牛田成樹
| 横浜DeNAベイスターズ #35 | |
|---|---|
2010年4月3日
ヤクルト戦 明治神宮野球場 |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 徳島県小松島市 |
| 生年月日 | 1981年12月6日(30歳) |
| 身長 体重 |
188cm 87kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2003年 ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2004年7月28日 |
| 年俸 | 3,200万円(2012年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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牛田 成樹(うしだ しげき、1981年12月6日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。徳島県小松島市出身。
愛称は「牛くん」。「牛魔神」のニックネームで呼ぶ個人ファンも多い。
目次 |
[編集] 経歴
高校時代は徳島商業高校の野球部に所属し、1999年に夏の甲子園に出場。その後明治大学に進学した。元同僚の呉本成徳、および岡本篤志(西武)や佐藤賢(元ヤクルト)は明大の同期。大学時代は深夜自主トレを頻繁に行っていたため、警察官から職務質問を5回受けたことがある。
2004年、ドラフト4巡目で横浜に入団。同年7月28日の対ヤクルト戦で初登板した。
2006年、本来は中継ぎ・抑えの投手ながら、5月9日のイースタン・リーグ対インボイス戦で先発。8回2アウトまでノーヒットノーランを続けたが水田圭介にヒットを打たれた。結局9回をこの1安打のみにおさえて完封勝利。一軍の試合でも7月11日に札幌ドームでの対巨人戦、8回2失点でプロ初勝利を挙げている。
2007年シーズン序盤は、中継ぎ投手として一軍で出場するも、5月7日に急性大腸炎のため横浜市内の病院に入院。翌日登録を抹消された。入院で体力が落ちてしまったせいもあり、その後は1度の一軍登板のみでシーズンを終えた。趣味、特技はどちらとも阿波踊り、2007年4月29日のヒーローインタビュー(お立ち台)でも阿波踊りを披露している。
2008年は右足首骨折で出遅れたものの、8月に戦列復帰し中継ぎで23試合に登板した。
2009年、一軍では中継ぎとして4試合の出場にとどまった。教育リーグに参加したが新型インフルエンザに感染し隔離されてしまった。
2010年、春季キャンプは二軍スタートとなったが、一軍キャンプの紅白戦に呼ばれ、奪三振ショーを魅せつけた。独自の筋肉トレーニングも実を結んで、オープン戦で好投し開幕一軍を果たすと、抑えの山口俊へと繋ぐセットアッパーとして活躍。このシーズンに活躍した牛田成樹(Shigeki Ushida)・江尻慎太郎(Shintarou Ejiri)・山口俊(Shun Yamaguchi)・真田裕貴(Hiroki Sanada)の4選手は、投手コーチの野村弘樹から「クアトロS」と呼ばれた(かつてのクアトロKになぞらえたものである)。3年ぶりの白星を挙げた3月31日の対巨人戦ではお立ち台で「やじられないように投げた」などと語り、ファンを笑わせた。6月17日には、右肩骨挫傷により一軍登録を抹消されるものの、9月に復帰後もセットアッパーとして安定した投球を続け、自己最高の成績を残した。
[編集] プレースタイル
投球の途中で一度三塁側に顔を向ける独特のフォームから平均球速約140km/h[2]、最速149km/hのストレートと大小2種類のフォークボールを投げ込む。また、時折スローカーブも織り交ぜて投球を組み立てる。2010年春キャンプでは監督の尾花高夫からシュートを直伝されたが、実戦では使っていない[要出典]。一軍・二軍とも先発でも結果を出しているが、持ち球や特性から首脳陣の中にはリリーフ投手として育成したい意向も根強い[要出典]。
[編集] 人物
半袖のアンダーシャツを好み、春先やシーズン終盤の寒い時期でも半袖で登板する。本人の言では「腕を思いきりふるために長袖は邪魔になるから、寒いのを我慢して半袖で投げている」とのことである。「腕を思いきりふること」に専念しており、「もしそれができなくなったら」と心配している。寒さ故、指を口に近付けて息を吹き込み暖めている様子もしばしばみられた。2010年の好調時は、CS放送ニュースバードのアナウンサーが「牛田といえば、半袖。半袖といえば牛田」と連日興奮して伝えていた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | 横浜 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 10 | 1.1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6.75 | 3.75 |
| 2005 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 6 | 1.1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.50 | |
| 2006 | 28 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 326 | 84.2 | 62 | 16 | 16 | 0 | 1 | 86 | 3 | 0 | 28 | 28 | 2.98 | 0.92 | |
| 2007 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 44 | 10.1 | 11 | 1 | 3 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 3 | 3 | 2.61 | 1.35 | |
| 2008 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | .000 | 102 | 24.0 | 18 | 6 | 13 | 0 | 0 | 28 | 1 | 0 | 16 | 14 | 5.25 | 1.29 | |
| 2009 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 32 | 6.0 | 9 | 1 | 2 | 0 | 2 | 10 | 1 | 0 | 8 | 7 | 10.50 | 1.83 | |
| 2010 | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 23 | .667 | 213 | 52.0 | 28 | 4 | 28 | 1 | 1 | 69 | 3 | 0 | 9 | 7 | 1.21 | 1.08 | |
| 2011 | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 19 | .667 | 188 | 46.1 | 37 | 7 | 16 | 1 | 0 | 61 | 1 | 0 | 21 | 19 | 3.69 | 1.14 | |
| 通算:8年 | 154 | 7 | 0 | 0 | 0 | 9 | 7 | 0 | 46 | .563 | 921 | 226.0 | 169 | 35 | 81 | 2 | 5 | 267 | 9 | 0 | 86 | 79 | 3.15 | 1.11 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 投手記録
- 初登板:2004年7月28日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、8回裏に3番手で救援登板、1/3回1失点
- 初奪三振:2004年10月4日、対読売ジャイアンツ28回戦(横浜スタジアム)、9回表に阿部慎之助から
- 初先発:2006年7月2日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(横浜スタジアム)、8回1失点で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:2006年7月11日、対読売ジャイアンツ10回戦(札幌ドーム)、6回1失点
- 初ホールド:2007年4月30日、対中日ドラゴンズ6回戦(横浜スタジアム)、6回表1死に2番手で救援登板、2/3回無失点
- 打撃記録
- 初安打:2006年7月11日、対読売ジャイアンツ10回戦(札幌ドーム)、3回表にジェレミー・パウエルから中前安打
[編集] 背番号
- 35(2004年 - )
[編集] 高校時代の戦績
- 1999年(平成11年) - 全国高等学校野球選手権大会
[編集] 脚注
- ^ サンケイスポーツ・横浜DeNAベイスターズ 2012年度契約更改
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、178頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
[編集] 関連項目
- 徳島県出身の人物一覧
- 明治大学の人物一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 川上憲伸 - 高校・大学の先輩
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