ファンキー末吉

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ファンキー末吉
基本情報
出生名 末吉覚
別名 Newファンキー末吉
出生 1959年7月13日(52歳)
学歴 神戸商科大学(現・兵庫県立大学)管理科学科中退
出身地 日本の旗 日本, 香川県坂出市
ジャンル J-POP
職業 ミュージシャン
文筆家
ドラマー
担当楽器 ドラム
活動期間 1980年 -
レーベル CBSソニー
1984年 - 1991年
Sony Records
1991年 - 1999年
公式サイト ファンキー末吉ホームページ

ファンキー末吉(ファンキーすえよし、1959年7月13日 - )は、香川県坂出市出身のミュージシャンドラマー文筆家。本名は末吉 覚(すえよし さとる)。ファンキーとは自身がファンク指向であったことから付けられた芸名である。

香川大学教育学部附属坂出中学校香川県大手前高等学校卒業、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)管理科学科中退。

目次

[編集] 来歴・人物

1980年にアマチュアバンド「爆風銃」(バップガン)をホッピー神山と結成。メンバーの入れ替えを繰り返すが、1982年ヤマハ・イーストウェストで出会った「スーパースランプ」(当時)のボーカルサンプラザ中野リードギターパッパラー河合を勧誘し、直前に爆風銃に加入していたベース江川ほーじんとともに爆風スランプを結成した。

以降、1998年の活動休止に至るまで、爆風スランプのドラムおよび作曲を担当した。またパーカッションを演奏する事もあった。当初アフロヘアーであったが、髪型を変えた際に一時Newファンキー末吉とクレジットされたことがある。現在も長髪である。

爆風スランプの活動と並行し、ジャズのステージにも立つなど、多方面で活動。爆風スランプの活動休止後、1999年二井原実LOUDNESS)らとともに「X.Y.Z.→A」を結成。また、「夜総会BAND」のドラマーとしても活動する。

また、1990年には当時アングラ的存在であった中国のロックシーンに触れる。この体験に基づく小説を著すとともに、中国でスタジオ・ミュージシャン音楽プロデューサーサザンオールスターズの北京公演も彼のコーディネートによるところが大きい)などの仕事を手がけるようになる。中国人女性と結婚したこともあり、2001年には生活の場を北京に移し、中国を拠点として活動するようになった。こうした経緯から中国語に堪能であり、中国語会話に関連した著作もある。1999-2000年にNHK教育テレビの「中国語会話」にレギュラー出演した。

1997年SMAP香取慎吾主演の映画「香港大夜総会~タッチ&マギー~」(東宝)において、サウンドトラックを担当。楽曲の演奏メンバーは夜総会BANDのメンバーが中心となっている。

2006年、中国映画「瘋狂的石頭クレイジーストーン)」(寧浩監督)の音楽を担当。この映画は中国全土でヒットし、東京国際映画祭でも上映された。

2007年北朝鮮で(合法的に)ロックバンドを作るプロジェクトを開始した。既に何度か北京より渡航している。そのプロジェクトは「NEWS ZERO特別版"北朝鮮でロックする!"」(日本テレビ)でドキュメンタリーとして放送された。

2009年5月東京都八王子市に「Live Bar X.Y.Z.→A」を開店した。

2010年、演劇ユニット・プロペラ犬の演劇公演『アウェーインザライフ』の音楽監督を担当。

2011年10月、『美男ですね』の舞台で楽器指導を担当。

2011年、爆風スランプのトリビュートアルバム『We Love Bakufu Slump』(2011年12月25日発売)をプロデュース。参加メンバーはアースシェイカー生田ノブヤノイズファクトリー)、石川俊介聖飢魔II)、内田雄一郎筋肉少女帯)、梅原"PAUL"達也44マグナム)、X.Y.Z.→A王様サンプラザ高円寺くん渡辺英樹田口智治笠浩二米川英之C-C-B名義)、曾我泰久THE GOOD-BYE)、田中雅之(ex.クリスタルキング)、デーモン閣下(聖飢魔II)、ホッピー神山三井雅弘(ex.Tops)、山下昌良ラウドネス)、ロリータ18号など[1]

[編集] JASRACとの戦い

2009年5月に「Live Bar X.Y.Z.→A」を開店させてからしばらくして日本音楽著作権協会(JASRAC)から著作権料の支払いを求める手紙が届いたが、手紙の内容をみた末吉が不可解な料金徴収法に対し激怒した。

末吉曰く「これではヤクザのみかじめと同じである。ちゃんと著作権者に分配しろよ!!」と憤っており、弁護士にも相談、JASRACと長期間に渡る交渉を行う事を決意した。具体的には、自らのバンドであるX.Y.Z.→Aに関するJASRACからの分配額のうち、ライブハウスの演奏・カラオケなど「社交場」カテゴリーの分配額がゼロであることに対し「X.Y.Z.→Aはこの10年で300本ぐらいライブをしているのに、印税が全くないのはおかしい」と疑問を持ったことが発端であるとしている[2]

2009年11月にサイゾーで取りあげられた事が[3]mixi等で話題になったことで末吉はネットユーザーの間で時の人となったが、末吉自身は話が大きくなっていることに困惑している事をブログで告白しており、「別に喧嘩を売ってるわけではない」とのこと。[4]

2010年6月の日刊サイゾーでのインタビューでは、自らも『Runner』の作曲者として印税支払いを受け、同曲の遠藤真志によるカバーバージョンがダイハツ・ムーヴカスタムのCMに使用された際には「トータルで八王子に家が買えるぐらい」の印税を得るなど、JASRACから相応の恩恵も受けていることを明らかにしつつ、今後JASRACの分配額決定方法について公開の話で第三者も交えた議論を行い「時代に合った新たな徴収方法」を模索することが必要だとの見解を示した[2]

[編集] 著作

[編集] 脚注・出典

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[編集] 外部リンク

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