C-C-B

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
C-C-B
}
基本情報
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック/ポップス
活動期間 1982年 - 1985年ココナッツボーイズ
1985年 - 1989年/2008年 - C-C-B
レーベル ポリドール(現ユニバーサルミュージック
公式サイト ユニバーサル 公式サイト
メンバー

渡辺英樹ベース、1982年 - 1989年/2008年)
笠浩二ドラム、1982年 - 1989年/2008年)
田口智治キーボード、1984年 - 1989年)
米川英之ギター、1984年 - 1989年)

関口誠人ギター、1982年 - 1987年/2008年)
旧メンバー
山下康文(キーボード、1982年 - 1984年)
山本達也(ギター、1982年 - 1984年)

C-C-B(シーシービー)は1980年代に活躍した日本のロックバンド。結成当初の名称はCoconut Boys(ココナッツボーイズ)で、C-C-Bはその略称。1985年中頃からCoconut Boys名義は使用せず、C-C-Bで統一している。

バンドの構成・特徴・総評[編集]

  • 1982年、青山に開局したミニFM局「KIDS RADIO STATION」(通称:KIDS)が、夏をイメージさせる新生バンドを数組結成させ、競わせるプロジェクトを企画。そのなかの一つとして、グループ・サウンズの再来を思わせる「和製ビーチボーイズ」をコンセプトにメンバーが集められ、結成されたのが『Coconut Boys』であった。しかし、実はメンバー全員、それまでビーチボーイズの音楽を耳にしたことはあれど造詣が深いわけではなかった。結成当初は5人(後にまで在籍したメンバーは渡辺、笠、関口。田口と米川は1984年に加入)で活動。
    同年、KIDS自主制作の企画カセットテープ『RASPBERRY AVENUE』に参加してマイナーデビュー(後述C-C-B#ディスコグラフィー項参照)。
  • 1983年6月1日、シングル『Candy』で単独デビュー(Coconut Boys名義)。
同曲・次曲と続けて大手企業のCM曲に起用されるが大きなヒットには結びつかなかった。
  • 80年代当時、日本ではまだ珍しかったイギリスのシモンズ社(SIMMONS)の電子ドラムの音色、デザイン性の高い六角形パッドのバスドラムトムトムが印象的なドラムセットも併せて話題になった。それを演奏しながら、インカムでメインボーカルをドラマーが担うスタイルは斬新であった。なお、後に「SIMMONS」の知名度を日本に広めた功績を認められた笠は、シモンズ社から限定生産のドラムセットのモニターに選ばれている。
  • 1987年、関口の脱退を機に、それまで主にコーラスを担当していた米川がセンターポジションに就いてメインボーカルとして歌う機会が増えた。
  • 当初はカラフルな髪の色や派手めの服装、アイドル雑誌やテレビ番組での露出が多かったため「アイドル」「イロモノ」扱いをされることが多かった。20代の男性であるメンバーには少々可愛らしすぎる内容の取材やテレビ出演の際のセット、衣装が用意されることもあった。しかし、どのような形であれ、まずは自分たちの名を知って貰うことを優先すべきと割り切って仕事をこなしていった。バンドを継続出来ない状況に陥ることの方が不本意であった。
  • 「Romanticが止まらない」のヒットから約1年、「一発屋」の下馬評を打破し、人気も安定してきた頃合いを見計らって、髪色をナチュラルカラーに戻した(衣装は年齢相応に落ち着いた物から、奇抜なものまで様々)。しかし、もう少し骨太なロック色の強さを打ち出したいメンバーの思惑と、現状維持を求める周囲の状況は少なからずメンバーを追い詰めていた。仕事と割り切らなくてはいけない一面と、ミュージシャンとしての自我のせめぎ合いに苦しんだ時期である。自分たちに出来ることは何か、求められているものは何か。メンバー内で幾たびも話し合いが持たれた。そして辿り着いた指針は、音楽に真摯に向き合い、自分たちにしか出来ない表現でミュージシャンとして勝負し続けることであった。所謂「アイドルバンド」と色眼鏡で見られてしまう悔しさやロックバンドとしての実力を認知されにくい状況もあるが、少なくともバンド名が認知されていることは恵まれていると思えば溜飲も下がる。時間は掛かるかもしれないが、少しずつでも必ず結果がついてくると信じてライブや楽曲制作に力を注いだ。途中、メンバーの脱退やそれに伴う編成の変化など紆余曲折があったが、それらも経験の一つと受け止めて成長の糧にしていった。
  • アルバム制作においてメンバーの楽曲が多く採用されるようになると、それまで以上に時間を費やして音作りに没頭する。作詞・作曲・編曲とメンバーの個性や特性が磨かれ、開花していった。それらを盛り込んだアルバムを携え、ロックの要素が色濃くなったライブを年間に数十本こなす傍ら、他のバンドも出演するイベントやセッションにも積極的に参加した。
  • メンバー個々の音楽性、可能性を更に昇華させる意も込め、1989年に解散を決定。同年10月9日、日本武道館でのコンサートを以って解散した。
  • 「Romanticが止まらない」はレコーディングではスタジオミュージシャンが演奏している。ただ、この1曲を除いて他の曲は全てメンバーが演奏している。
  • 解散後も時折テレビ番組の企画においてメンバーが数人集まり『Romanticが止まらない』を披露することがあった。
  • 2008年に渡辺・笠・関口の3名でC-C-B名義を正式に名乗り、再結成(2009年以降、活動は休止)。
  • 2011年、渡辺、田口、笠、米川の4名が、ファンキー末吉プロデュースの爆風スランプトリビュートアルバム『We Love Bakufu Slump』に参加[1] 。クレジットにもC-C-Bと記される。
同年6月7日、タワーレコード渋谷店において渡辺と笠がC-C-B名義では初のインストアイベント(トーク&サイン会)を行った[2]。同店の2014年6月7日付・総合チャートにおいてC-C-Bが1位を獲得した[2]

