阪神ファン
阪神ファン(はんしんファン)とは、日本プロ野球の球団・阪神タイガースを支持・応援するファンのことである。タイガースファンとも言う。
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[編集] 概要
阪神ファンは、応援の対象である阪神タイガースが兵庫県にある阪神甲子園球場を本拠地にしていることもあり、近畿地方を中心に存在している。近畿地方には大阪府を保護地域とするオリックス・バファローズがあるが、それを圧倒的に上回る人気を得ている。その総数は多く、日本の野球12球団の中でも読売ジャイアンツのファンである巨人ファンと一、二を争う。実際、球場への動員は2005年以降日本一であり、毎年300万人前後をコンスタントに動員している。阪神ファンの特徴として熱狂的な応援がある。
[編集] 呼称
- 阪神ファン・タイガースファン
- 最も一般的とされる。タイガースという球団名は日本のプロ野球以外にも存在する(デトロイト・タイガースなど)が、日本でタイガースファンと言えば通常は阪神タイガースのファンのことをさす。
- トラキチ
- トラ(タイガース)のきちがいという意味の略語であり、特に熱狂的な阪神ファンの呼称(あるいは自称)として用いられる。1985年の流行語大賞(銀賞)にもなった。
[編集] 阪神ファンの総数と分布
2004年と2005年に、関西大学と関西国際大学により全国のプロ野球ファンにアンケート調査が実施された。いずれの調査報告でも、阪神タイガースをもっとも好む球団に選ぶプロ野球ファンが最大で3割と一番多く、読売ジャイアンツがそれに続く結果となった[1][2]。さらに2005年、阪神タイガースが優勝した直後に大阪府立大学教授の宮本勝浩らがネット調査会社のデータなどを元におこなった調査によれば、日本全土で2,053万人の阪神ファンが存在し、巨人ファンを抜いて両リーグ最多であると推計している[3]。
さらに2005年以降毎年実施されている「スポーツマーケティング基礎調査」によると、阪神ファンと巨人ファンの総数が、プロ野球ファンの人数において毎年1、2位を争っており、共に1,000万人前後だと推計されている[4][5]。
阪神ファンの存在する地域としては、阪神甲子園球場のある兵庫県や近隣の大阪府を中心とした関西2府4県に多く、圧倒的な割合である[6]。関西以外の地域でも、中国、四国、関東と日本全土に幅広く存在し[6]、全国区といえる[2]。阪神タイガースは、読売ジャイアンツと並んで第二次世界大戦以前より存在するため、古くからのファンも多い。そのためファン層は幅広い年代で存在し、年代による大きな偏りは特に確認されない。
[編集] 阪神ファンの動員力
観客動員数は日本のプロ野球12球団一であり、ホームの試合だけで1シーズン300万人以上動員する[7][8][9]。
[編集] ホーム(甲子園球場・京セラドーム大阪等)
1985年の日本一になるまでの時期や、チームが低迷していた時期(1990年代)は巨人戦以外では空席も目立った甲子園球場であったが、2002年以降ではレフトスタンドの外野ビジター応援席以外は全て阪神ファンという光景が日常茶飯事になっており、その地鳴りのする応援は他に例を見ない迫力を作り出す。そのため、プロ野球中継の際には高確率で「甲子園は360度全て阪神ファン」のような球場の様子を見聞きすることができる。応援団とごく少数のビジターファンを除けば、ビジター応援席ですら阪神ファンばかりということもしばしばある。ビジター応援席でのホームチーム応援が東京ドームなどでは固く禁止されているのとは対照的に、甲子園球場においてはビジター応援席での阪神の応援は2011年までは特に禁止されていなかった。2012年からは甲子園を含む阪神主催試合において、ビジター席における阪神の応援は禁止となった[10]。なおビジター応援席は相手球団によってエリアの大きさが異なる。詳細はビジター応援席#阪神タイガース(阪神甲子園球場・京セラドーム大阪)を参照。
