界のニイハラ」等。しかし今では「祖師谷の二井原」それどころか、「そこら辺の二井原」と言われたりもすることもある。それは彼の気さくな人間性に拠るところが大きい。

目次

[編集] 二井原の歴史

1960年、大阪府大阪市住吉区で生まれる。小学生の頃、ビートルズブルースR&Bに興味を持ち、祖母にベース・ギターを買ってもらったことで二井原の音楽人生はスタートした。

上宮高校に入学する頃には同級生の石原慎一郎と共にEARTHSHAKERを結成、同時期にフォークバンド『金魚バチバンド』にも参加[1]、二井原はベーシストとして参加したが、当時のボーカル(あまりの歌唱力不足に加え、人間的にも問題があったらしく、1年足らずでバンドから浮いてしまったため)を解雇した為、二井原自身がボーカルを兼任しながらベースを弾くことにしていた。 高校卒業後、1980年には「ハードロックはもうやらない」と言う理由でEARTHSHAKERを脱退してしまい、ソウルシンガーとしての道を歩むことを選んだ(この時期にムード歌謡グループ「ニック・ニューサー」のヒット曲「サチコ」のレコーディングにコーラスとして参加している)。

佛教大学軽音楽部では藤村幸宏らとファンクバンド「青春会」を結成し、ITACHIなどと共に京都では有名なファンクソウルバンドになる。 翌年、二井原のソウルバンド時代の音源を聴いたレイジー高崎晃が二井原の声に興味があるのでオーディションを受けてほしいとの電話が入り、軽い気持ちで受けることを決め、(二井原曰く)5000円札を握り締めながら夜行バスに乗り、上京した。 そして、オーディションには見事合格したものの、高崎と樋口はまだレイジーの活動もあり、新しいバンド名も決まっておらず、二井原が加入した数ヶ月間は宙ぶらりんな状態であったそうだ。 また、上京後は自身の住居が見つかるまでは樋口宗孝のマンションに居候させてもらい、生活していた。

1981年5月末にレイジーが解散し、一段落したのを機に8月にはデビューアルバムのレコーディングを開始、バンド名もLOUDNESSに決定したのもこの頃である。 そして、ラウドネスは1981年11月にデビューした(ラウドネス時代についてはラウドネスの項目参照)。

1988年末、各音楽雑誌に「二井原実(LOUDNESS)脱退!帰国」というニュースは世界中のヘヴィメタルファンに衝撃を与えた(実際は脱退ではなく解雇であった)。1989年にはソロアルバム「ONE」をリリースし、中間英明、藤村“茶々丸”幸宏らを従えてツアーを開始。

1990年、茶々丸(g)、永井敏巳(b)菅沼孝三(Dr)と言ったテクニカル集団らと共に「デッド・チャップリン」なるバンドを結成する。

1994年、石原慎一郎(g)、寺沢功一(b)、樋口宗孝(Dr)らと共に「SLY」を結成。(SLYについてはSLYの項目参照)

1999年、SLYの活動が休止したのを機に引退を決意していたが、ファンキー末吉に説得され、末吉とともにX.Y.Z.→Aを結成する。(X.Y.Z.→AについてはX.Y.Z.→Aの項目参照)

2000年、ラウドネスに復帰。

2006年、17年振りのソロアルバム『Ashes to Glory』をリリース。ラジオ番組「Heavy Metal Syndicate」の宛て先BGMでお馴染みの全盲と言うハンデを背負うテクニカルギタリスト「田川ヒロアキ」のプロデュース兼ギタリストとしての参加が話題となった。

2008年、同年5月9日~10日間に行われたソロライヴ時の音源を収録した2枚組みCD『MINORU NIIHARA LIVE!"R&R GYPSY SHOW"@KAGURAZAKA DIMENSION』をリリース。特に、ソロライブにおいては、LOUDNESSの同僚である山下昌良をサポートベーシストとして迎えることが度々あった。同時期に、SHOW-YA寺田恵子、アースシェイカーで二井原の後任ボーカリストの西田昌史と「西寺実」を結成した。

[編集] 二井原伝説

  • ハードロックを辞めると言う理由でアースシェイカーを脱退した二井原がラウドネスでデビューしたと知った石原は「シェイカーがデビューしたら絶対シバいたる!」と思っていたそうだが、ある日、偶然二人が会った時の二井原の第一声は「すまん!許してくれ!」だったそうで、その後あっさり和解したそうだ。
  • ラウドネスやSLYでは威厳あるロックシンガー二井原実として振舞っていたが、X.Y.Z.→AではセクハラまがいのMCを繰り出すコミカルなシンガーとしても活動しており、ライブ会場でもセクハラまがいの掛け合いを繰り返すのは恒例となっており、女性ファンまでもが盛り上がる光景が見られる。
例:「やらせろ~!(二井原)」「やらせろ~!(男)」「いいわよ~!(二井原)」「いいわよ~!(女)」、「しゃぶって~!(二井原)」「しゃぶって~!(男)」「しゃぶりた~い!(二井原)」「しゃぶりた~い!(女)」
  • LOUDNESSの海外進出時、英語詞はすべてネイティブに歌ってもらったものを耳コピしていたそうだが、現在は流暢な会話が可能。海外のメディアなどでインタビューを受けた時なども通訳なしで問題なく受け答えしている(LOUDNESSのDVDなどでも確認できる)
  • ある日、爆風スランプとX.Y.Z.→Aのドラマーのファンキー末吉が二井原の自宅に泊まりに来た際、彼の風貌を見た二井原の子供が怖さのあまり号泣したというエピソードがある。二井原曰く、「それ以来子供がファンキー末吉の名前を聞くとすぐに大人しくなるようになった」とのこと。また、二井原と末吉は大変仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしている。
  • 84年当時にライブ前やリハ前に二井原自身の音頭でローディー達に”数字の一は、なぁ~に?”と掛け声をかけ、ローディー達の答えは”それトルコ!トルコ!!」”と答えていた。

[編集] ディスコグラフィー

  • ONE(1989)
  • Ashes to Glory(2006)
  • MINORU NIIHARA LIVE!"R&R GYPSY SHOW"@KAGURAZAKA DIMENSION(2008)

[編集] 著書

  • ロックンロール・ジプシー

[編集] DVD

  • 二井原実 直伝 ロック・ヴォーカリスト養成塾(2004)

[編集] 脚注

  1. ^ 二井原実BLOG R&R GYPSY 「シャラの決意」より

[編集] 外部リンク

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