略歴[編集]

デビュー前[編集]

  • 1977年当時、アマチュアバンドベーシストとして活動をしていた渡辺に、同バンドのドラマーだった伊藤真視が田口を紹介。伊藤が脱退するにあたり、中学の後輩だった笠を後任のドラマーに推薦。以降、3人が顔を合わせる機会が増える。

デビュー以降の活動実績[編集]

  • 1982年昭和57年) - ミニFM局が企画した、新生バンドを数組結成させ競わせるプロジェクトに、渡辺・笠・関口を含む5人がバンドを組み参加。Coconut Boys結成。但し、バンド名や音楽性などメンバーの趣味嗜好は反映されず、企画に沿った「和製ビーチボーイズ」のイメージで活動を始める。
  • 1983年(昭和58年) - シングル『Candy』でデビュー。全農ヨープレイトのCM曲に起用されるがヒットには至らなかった。
  • 1984年(昭和59年) - 初期メンバーの山下と山本が脱退。田口、米川が新メンバーとして加入。セカンドシングル『瞳少女』がロート製薬なみだロート」のCM曲に起用される[3]
  • 1985年(昭和60年) - バンド名をC-C-Bに変更(関口はC-N-Bを提案したが、渡辺が「読みやすいしゴロも良い」とC-C-Bに決めた)。
  • 1985年1月8日 - TBSテレビで連続ドラマ『毎度おさわがせします』放送開始。オープニングテーマ曲にシングル『Romanticが止まらない』が採用される。同年1月25日リリース。同年2月21日、『ザ・ベストテン』の“今週のスポットライト”に出演。そのカラフルな髪色や当時は珍しかったシモンズを叩きながらドラマーがリードボーカルをとるスタイルも話題となり、一躍ブレイクした。
続けてリリースした『スクール・ガール』『Lucky Chanceをもう一度』『空想Kiss』もヒットに結びついた。
第27回日本レコード大賞金賞を受賞。 第36回NHK紅白歌合戦に出場(曲は『Lucky Chanceをもう一度』)。
  • 1986年(昭和61年) - 『元気なブロークンハート』発売を期に、全員髪の毛をナチュラルな黒にした。
1986年12月 - シングル『ないものねだりのI want you』でオリコン1位を獲得。1986年度FNS歌謡祭において、『不自然な君が好き』で優秀歌謡音楽賞受賞。
  • 1987年(昭和62年)1月 - 関口が脱退を表明。4月6日、よみうりランドEASTでのステージを以って脱退。
  • 1987年9月 - 『原色したいね』が明治製菓の菓子「かるかったウエハー」のCMソングに採用される。また、10月公開の劇場アニメ映画『勝利投手』の主題歌に起用(c/w『Love Is Light』も挿入歌として使用されている)。
  • 1988年(昭和63年)1月 - 『抱きしめたい』が『日立 世界・ふしぎ発見!』のエンディング曲に採用される。
  • 1989年平成元年)4月 - 最終シングル『Love is Magic』をリリース。10月9日日本武道館でのライブを最後に解散。