[編集] ビジター
ビジターでの試合でも、ビジター応援席は阪神ファンで満員になり、ビジターチームの応援席がホームチームの応援席より埋まっている試合も多い。ビジター側の内野席の大半まで、阪神ファンが陣取ることも珍しくない。したがって、週末や祝日の試合で阪神側の席(特に外野席)のチケットを手に入れることは容易ではなく、球場の周辺では試合前日の夜から自由席の席取りのため阪神ファンが長蛇の列を作ることもよくある。そのため、阪神を迎えてのゲームになると、チケット料金設定を変更したり、全席指定にしたり、ビジター応援席を拡大したりといった対策をする球団も多い。例えば東京ドームの巨人戦では学割チケットが導入されたが、阪神戦は対象外である。
[編集] 阪神ファンの特徴
「我等ぞ阪神タイガース」と「阪神タイガースの歌」(いわゆる六甲おろし)の歌詞にもあるように、阪神ファンは阪神タイガースに対し強い一体感を持っている。巨人の元エースで阪神のコーチを務めた西本聖は、「巨人ファンにとって巨人は趣味の一つ。阪神ファンにとって阪神は生活の一部」と評している。前述のアンケート調査からも、阪神ファンは球団に対する愛着や、ファン同士の連帯感が強いことが判明している[11]。また、阪神タイガースが弱い時でも、球団を温かく見守るファン心理も特徴として挙げられている[11]。
さらに阪神ファンは、熱狂的で、感情的で、陽気で、お祭り好きというイメージが自他共にある[1]。アンケート調査からも、野球にあまり関心がない、あるいは球団やファン集団への愛着が薄い比較的ミーハーなプロ野球ファン層では、巨人を支持する人がもっとも多いが、熱狂的なファン層では阪神を支持するファンがもっとも多いことが判明している[12]。
[編集] 阪神ファンの応援スタイル
阪神ファンの甲子園球場での応援は他球団の応援よりも熱狂的である。例えば、上原浩治は2006年WBCの際、韓国側の熱狂的な応援について質問されると「甲子園の応援の方が揺れてすごい」と答え[13]、また2007年北京オリンピックアジア最終予選後チャイニーズ・タイペイ戦での完全アウェーの応援について聞かれても「甲子園の阪神巨人戦が世界一」と語っている[14]。
阪神戦における甲子園での応援は上述のとおり地鳴りがするほどの大声援であるが故、他の球場と比べてグラウンドにいる選手間の会話(サイン確認など)が聞こえないことが多い。
[編集] 応援スタイル
ファンの応援スタイルは、攻撃時にヒッティングマーチを歌いながらメガホン(応援バット、カンフーバット)を叩くというオーソドックスなものが浸透している。
- 服装
- 応援時の服装は様々であるが、レプリカユニフォームや法被をはじめ、黄・黒・白・グレーとピンク(女性用レプリカユニフォーム)のいずれかを使ったものが主である。他にも、21世紀に入った頃からはオリジナルの服やレプリカユニフォームに刺繍を縫いこんだものを着用する者、プロレスラータイガーマスクの仮面を被っている者、虎柄の水着、ブラジャー(上半身はブラ一枚で応援する人もいた)を着用する者や、作業用のニッカーボッカーズに派手な刺繍を施したものを着用するファンもいる。
- 六甲おろし
- 「阪神タイガースの歌」の通称。阪神ファンはタイガースの試合前、阪神の選手がタイムリーや本塁打を放ったとき、勝利確定後などにこの歌を合唱する。ホームゲームでの勝利の場合はヒーローインタビューの後に恒例としてレコード・CDを使った演奏(歌手は過去に立川清登ら、現在は唐渡吉則ら)が行われ、それに合わせてファンが合唱する。
- ヒッティングマーチ
