加藤武

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かとう たけし
加藤 武
生年月日 1929年5月24日(82歳)
出生地 日本の旗 日本東京市京橋区(現・東京都中央区
ジャンル 俳優
主な作品
悪い奴ほどよく眠る
仁義なき戦い 代理戦争
仁義なき戦い 頂上作戦
悪魔の手毬唄』 『獄門島
風林火山
受賞
1977年:第2回報知映画賞助演男優賞(『悪魔の手毬唄』『獄門島』)

加藤 武かとう たけし1929年5月24日 - )は、日本俳優文学座代表代行。東京市京橋区(現・東京都中央区)出身。俳号は「阿吽」。

目次

[編集] 来歴・人物

1929年、魚河岸で仲卸業を営む家に生まれる。祖母は十五代目市村羽左衛門の贔屓、両親[1]共に清元節を嗜み、姉は舞踊をやっていた。中央区立泰明小学校旧制麻布中学校卒業(小沢昭一フランキー堺仲谷昇なだいなだは麻布中学校の同級生だった)。幼少期より歌舞伎を愛好し、学校を早退してまで歌舞伎座に通っており俳優に憧れていた。早稲田大学では演劇研究会に入り、ここで今村昌平北村和夫らと知り合う。

早稲田大学英文科卒業後、一時教職(英語を教える)に就くも俳優への道を諦めきれず、1952年、辞職して先に北村が入団していた文学座に入る。この頃に演芸評論家作家である正岡容に出会い、歌舞伎や芸のいろはを学ぶ。杉村春子にも芸をたたき込まれたともいう。当時、正岡は人間国宝桂米朝や役者・俳人小沢昭一、作家の都筑道夫等も門下としていた。 映画界には1955年川島雄三監督の『愛のお荷物』のナレーションとして参加したことから始まり、以降川島作品の常連となる。黒澤明監督作品には、1957年の『蜘蛛巣城』における都築警護の武士役が初出演。その後も『隠し砦の三悪人』の冒頭部分で壮絶な死にざまを見せた落武者、『悪い奴ほどよく眠る』では三船敏郎の相棒・板倉役で出演する。

仁義なき戦い』シリーズでのミニ山守とも言うべき姑息で優柔不断な親分・打本昇役や、市川崑監督・石坂浩二主演の金田一耕助シリーズの警部(または署長。粉薬を手放さず大仰な身振りで早合点を繰りかえす同一キャラクターだが、役名は毎回異なり金田一とも初対面に戻ってしまう)など印象的なバイプレイヤーとして活躍。また、盟友・今村昌平監督とその弟子・浦山桐郎監督作にも重要な役で出演している。1970年代にはNHKで放映された「警部マクロード」の上司役のアテレコも茶の間の人気を呼んだ。近年は映画『釣りバカ日誌』で主人公・浜崎伝助の務める鈴木建設の秋山専務役、『日本沈没』では総理大臣(石坂浩二)と田所雄介博士(豊川悦司)が対峙する場面でその後ろにいる地球物理学の権威の役を演じている。

2006年に映画『犬神家の一族』が30年ぶりにリメイクされた際には、石坂浩二らとともにオリジナル版と同じ役で登場した。金田一シリーズの「よしっ!分かった!」という手をポンと叩きながら発するフレーズは特に強い印象を与えており(野村證券のCMでも使用された)、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ系)の1コーナー「クイズよしっ分かった!」のモデルとなり、レギュラー出演もしていた。

エッセイ執筆などもこなす器用な人物だが、自分の半生や戦前の下町の様子などを語る場合には、枕言葉で生まれた「小田原町」が必ず出てくる。現在では存在しない地名のため、小田原市と混同されるが、築地明石町や小田原町は電信や郵便といった明治の文明開化が上陸した最初の地であるため、江戸人は強いプライドを持っていたらしい。

現在も文学座のベテラン俳優として舞台で活躍するほか、海外ドラマアニメへの声優としての出演作も多数ある。近年では、徳川夢声以来となる吉川英治の『宮本武蔵』の朗読に取組んでいる。

[編集] 主な出演

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] 吹き替え

[編集] ラジオ

[編集] 著作

[編集] 脚注・出典

  1. ^ 母親は演芸も好きであり、三代目三遊亭円之助のファンであったようで、圓之助はたびたび「築地のおばさん」と呼んでいたという。

[編集] 外部リンク

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