解散後の動き[編集]

  • 1990年、渡辺・田口・米川の3人の総合ファンクラブ「ヨネタワタルクラブ」発足(C-C-B時代のマネージャーが籍を移したイベント企画会社が運営)。それぞれが今後の指針を模索していた時期であり、会報も3人の状況などを知らせる役割を大きく担った総合紙面であった。この時点では、のちのヨネタワタル(後述「AJ-米田渡-項参照)」のような音楽活動はしていない。1993年に米川がバップレコードに移籍するにあたり同ファンクラブは終息(米川は自身のファンクラブ「Buddy」(会報は1996年まで発刊)を発足)[4]
  • 1994年、『ザ・ベストテン同窓会Ⅱ』に5人揃って出演。
  • 2002年11月4日、「2002佐賀インターナショナル バルーンフェスタ」にて、笠・渡辺・関口の3人による非公式復活ライブ。
  • 2003年3月25日放送の日本テレビ系列『学校へ行こう! 奴らがB-RAPに出たのは“なんでだろう”SP』の1コーナー「速報!歌の津軽テン!!」にも、上記の3人で出演。『Romanticが止まらない』“津軽弁バージョン”を、本人歌唱という形で披露した。
  • 2005年2月21日から放送されたアサヒ飲料缶コーヒー「WONDAショット&ショット」のCMに『Romanticが止まらない』がタイアップされメンバーの笠浩二もこのCMに出演した。これに合わせて2月23日に『Romanticが止まらない』がRemix Versionで再リリースされた(2曲目にOriginal Versionも収録)。
  • 2005年7月からCX系で放送されたテレビドラマ電車男』の劇中挿入歌として『Romanticが止まらない』採用され、ほぼ毎週主人公の大切な場面で印象的に使用された。これによって更に再注目の度合いが増した。
  • 2005年8月16日、NHKが毎年夏に行う大型公開歌謡番組『思い出のメロディー』にて『Romanticが止まらない』が披露された(田口智治は不参加)。観客を前にした生放送での演奏は実に17年ぶりである。この出演については半年近く前からNHKのスタッフと幾度も打ち合わせを行い、当日のリハーサル直前まで膝をつき合わせたという。一般に知られる通常のアレンジではない、ロックテイストを前面に出したアレンジを米川英之を中心に行った。
  • 2007年10月8日放送の『SMAP×SMAP』で、稲垣吾郎扮するキャラクター・CCB吾郎が(番組内での)罰ゲームとして新宿駅東口広場で行ったゲリラライブに渡辺・笠・関口の3人がサプライズゲストとして登場。この日のためだけに、ブレイク当時を思い起こさせる派手目のカラーを入れた髪と衣装で『Romanticが止まらない』を披露した。
  • 2014年6月4日、解散25周年にあたり、C-C-B名義でアルバムを2枚同時リリース。

再結成[編集]

  • 2008年4月17日、渡辺・笠・関口の3人がC-C-B名義での再結成を発表。同月28日、東京・表参道FAB公演を皮切りに、大阪、名古屋でライブを行った。しかし、2009年以降、3名によるユニット活動は凍結。

その他[編集]

  • メンバーがランダムに集まり、C-C-B名義を使用しないユニットを組んでライブを行っている(例:渡辺×田口×米川→ヨネタワタルAJ-米田渡-、以下項を参照)、渡辺×米川→WY、渡辺×田口→TANaBE、田口×米川→B×Bなど)。