- レギュラークラスの選手には、1人1曲ずつヒッティングマーチが作られており、打席に立った際に各選手のヒッティングマーチが合唱される。控え選手や活躍目新しい選手など、ヒッティングマーチの作られていない選手の打席の際には、全員共通の「ヒッティングマーチ2番」を、投手には「ヒッティングマーチ1番」を使用している[15]。また、2010年より新外国人選手共通の「新外国人のテーマ」が使用されている。
- 蛍の光
- 相手投手がノックアウトされて降板する際、「さよならさよなら○○(降板する投手の名前)」とコールした後、「蛍の光」が合唱され、続いて「六甲おろし」が合唱される。しかし「蛍の光」は相手球団への侮辱行為であるとして批判する声もある。下記#応援スタイルに関する批判参照。かつて関東の球場では、『まんが日本昔ばなし』のエンディングテーマ「にんげんっていいな」の替え歌が合唱されていた。
- ジェット風船
- 7回の攻撃前(ラッキー7)、および阪神タイガースの勝利確定時に、ジェット風船が一斉に打ち上げられる。ラッキー7の際は、ホームではファンファーレの後に、ビジターでは「六甲おろし」(通常のリーグ戦では応援団の演奏に合わせての合唱であるが、交流戦では前述のCD音源が演奏される)を歌った後に打ち上げられる。ジェット風船の色は特に統一されていないので、勝利決定後も7回同様の色とりどりの風船が内野応援席から多数飛ばされる。
- あと一人コール
- 9回(表・裏とも)、またはビジター(裏のみ)においての延長戦のそれぞれで阪神がリードして決着が付く可能性がある回の守備で2アウトの際には、「あと一人」コールが連呼される[16]。2アウト2ストライクに達すると、コールが「あと一球」に変わる[17]。その後阪神の勝利が確定すると、ホームの阪神甲子園球場やジェット風船を飛ばすことが許可されている球場では、前述のようにジェット風船を飛ばす。ノーアウトからのトリプルプレーや、1アウトからのダブルプレーで試合が終わった場合は当然「あと一人・一球」はできない。
「チャンステーマ」も参照
- 相手チームのスリーアウト時
- ホームゲーム・ビジターゲームを問わず、相手チームの打者がスリーアウトチェンジになった時、トランペットを鳴らして「アウト」と叫ぶ。これを俗に「アウトコール」という。
- 試合終了後
- その日の試合に勝利すると、球場の周りに阪神ファンが集まり笛やメガホンを打ち鳴らしながら中虎連合会の時代の応援歌(掛布雅之、和田豊、ジョージ・アリアス、金本知憲ら人気選手が中心)・チャンステーマと現在(中虎連合会が完全に解散した2005年度以降)の応援歌・チャンステーマを大合唱するという光景が見られるときがある。これをファンは2次会と呼んでいる。ホームゲームでの勝利の時は、試合後内野席・アルプス席にいるファンがジェット風船を飛ばし、その後選手が直々に応援御礼という意味で整列し、選手が挨拶して締めくくる。
[編集] 応援団およびファンクラブ
2010年現在、「阪神タイガース応援団」が阪神タイガースの中で鳴り物応援を行う唯一の応援団である。以前は阪神タイガース応援団の前身の「阪神タイガース私設応援団」の他に「中虎連合会」という団体とレフトスタンドの応援団の守虎連合会で全体の応援を統率していたが、2004年に中虎連合会の幹部がヒッティングマーチに関する著作権法違反容疑で逮捕されたり、2005年には守虎連合会の会長が暴行容疑で逮捕などで、一団体のみという状況になった。2003年からは、球団公式ファンクラブも設立されている[18][19]。
[編集] 応援スタイルに関する批判
- 「蛍の光」に対して
- 球団OBの江夏豊が2006年6月5日付の『デイリースポーツ』紙のコラムに「『蛍の光』は相手投手を侮辱するもので、これを喜んで歌う観客は阪神ファンとは呼べず、観戦する資格はない」と寄稿するなど快く思わない人もいる。江夏のこの発言を受け、ヒッティングマーチ管理委員会が新たに同点時及び阪神劣勢時の相手投手交代時に演奏する「オペレーションビクトリー」なるヒッティングマーチを作成し同年7月28日の対ヤクルト戦より演奏されたが、広く波及するまでには至らず2010年に削除されている。
