南の島に雪が降る

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南の島に雪が降る』(みなみのしまにゆきがふる)は、俳優加東大介の従軍経験を元にした回想小説。初版は1961年9月に、文藝春秋新社(現:文藝春秋)から刊行された。

太平洋戦争大東亜戦争)末期、飢えとマラリアに苦しむニューギニアの首都マノクワリで、兵士の慰安と士気高揚のため作られた劇団の物語。加東大介(本名・加藤徳之助)軍曹が座長を務め、漫画家小林よしのりの祖父(母方で博多出身)も座員で、「快僧曹長 篠原龍照」として登場する。

あらすじ[編集]

加東大介は舞台俳優一門の家庭で育ち根っからの役者。甥っ子2人も、後に俳優長門裕之津川雅彦(兄沢村国太郎の子で、姉は沢村貞子)となったが、長門は当時から子役で活動していた。当時加東は、劇団前進座に所属していたが、昭和18年(1943年)10月に召集を受けニューギニアに向かった。しかしそこは主力部隊から脱落し見放され、救援物資も届かない最果ての地。戦友たちは飢えとマラリアでバタバタと死んでゆく。いつ戦争が終わるかもわからない。希望が全くない。

そんな過酷な状況で加東大介は、上官からの命もあり、なんと演芸分隊を立ち上げ、熱帯のジャングルの真ん中に日本の舞台を作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、舞台美術・衣装担当の友禅職人など、実に個性的なメンバーと共に、彼らは公演を始める。

ありあわせの布に絵を描いて衣装を作り、ロープをカツラにし、亜鉛華軟膏を塗りたくり白粉にする。いまその舞台を見たら、なんと粗末な舞台だと思うだろう。しかしいつ帰れるかもわからない日本兵にとって、それは夢だった。希望そのものだった。女形の内股の白さに女房を思い、小道具の長火鉢に日本を思う。その舞台を見るまでは死ねない。時には重病人を回復させるまでもの希望が、その舞台にはあった。

長谷川伸瞼の母」の舞台では、紙を使い雪を降らせた場面では、客席から毎回、どよめきと歓喜の声があがった。加東らは雪景色を充分堪能させてから登場するようにしていたが、ある日の公演で、いくら待ってもしんとしている。不審に思って舞台の袖からのぞいてみると、数百名いた兵隊が皆、涙を流していた。聞いてみると彼らは東北の部隊だった。

かくして日本への帰還に至るまで、兵たちを慰安するため、ほぼ休演日無しで公演を行っていった。

出版書誌[編集]

  • 1961年 文藝春秋新社
  • 1983年 旺文社文庫
  • 1995年 筑摩書房〈ちくま文庫〉-上記の再版
  • 2004年 光文社知恵の森文庫 ISBN 9784334783051

映像化作品[編集]

映画[編集]

1961年版
加東大介の原作に沿って映画化、自身が自らの役を演じた。戦線背後での密林中での演芸会が中心で戦後エピソード等は、一切ない。当時の人気喜劇役者が多数出演している。

出演[編集]

1995年版
原作の演芸会を中核にして日本人の戦争への態度を問う意欲的な作品。戦後未帰還の日本兵を捜しに来るエピソードが前後に付け加えられ、演芸会は慰安ではなく確実な死を覚悟に前線に転じる兵士を送る儀式と描かれている。

テレビドラマ[編集]

  • 加東自身の主演で、1961年4月にNHKでドラマ化(映画化の前)されたが、写真のみで映像録画は残っていない。
  • また同じ加東自身の主演で、映画化後の1964年1月8日から同年1月29日までフジテレビ系列でドラマ化された。全4回。放送時間は毎週水曜22:15 - 22:45(JST)。
  • フジテレビドラマ『6羽のかもめ』(脚本倉本聰、1974-75年)でも、加東が演じる人物(自身の遺作で、元俳優の設定)が、マノクワリで芝居をしたと言うエピソードが紹介される。
フジテレビ 水曜22:15 - 22:45枠
前番組 番組名 次番組
南の島に雪が降る
(1964年版)