AJ-米田渡-[編集]

  • 2004年、C-C-B解散後に渡辺・田口・米川の総合ファンクラブの名称として使用したヨネタワタル名義を、3人の音楽ユニットの名義としても使用する旨を発表。同年7月6・8日に青山円形劇場において「CCB21☆LIVE'04 Project vol.1 FROM ヨネタワタル」と銘打ったライブを敢行[5]
  • 2011年、『ヨネタワタル』を『AJ-米田渡-[6]名義に改め、再始動。
C-C-B時代にメンバーが作った楽曲を主にセットリストに組んだライブを基盤とする主旨を掲げている。同ユニットにおいては、結成を呼びかけた米川がリーダーである。
  • 2011年7月3日・神戸CHICKEN GEORGE、4日・名古屋BOTTOM LINE、6日・渋谷DUO MUSIC EXCHANGEの三会場で『冒険のスズメ』ライブを行った。同年10月27日にはBLUFF Hornsをゲストに迎え『田口智治Birthday Live「田口★祭」』を Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて行った。同日、7月に行なわれたライブを収録したDVD『AJ-米田渡-TOUR 2011「冒険のスズメ」』を発売。
  • 2012年2月1日、『AJ-米田渡- Presents 渡辺英樹 Birthday Event「30周年リサイタル」』を開催。過去に渡辺が参加したバンドやユニット(AJ-米田渡-、THE GATES、三喜屋・野村モーター'S BAND)、客演としてBLUFFも出演し、ライブを行なった。このライブを一区切りとして『AJ-米田渡-』の今後の活動は未定としていたが、同年6月20日に行ったUstreamでの配信[7]において、2011年同様、『田口智治Birthday Live「田口★祭2」』をAJ-米田渡-のメンバーで開催する旨を発表した。
  • 2012年10月27日、『田口智治Birthday Live「田口★祭2」』を開催。「田口★祭」が毎年恒例になるか、具体的には未定であるというが田口は「(出来れば)続けたい」とライブのMCで語った。
  • 2013年2月1日(渡辺の誕生日)から同年3月3日(米川の誕生日)まで、『AJ-米田渡- TOUR 2013 「Let's Go Climax」』と銘打ったライブツアーを行った。同年7月13日、『AJ-米田渡- DVD Release&ファンキー末吉Birthday Live「末吉のススメ」』と銘打ったライブを開催。
  • 2013年11月10日、本ユニットのライブなどに尽力しているBLUFFの松木隆裕が主催したライブ『松木セッション』に参加。AJ-米田渡-名義での客演ではないが、ライブでは「AJ-米田渡-コーナー」が設けられ、オリジナル曲やC-C-Bの楽曲を披露した。
  • 2014年3月2日、『米川英之30th Anniversary LIVE』が行われた。AJ-米田渡-コーナーが設けられた。
  • 2014年3月14日、1stミニアルバム『AJ』をリリース[8]。C-C-B時代にライブで演奏されていたが未音源化であった「赤いセーターの女の子」も収録されている。
  • 同年6月13日から28日まで『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」』ツアー敢行。九州での2公演(熊本・福岡)にゲストとして笠浩二を迎える。解散時の4人が集結しC-C-Bの曲を演奏するのは、“ヨネタワタル”が行った2004年の青山円形劇場公演(アコースティックライブ。笠はサプライズゲストで登場。ただし、痛風の痛みから思うように足が動かせなかったためドラムセットは使わずタンバリンでの参加)以来、実に10年ぶりである。
  • 同年6月28日、新宿BLAZEにて『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」FINAL』公演。終盤のMCにおいて、2015年2月1日(渡辺の55歳の誕生日)に『ゴーゴーヒデキ』と冠したライブを開催する旨を発表。そのライブは三部構成を予定しており、オープニングアクトに“AJ-米田渡-”、中盤に“WY”、メインアクトは“C-C-B”で行うと発表した。
  • 同年10月27日、田口智治の誕生日を祝うトーク&ライブ『田口智治バースデーパーティー?ライブ?』をニコニコ生放送で生中継した。終盤のMCにおいて『ゴーゴーヒデキ』の追加公演決定(2015年1月30日、神戸チキンジョージ)を発表。“C-C-B名義でのワンマンライブ”を企画している旨を明らかにした。解散時の4人が同列に名を連ねた “C-C-B”として観客を前に演奏を披露するのは、1989年10月9日の解散コンサート以来となる(『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」』九州公演では笠はゲスト扱いであった)。

