アクション映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アクション映画(アクションえいが)は映画のジャンルのひとつで、登場人物の身体的な運動能力を用いた活躍に主眼がおかれたものを指す。

アクション映画はしばしば、正義が悪を倒して物事を解決するという勧善懲悪の物語が描かれる。幅広くとらえるとアクション映画には、犯罪映画スリラー西部劇戦争映画パニック映画等がふくまれる。

目次

[編集] 変遷

最も初期のアクション映画は1903年のアメリカ映画、エドウィン・S・ポーターによる「大列車強盗」である。その後1910年代にはアメリカで連続活劇と呼ばれる映画が流行し、現在のアクション映画の基礎を築いた。

映画によって異なりはするが、善人は愛国的で保守的なアメリカ人で、悪党は犯罪者や国外のスパイである場合が多い。1950年代-1960年代には、共産党が悪党として多く登場した。その頃のアクション映画は、かなりプロパガンダ映画に近づいていたのである。1970年代に入ると共産党の悪役は減り、かわって現れたのはテロリストやその他の犯罪者たちである。代表例としては『007シリーズ』があげられるが、実際には共産主義者を悪として描いていることは少なく、むしろ冷戦で対立する資本主義国と共産主義国の漁夫の利得ようとする悪の組織やテロリストの陰謀を阻止する任務を受けた主人公が、活躍するというパターンが多い(もちろん007には例外もあり、時代に合わせて変化しているのが今日までシリーズが続いている理由である)。

80年代に入るとアーノルド・シュワルツェネッガーシルベスター・スタローンをはじめとする、肉体派俳優が使命感に燃え、実力で次々と敵をなぎ倒すタイプの娯楽大作が数多く登場。銃撃戦やカーチェイス、爆破、そして格闘シーンなどが盛り沢山、お約束満載でとにかく派手で面白ければいいといったアトラクション型が隆盛を極めた。よって、ストーリーや展開で魅せようとすることは少なくなっていった。一般的にアクション映画と言うと、このタイプの映画を指す事が多い。

しかし、90年代を前にしてひとつの新しいタイプのアクション映画が登場する。その映画は『ダイ・ハード』である。この映画は、80年代のアクション映画のように使命感に燃えた正義のヒーローが実力で悪をやっつける作品ではなく、たまたま運悪く事件に巻き込まれ、いやいやながらも劣勢の状況を頭を使って克服し、敵の手の内を読みながら頭を使ってやっつけていくという等身大のヒーローが、作品そのもののの完成度の高さもあって観客に受け、その後のアクション映画に多大な影響を与えた。劣勢の主人公が頭を使って敵を倒すというシーンは60年代の007シリーズの初期には多くみられ、ある意味原点回帰でもある。

これ以降、派手なだけのアクション映画は徐々に鳴りをひそめ、ストーリーの展開も見所のひとつである、サスペンス要素の強い作品が増え、ストーリーの中に意外性のある物を作ろうとする傾向が増えていった。特に、近年は味方の中に裏切り者がいて、中には実はその人物が最大の敵であった、などといったものも多い。

アクション映画はしばしば、一人の英雄的な主人公を描く傾向がある。また、そのために軍隊や警察などをルールばかりに縛られた役立たずの組織として描く傾向がある。結果的に、ヒーローと組織の対立を生み出すが、最近は組織を否定することは少なくなってきている。

ちなみに日本でのアクション映画と言えば、古くはチャンバラ映画があげられる。当初はアメリカ映画同様、単純な勧善懲悪ものが多かったが、黒澤明によって新たなタイプが作られていく。黒澤は、映画のカメラワークや演出に革命を与え、現在では当たり前のこととなっている手法を、初めて行った監督である。このような手法を用い、50年代に主役級が数人いて、バラエティに富んだ展開や、作戦を駆使して敵をやっつける『七人の侍』や、60年代には上記の『ダイ・ハード』のように、劣勢の主人公が頭を使って敵をやっつけていく『用心棒』などがあり、『ダイ・ハード』のような映画を約20年も早く実行していた。これらの映画に共通するのは、見どころは殺陣(いわゆるアクションシーン)だけではなく、ストーリーで魅せようとするものである。

一方、アメリカのようなガンアクション映画は、予算の都合上どうしてもアメリカ映画よりも迫力のある映像を撮れないため、アクション映画が好きな日本人にも敬遠されがちであり、あまりつくられていない。

[編集] 代表的な作品

[編集] 戦争映画

[編集] カンフー映画

[編集] 警察もの

[編集] その他

  • 007』シリーズ

[編集] 関連項目


[編集] アクション俳優

アクション俳優のカテゴリを参照。