エディ・クレイマー

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エディ・クレイマー
Eddie Kramer
基本情報
出生名 Edwin H. Kramer
出生 1941年
出身地 南アフリカの旗 南アフリカ連邦 ケープタウン
ジャンル ロック
職業 プロデューサーエンジニア
活動期間 1964年 - 現在
共同作業者 ジミ・ヘンドリックス
KISS

エディ・クレイマー(Edwin H.Kramer, 1941年 - )は、南アフリカケープタウン出身の音楽プロデューサーレコーディングエンジニア

経歴[編集]

幼少~1960年代[編集]

幼少期からピアノ、チェロ、バイオリンを習い、名門南アフリカ音楽大学でクラシック・ピアノを学ぶが、徐々にジャズに傾倒。19歳の時にイングランドに移住すると、ハイ・ファイ機器を導入したホームスタジオで、趣味として地元のジャズ・バンドの録音などを手がける。

1964年パイ・スタジオのスタッフとなり、サミー・デイヴィスJr.ペトゥラ・クラークキンクスなどのレコーディングに関わる。1965年にはKPSスタジオを設立、また新しい4トラック・スタジオ建設のためにリージェント・スタジオに雇われた。 その後、ロンドンオリンピック・スタジオに参加、トラフィックスモール・フェイセズビートルズローリング・ストーンズジミ・ヘンドリックスらの録音に参加。とりわけ、『アー・ユー・エクスペリエンスト?』から『クライ・オヴ・ラヴ』までのすべてのアルバムの制作に関わったヘンドリックスとの仕事は有名で、ヘンドリックスの死後も、ダガー・レコードから発売された『レインボウ・ブリッジ』('71年)、『戦場の勇士たち』('72年) 、『ヘンドリックス・イン・ザ・ウエスト』('72年)などのプロデュースを手がけた。

1968年ニューヨークレコード・プラント・スタジオに移り、ヘンドリックスの『エレクトリック・レディランド』のエンジニアリングのほか、ヴァニラ・ファッジジョー・コッカーNRBQなどのアルバム制作を担当。

1968年からはフリーとなり、『レッド・ツェッペリン II』のエンジニアリングを手がける(このアルバムでの仕事を皮切りに、クレイマーは計5枚のレッド・ツェッペリンのアルバムに関わることになった)。 1969年中頃には、ウッドストック・フェスティバルのアルバム、映画両方を担当した。

1970年代[編集]

クレイマーは1970年から1974年にかけてエレクトリック・レディ・スタジオのプロデューサー、エンジニアを務め、ジミ・ヘンドリックスの作品のほか、カーリー・サイモンシャ・ナ・ナピーター・フランプトンなどを手がけた。

1975年には、キッスの初のライヴ・アルバム『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』のプロデュースを担当。その後永く続くキッスとの関係が始まったほか、レッド・ツェッペリンの『永遠の詩』、フランプトンの『フランプトン・カムズ・アライヴ!』などのエンジニアリングを担当した。

1980年代~現在[編集]

80年代にはファストウェイアンスラックストゥイステッド・シスターLOUDNESSHR/HM領域のアーティストを多数手がけたほか、1993年には、ザ・キュアーエリック・クラプトンバディ・ガイジェフ・ベックプリテンダーズスラッシュポール・ロジャースパット・メセニーら豪華な顔ぶれが参加した、ジミ・ヘンドリックス・トリビュート・アルバム『ストーン・フリー』に収録されたいくつかの曲をプロデュースした。

外部リンク[編集]