メンバー[編集]

メンバーの現在の活動については各個人の章を参照のこと。

渡辺英樹(わたなべ ひでき、1960年2月1日-、ベースパーカッション、リーダー)
ブレイク当時、ベースを極めて高い位置(胸の位置)で演奏していた。C-C-B後期より現在まで腰の位置での演奏をしている。チョッパー(スラップ)を得意としている。
単独でバラエティ番組やトーク番組のゲストに招かれることも多かった。また、ラジオのパーソナリティも務めた。
解散後も元メンバーとの交流やセッションを積極的に行っており、C-C-B名義を冠したライブやイベントにも多く参加している。
初期は髪を紫色に染めていた(その後は青やオレンジなど、メンバーの中で一番多く髪色を染め直していた)。80年代前半には斬新だったカラフルな髪色に加え、男性がピアスを左耳にのみ着用していることも物珍しがられた(解散後は右耳にも穴をあけ、現在は両耳にピアスを着用可能である)。
笠浩二(りゅう こうじ、1962年11月8日-、ドラム
ブレイク直後のショッキングピンクに染めた髪とパステルカラーの眼鏡は、C-C-BのカラフルでPOPなイメージコンセプトを象徴していた。現在もC-C-Bとしてのテレビ等出演時には、髪を(一時的に)ピンク色に染めている。
当時最先端のシモンズの電子ドラム(パッドが六角形)、ヘッドフォンインカムマイクを使用し、ドラムを叩きながらファルセットを駆使し高音で歌うスタイルは、非常に斬新であった。
関口誠人(せきぐち まこと、1959年5月2日-、カットギターサックス
結成当初からのメンバーであったが、1987年1月の中野サンプラザ3Day's公演最終日に脱退を表明。脱退直前よりソロ活動を展開。シンガーソングライターを主軸とするかたわら、俳優物書きなどを経験。
初期は髪を緑色に染めていた。2008年の再結成の際は当時のイメージを再現するため緑色のカツラを着用した。
田口智治(たぐち ともはる、1960年10月27日-、キーボード
加入前は、近藤真彦のバックバンド「ダブルス」のメンバー。既に武道館でのコンサートをも経験しているプロのキーボード奏者だった。その後メンバーの強い誘いにより、ココナッツボーイズに加入。
シンセサイザーはヤマハDX7ローランドのjupiter-8を初期から使用し、後期にはD-50コルグM1も使用している。普段は温和でおとぼけキャラだったため「愛すべきイジられ役」であった。
後期のアルバム制作においては作曲・編曲面において中核的な存在であった。
初期は後ろ髪をやや長めに伸ばして紫色に染め、束ねていた。髪色を戻した1986年から暫く口髭を蓄えていた。
米川英之(よねかわ ひでゆき、1964年3月3日-、リードギター)
音楽専門学校在籍時にスカウトされて、ココナッツボーイズに加入。
関口が在籍時代はボーカルをとることが少なく、主にコーラスを担当。ギターを弾くことに比重の多くを傾けていた。
アルバム「愛の力コブ」の収録曲「ハートブレイク・カラー」でメインボーカルデビュー。関口脱退後からは、それまで関口が歌っていたパートを他のメンバーで振り分けて歌うようになったため、米川にも割り振りが多く回ってきた。シングル『抱きしめたい』でメインボーカルを担当。
メンバーで唯一、派手なヘアカラーを入れず、自然な髪色で通した。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  1. Candy (1983.6.1)
  2. 瞳少女 (1984.7.25)
  3. Romanticが止まらない (1985.1.25)
  4. スクール・ガール (1985.4.25)
  5. Lucky Chanceをもう一度 (1985.8.21)
  6. 空想Kiss (1985.11.27)
  7. 元気なブロークン・ハート (1986.4.9)
  8. 不自然な君が好き (1986.8.27)
  9. ないものねだりのI Want You (1986.12.10)
  10. 2 Much,I Love U. (1987.6.3)
  11. 原色したいね (1987.9.23)
  12. 抱きしめたい (1987.12.2)
  13. 恋文(ラブレター) (1988.4.13)
  14. 信じていれば (1988.10.25)
  15. Love Is Magic (1989.4.25)
  16. Romanticが止まらない Remix Version (2005.2.23)