- ジェット風船に対して
- かつては横浜スタジアムなどジェット風船の使用が禁止されている球場でも平気で打ち上げる阪神ファンが大半であり、2006年に阪神タイガース私設応援団が打ち上げ自粛を呼びかけ収まった。
- あと一人コールなどに対して
- 「あと一人」「あと一球」コールや相手チームのバッターが2ストライクに追い込まれた時の「ウゥー、三振!」のコールについて、相手チームの応援の邪魔になるなどの反発がある。ただしこれらのコールは他のプロ球団[注釈 1]や大学野球の応援でも使用されている[注釈 2]。
[編集] 問題行動
前述したように、阪神ファンやその応援は熱狂的であるが、それが高じると対戦相手ファンや選手に対する暴行・威嚇行為といった行為に及ぶ者もある。以下のように、対戦相手への誹謗・中傷、プレーの妨害や、グラウンド内への乱入などが、新聞報道にもある。
[編集] 1950年代
- 1953年7月23日の対巨人戦(大阪球場)、死球をめぐって選手が投手にバットを投げるなど荒れた試合であった。その9回裏、阪神が詰寄るシーンで線審が飛球判定を誤審し、ゲームセットとなった。これをめぐって阪神側と審判団が紛糾し、騒然となった雰囲気で観客がグラウンドに乱入した[20]。
- 1954年7月25日の対中日ドラゴンズ戦(大阪球場)10回、捕球判定と選手の退場処分をめぐって阪神側と審判団が二度もめ、観客数百人がグラウンドに乱入した。観客は暴徒化し、阪神の選手のバットを持って中日側に押しかけた。後にこの試合は没収試合となり、審判団、阪神共に処分を受けた[21][22]。藤村富美男・松木謙治郎の項目も参照。
[編集] 1970年代
- 1973年10月22日甲子園での対巨人最終戦。勝った方が優勝という試合で、阪神が0-9と大敗。不甲斐ない試合に激高したファンがグラウンドになだれ込み、巨人の選手らに暴行を働いたり、讀賣テレビ放送やABCテレビの機材を徹底的に破壊したりする事件が発生[23]。これにより巨人のグラウンドでの胴上げは中止となり、兵庫県警察の機動隊員が出動する騒ぎとなった。詳細は世紀の落球とV9を参照。
- 1974年5月22日に後楽園球場でおこなわれた巨人戦で、降雨コールドゲームで阪神が勝った後、巨人ファンがグラウンドに物を投げ込み、約300名が阪神選手が乗車する前の送迎バスを取り囲んだため、選手が約1時間球場内に閉じこめられる事態が起きた。その1週間後の5月29日の対巨人戦(甲子園)で、逆転を喫した7回にグラウンド内に空き缶や瓶、座布団などが投げ込まれて試合が中断。8回には監督の金田正泰自らが場内放送で物の投げ込みを自粛する要請をおこなったが、試合終了後も投げ込みが起きた。翌5月30日の同一カードでも6回に降雨のため一時試合が中断となった際に投げ込みの騒ぎが起き、テレビカメラマンと放送記者各1名が軽傷を負った。この際、警備に当たっていた警察官とファンがにらみ合いになる場面もあった。
[編集] 1980年代
- 1984年8月15日の対巨人戦(後楽園)の試合前に、阪神ファン数十人が巨人の外野手レジー・スミスを取り囲み、スミスの息子レジー・ジュニアに対して物を投げつけ、暴行しようとしたことが発端となりスミスが激怒、数名がスミスに暴行を受けた。「被害者」は、直ちに富坂警察署に届け出た。1984年8月17日付朝日新聞は、「スミスだんまり一手」(15面)、「(スミスは)正当防衛主張」(22面)と同時に二つの観点から書きたて、スミスが書類送検される騒動に発展したが、のちに不起訴処分となった[24]。
- 1985年5月23日の対広島東洋カープ戦(甲子園)で、広島の打者北別府学がバスターで右翼ポール際に本塁打を放った際、判定を不服とした阪神ファンが福井宏右翼線審にチェーンを投げつけ負傷させた。
