山室光史
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| 国籍 | ||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1989年1月17日(24歳) | |||||||||||||||||||||||
| 故郷 | ||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 158cm | |||||||||||||||||||||||
| 体重 | 58kg | |||||||||||||||||||||||
| 種目 | 男子体操競技 | |||||||||||||||||||||||
| 代表 | 2009- | |||||||||||||||||||||||
| 所属 | KONAMI | |||||||||||||||||||||||
| 学歴 | 埼玉栄高校→日本体育大学 | |||||||||||||||||||||||
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山室 光史(やまむろ こうじ、1989年1月17日 - )は、日本の体操競技選手。
目次 |
[編集] 略歴
茨城県古河市出身。1996年(平成8年)秋、体操競技をテレビで見たことをきっかけに小学2年生(7歳)で体操を始め、埼玉県大宮市(当時)のサトエスポーツクラブまで母の車で通い[1]、呉傑の指導を受ける。埼玉栄高校3年時に高校総体個人総合優勝を果たす。高校の上級生には坂本功貴がおり、また在学中に内村航平(東洋高校)と知り合い親交を深める。
日本体育大学体育学部体育学科に進学し、畠田好章の指導を受ける。また以後、内村とチームメイトとなる。2009年(平成21年)にJAPAN CUP2009の日本代表に選抜されナショナルチーム入り。翌年の2010年世界体操競技選手権(ロッテルダム)が世界選手権初出場となり、つり輪で4位と健闘した。しかし個人総合では、予選のゆかでの大きなミスが響き決勝進出できなかった。
日体大卒業後の2011年(平成23年)4月、内村とともにコナミスポーツ&ライフに入社。2011年世界体操競技選手権(東京)では、団体での銀メダルに貢献した他、個人総合とつり輪で銅メダルを獲得した。
2012年、ロンドンオリンピックでは、団体総合決勝・跳馬で着地時に転倒し、左足甲剥離骨折を発症して戦線離脱。個人総合を棄権した。
[編集] 特徴
小柄だが筋力に定評があり、力技と跳躍技を得意としている。最大の得意種目はつり輪で、日体大の卒業論文はつり輪の「後方伸身2回宙返り2回ひねり下り」の研究だった[2]。
いつも笑っている。いつでも笑っている。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- KONAMI体操競技部>選手&スタッフ紹介>山室光史
- 山室光史 - 国際体操連盟のプロフィール (英語)
- 山室光史 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)