12インチシングル[編集]

オリジナルアルバム[編集]

アルバムは1994年10月26日に初期の2作品を除いて、アルバム発売時前後にリリースしたシングル盤を収録し“Plus版”として再リリースされた(既に廃盤)。

  1. Mild Weekend (1983.6.25)
  2. Boy's Life (1984.8.25)
  3. すてきなビート (1985.5.25)
  4. 僕たちNo-No-No (1985.12.15)
  5. 冒険のススメ (1986.6.18)
  6. 愛の力コブ (1986.12.15)
  7. 石はやっぱりカタイ (1987.7.25)
  8. 走れ☆バンドマン (1988.5.25)
  9. 信じていれば (1988.12.15)

ベストアルバム[編集]

  1. 楽しい夏休み (1985.6.25)
  2. The Best Of C-C-B Vol.1 (1989.6.1)
  3. The Best Of C-C-B Vol.2 (1989.9.1)
  4. C-C-B Super Best (1992.1.25)
  5. ベスト2500/Romanticが止まらない (1993.11.1)
  6. SINGLE COLLECTION (1994.10.26)
  7. スペシャル1800 (1996.11.21)
  8. TREASURE COLLECTION (1999.6.30)
  9. すてきなビート(テクノ歌詞DX ポリドール編) (2000.5.25)
  10. スーパー・バリュー/C-C-B (2001.12.19)
  11. GOLDEN☆BEST C-C-B (2003.11.26)
  12. プライム・セレクション C-C-B (2006.1.18)
  13. エッセンシャル・ベスト C-C-B (2007.8.22)
  14. C-C-B シングル&アルバム・ベスト 曲数多くてすいません!!(2014.6.4)

ライブ・アルバム[編集]

企画アルバム[編集]

ミニアルバム[編集]

AJ-米田渡-名義

  • AJ (2014.3.14 ※同年3月2日ライブ会場にて先行販売)

未音源化作品[編集]

  • オープニングラップ 作詞:渡辺英樹・関口誠人 / 作曲:田口智治・米川英之・笠浩二
  • カラフルコミックス 作曲:田口智治・渡辺英樹・米川英之・関口誠人・笠浩二
  • グットナイトは早すぎる 作詞・作曲 / 関口誠人

その他[編集]

  • RASPBERRY AVENUE - 1982年にKIDSレーベルで企画・発売されたコンピレーション・アルバム。『Mild Weekend』に収録されている曲から抜粋されたものが収録されている。同アルバムにはオレンジ・シスターズパイナップルボーイズらの曲も収録され[9]、ショーケース的な意味合いも含まれた作品である(この企画に参加したバンドは全て果実の名が付けられた)。当初はカセットテープでリリース。“KISD”の放送が受信できる半径500m内の路上や一部店舗での委託販売(主に青山、表参道、原宿界隈)。のちに、1983年に同内容で『KIDS PRESENTS “RASPBERRY SOUND”』のタイトルでプロモーション用LPとして再発売された[10]。2012年9月に『KIDS PRESENTS “RASPBERRY SOUND”』としてCD化されている。
  • なお、「Romanticが止まらない」以前に発表されたアルバム『Mild Weekend』、『Boy's Life』、シングル『Candy』、『瞳少女』はKIDSレーベルから発売されていた。『Romanticが止まらない』のヒット以降、ポリドール・レコード(現:ユニバーサルミュージック)に版権が移った。
  • We Love Bakufu Slump - 2011年12月25日発売。爆風スランプのトリビュートアルバムに、渡辺・田口・笠・米川の4人が参加。「Runner」を担当。クレジットには『C-C-B』と記載されている。また、2013年1月15日発売の同アルバムのコンプリート盤『爆風トリビュートComplete』にも収録されている。