- 同年6月30日の対巨人戦(甲子園)で、開場後に天候不良で試合中止となったが、ライトスタンドに入場していたファン約1,000人がグラウンドに乱入。「優勝前祝い」と称しリリーフカーを奪いグラウンド内を暴走したり、一塁側ベンチにも乱入するなど球場内は30分にわたり混乱した。その後、阪神球団及び甲子園球場はライトスタンドフェンス際にファンの乱入を防ぐための有刺鉄線を設置するなど防御策を推進。また、この混乱の際に一部のファンがレフトスタンドにも乱入し、既に入場していた一部の巨人ファンを取り囲み暴行するなどの行為もあった。
[編集] 1990年代
- 1992年9月11日の対ヤクルトスワローズ戦(甲子園)で、阪神の打者八木裕が岡林洋一から放ったレフト方向への大飛球は一度本塁打と判定されたが、「フェンスに当たって中に入った」というヤクルト野村克也監督の抗議によりエンタイトルツーベースに覆されたことを不服とした阪神ファン数人がグラウンド内に乱入し、逮捕者が出る事態へと発展した[25]。
- 同年10月10日には最後まで優勝を争ったヤクルトとの直接対決(甲子園)に敗れ、ヤクルトの優勝が決まると、野村監督の胴上げや優勝インタビューの際に阪神ファンから一斉に「帰れコール」が発生し、さらに引き揚げるヤクルトの選手や監督に対し大量のメガホンを投げつけた[26]。
- 1993年、かつての主砲でありチームリーダーで幹部候補生の岡田彰布「体力の衰え」という理由で阪神を自由契約になり、翌1994年のキャンプイン直前に仰木彬が率いるオリックス・ブルーウェーブに入団。その会見では「これからも阪神ファンであり続ける…」と涙ながらに小学生の頃から愛してやまない球団との別れを惜しんだ
- 1995年6月20日、横浜スタジアムでの対横浜ベイスターズ戦の9回表、1点を追う阪神の先頭打者・新庄剛志が佐々木主浩から放ったレフト方向への本塁打性の打球が、阪神応援団の振っていた応援旗に当たりグラウンドに落ちた。新庄は3塁まで走ったが、「本塁打ではないか」との中村勝広監督の抗議を受け審判が協議した結果「旗の妨害のため二塁打」と判定されたため阪神ファンが激怒、大量のメガホンだけでなくゴミや太鼓まで投げ込まれた。
- 1996年5月14日、浜松球場での対中日戦で3-10と完敗した直後、敗戦に怒った阪神ファンがグラウンドに乱入し、中日監督の星野仙一らが止めようとしたが、ファンの一人がこの試合1安打1打点とで活躍したアロンゾ・パウエルの頭をメガホンで殴打した[27]。
- 1998年6月16日、草薙球場での対横浜戦、0-1で阪神が負けた後、阪神の敗戦に怒ったファン約20人がグラウンドに乱入。横浜の川端一彰の帽子を奪って逃走するなどして暴れた[28]。また、一部の阪神ファンは試合中にも横浜の鈴木尚典に向けて氷を投げたり、応援旗をフェンスに振りかざして試合を中断させるなどの行為をした。
[編集] 2000年以降
- 2001年3月30日、3-17と記録的な大敗を喫した開幕戦の対巨人戦(東京ドーム)で最後の打者がレフトにフライを打ち上げると、捕球態勢に入った清水隆行に対しレフトスタンドの阪神ファンからメガホンが投げ込まれた。
- 2003年6月11日、岐阜長良川球場の対中日戦において阪神が7-2で勝利した後に阪神ファンがグラウンドに乱入し中日ファンを挑発、中日ファンもグラウンドに乱入し乱闘となった。その際に防犯用の唐辛子系催涙スプレーとみられるものが噴射され、観客53人が目やのどの痛みで治療を受け、うち31人が病院搬送、7人が入院する事態となった。岐阜北警察署が捜査したが事件は未解決である。この一件に関し(当時の)山田久志中日監督、星野仙一阪神監督、片岡篤史、桧山進次郎、赤星憲広などが暴挙を非難するコメントを出した(詳細は長良川球場#主なエピソードを参照)。この一件以降、中日は阪神と地方試合の開催を行っていない。また、この事件を受けて阪神甲子園球場では乱入防止用のネットが設置されるなど対応に追われた[29]。