DVD・映像作品[編集]

  • C-C-Bの大冒険(1985.11.25)
  • C-C-B LIVE晴(1986.7.5)
  • C-C-B LIVE TOUCH AND GO 1987.5.25)
  • C-C-B ビデオクリップ コレクション(1989.9.1)
  • C-C-B メモリアル DVD BOX(2004.9.29)

AJ-米田渡-名義

  • AJ-米田渡-TOUR 2011『冒険のスズメ』LIVE DVD(2011.10.27)
  • AJ-米田渡-TOUR 2013『Let's Go Climax』LIVE DVD(2013.7.13)

関連書籍[編集]

  • Don't stop the C-C-B : C-C-B photo & song CoConut Boys(1985.7) - 日音
  • コミックザカメラボーイ : C-C-B写録&語録 ボクらが、ボクらを、ズームした (1985.11) - 日音
  • C-C-B yes,100熱(1986.11) - ワニブックス
  • C-C-Bネイキッズ (1987.2) - シンコーミュージック
  • C-C-B go ahead : 写真集・終章[4・6 east]からのスタート(1987.9) - シンコーミュージック
  • C-C-B寝たふり : Memorial (1989.11) - シンコーミュージック
  • Close/C-C-B(1989.12) - CBS・ソニー出版
    • C-C-B田口君のラッキーボードをもう一度(1986.6.1) - シンコーミュージック
    • C-C-B米川君のロック・ギターが止まらない(1986.6.1) - シンコーミュージック

タイアップ・関連商品など[編集]

※楽曲のタイアップ及びカバーなどは上記「ディスコグラフィー」で各曲を検索。

  • ブルボン 『懐メロクッキー』:2003年4月22日 - 5月5日までの期間限定、全国のローソンのみで発売。1960年 - 80年代に流行した歌謡曲の8cmCDを1枚おまけとして貼付。全9種。C-C-Bは『Romanticが止まらない』を提供。
  • ファンデリー 『CCB カロリー・コンロトール・ボックス』:2008年10月 - 、栄養価・カロリー計算をされた食事(弁当)宅配サービス。2008年に再結成したC-C-Bをイメージキャラクターに起用。関口を被験者としてダイエットブログも並行してサイトに掲載されていた(不定期、数ヶ月で終了)[11]
  • サントリーフーズBOSS 懐かしのヒット曲歌謡祭』:2011年8月16日 - 、6缶パックケース側面に1箱あたり8cmCDを1枚を貼付して販売。全30曲。C-C-Bは『Romanticが止まらない』を提供。9月20日からの第4弾シリーズ、カフェオレ缶に貼付。

テレビ番組[編集]

ドラマ

  • ふぞろいの林檎たちTBS) - 1985年放送「Ⅱ」の第3話「転職考えますか?」の回に渡辺、関口がエキストラとして出演。バンドマン役。
  • 毎度おさわがせします(TBS) - 第1シリーズから第3シリーズまで、全て主題歌を担当しオープニングVTRにも登場。また「1」ではライブバンドとして、「2」のスペシャル放送の回においては銭湯の女湯に乱入する役で5人揃って出演している。
  • 温泉サギ師 湯けむり・グルメ・やっちゃうからぁ!(TBS) - (1986年12月31日)。ライブシーンが数分間使用されている。
  • パパはニュースキャスター (TBS)- (1987年)。第2話にC-C-Bとして出演。劇中で「ないものねだりのI Want You」を演奏するが、ストーリーの展開上、止む無く演奏を中断。

バラエティー等

  • C-C-Bのファーストドリーム(TBS) - (1986年1月) - お正月特番。歌ありコントありのバラエティー番組。但し、メンバーにとっては黒歴史扱いになっている。
  • レッツ・ラ・ゴー! (TBS) - (1986年1月9日 - 3月20日)。「COCONUT倶楽部」コーナーを担当。視聴者からの質問に答えるなどトーク主体。コーナー内で必ず一曲は演奏を披露した。
  • MTV:Music Television - (朝日放送) - (1986年) 。邦楽PVを紹介するコーナーを担当。

その他、ひょうきんベストテンなどのバラエティー番組にも柔軟に対応し、出演をしていた。 解散直前には、多くの歌番組でヒットメドレーを披露した。

※上記はC-C-Bとして特筆に値するもの。他に音楽番組・バラエティー番組・トーク番組など多数出演。  

ラジオ番組[編集]

 ※他に音楽情報番組・バラエティー番組・トーク番組のゲストなど多数出演。

CM[編集]

  • 1983年 - 全農「ヨープレイト」 - シングル「Candy」が起用される。出演はなし。
  • 1984年 - ロート製薬「なみだロート」 - シングル「瞳少女」が起用される。出演はなし。
  • 1985年 - ファーストキッチン - アルバム「すてきなビート」収録曲「二人のシーズン」が起用される。メンバーをアニメキャラクターにした映像を使用。
  • 1987年 - 明治製菓「かるかったウエハー」 - シングル「原色したいね」が起用される。出演はなし。
  • 1987年 - モーリス楽器製造 - エレクトリックアコースティックギターのカタログに米川が起用される。紙面のみ。
  • 1989年 - HONDA オートバイ「ホンダAX-1」 - イメージキャラクターに笠が起用される。ポスター、パンフレットのみ。楽曲はなし。
  • 1989年 - UCC上島珈琲缶コーヒー「UCC CAN COFFEE 」 - 笠の曲「30センチでつかまえて」が起用される。出演はなし。なお、この曲はC-C-B解散後、笠のソロ曲として発売される。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2011年9月20・21日、ファンキー末吉所有の「ファンキースタジオ八王子」にて録音。20日の楽器演奏を主体としたレコーディング風景はUstreamで約4時間に渡り生配信された。また、翌日21日は「平成23年台風第15号」直撃の最中に行なわれ、途中で停電に見舞われて中断するなどアクシデントもあった。しかしそれも含めて思い出深いレコーディングになったという。熊本県在住の笠は現場に参加せず、9割方出来た音源を送ってもらい、そこにボーカルを合わせるという別録音形態で作品を完成させた。
  2. ^ 進行役は80年代当時、音楽雑誌「PATi PATi」でC-C-Bを担当していた森田恭子が務めた。
  3. ^ リリーズ後すぐにヒットには繋がらなかったが『Romanticが止まらない』のヒットにより過去の作品も見直された。ロート製薬がスポンサーであり、尚且つ『毎度おさわがせします』を放送していたTBSのクイズ番組「クイズダービー」では毎週オンエアされた。
  4. ^ ヨネタワタルクラブでは、各メンバー個別にファンを率いてイベントや小旅行などを実施した。
  5. ^ 6日分のチケットが即日完売になったことを受けて、8日の追加公演が急遽決定した(8日はサプライズゲストとして笠が登場した)。なお、ライブの模様はビデオ撮影がなされ後日販売も計画されていたが諸事情により暗礁に乗り上げ、お蔵入りのままになっている。
  6. ^ 『AJ』とは、田口の弁によると、米田渡の打ち合わせをしている席で、参加メンバー3人の名前の漢字一文字を並べて、『英・治・英』→『えい・じ・えい』→『えいじえぃ』→『エージェー』→『AJ』になったとのこと。何故名前を並べていたのか、字のチョイスの選択基準などは不明。
  7. ^ 「FunkHornMusic」 http://www.ustream.tv/user/FunkHornMusic
  8. ^ 2014年3月2日に行われた「米川英之30th Anniversary LIVE」の会場にて先行販売され、同時にサイン会も行われた。
  9. ^ 当時ハワイのFMラジオ放送局KIKI(現在のKHJZの前身)が放送を録音したカセットテープを販売していた手法を真似て、DJ風の楽曲紹介と音楽を取り入れた。
  10. ^ 当時はインディーズレーベルのLPなどは一般のレコード店店頭では見かけることは稀だったが注文して入手することは可能であった。
  11. ^ 2013年10月16日付で特設サイト[1]は閉鎖。系列の食事通販サイトに販売を移行。