- 同年7月29日、それまで16連勝と好調だった対横浜戦で敗戦した際、9回裏藤本敦士の放った3アウト目となるレフトファウルフライに対し、周囲への注意が散漫になりやすいスライディングキャッチをした多村仁めがけて一部の阪神ファンがメガホンを投げつけた。多村は「本当に危ない。怪我するかと思った」とコメントしており、当時監督の星野仙一も「こんな事やったら甲子園で胴上げはやらん」と激怒した[30]。
- 2006年9月16日の対中日戦、山本昌を相手に阪神がノーヒットノーランを喫した。この試合終了後に怒った阪神ファンがナゴヤドームのレフトスタンド付近の防煙垂壁を破壊した。
- 2008年5月7日の対巨人戦(東京ドーム)でアレックス・ラミレスのオーバーフェンスかという打球を左翼席最前列にいた阪神ファンが手でブロックし、ボールがフェンス上部に当たりグラウンド内に落下。審判団の協議の結果、妨害が無くてもオーバーフェンスしなかったと判断されツーベースになった[31]。
現在では、こういった問題行為に対し、甲子園への缶・瓶類持ち込み禁止チェックや立ち見応援の規制呼びかけや、ジェット風船の打ち上げを認めていない球場での禁止徹底といったマナーの向上に、球団側や応援団も努めている[32]。
[編集] 道頓堀川への飛び込み
[編集] 1985年
21年ぶりのリーグ優勝が決まった1985年10月16日、大阪市の繁華街ミナミを流れる道頓堀川では熱狂的なタイガースファンが優勝を祝って夜中にもかかわらず戎橋の橋梁から飛び込む姿が相次いだ。巨人ファンの落語家・桂福若が最初に飛び込んだと主張しているが、福若が飛び込んだと主張する日は日本シリーズの最終戦であり、また、リーグ優勝の時点で飛び込んだ人がいることも証明されている。
さらに、ケンタッキーフライドチキンの創始者カーネル・サンダース像をこの年のMVP・ランディ・バースに見立て胴上げして道頓堀川に投げ込む事件もあった。また、このカーネル・サンダースを助けるために某大学の学生が飛び込んだのが最初だとの説もある。ちなみ、その後の低迷を「カーネル・サンダースの呪い」などと呼ぶ冗談が一部のファンの間で流行し、ABCテレビ『探偵!ナイトスクープ』で取り上げられたことがきっかけとなり、都市伝説のひとつとして定着した。なお、そのカーネル・サンダース像は2009年3月10日、道頓堀川の新戎橋より下流約5 m, 水深2 mのヘドロの中より上半身が、翌11日には下半身と右手が発見され、24年を経て救出された[33]。
詳細は「カーネル・サンダースの呪い#カーネル・サンダース像発見」および「探偵!ナイトスクープ#探偵が体を張った調査」を参照
[編集] 2003年、2005年
2003年8月、阪神がリーグ優勝を目前としていた頃、当時の星野仙一監督も水質汚染などを理由に、ファンに道頓堀川への飛び込みはやめるよう呼びかけていた。この当時、道頓堀川は川の側面に歩道を設ける工事を実施しており、また川自体も大腸菌やヘドロなど環境上の汚染が深刻であるため、橋梁からの飛び込み行為は絶対やめるようにという注意書きの看板が掲げられていた。また、リーグ優勝決定時には警察官を出動させるなど、行政や民間でも対策を行った。それでも阪神がリーグ優勝を決めた9月15日から16日にかけて、のべ5,300人を超えるファンが道頓堀川に飛び込んだ。17日には泥酔した人物が欄干上から落下、溺死体で発見されるという事件が起きた[34]。
2005年の2年ぶりの阪神のリーグ優勝時には、大阪市と大阪府警察本部が戎橋に高さ3 mの透明強化プラスチック製のフェンスを設け、また2年ぶりのリーグ優勝が確定しそうな日には「とんぼりリバーウォーク」への出入りを禁止にするなどの対策をとった結果、飛び込みを少数にとどめることができた。
[編集] その他、派生した飛び込み
優勝時の道頓堀への飛び込み行為が他球団ファンに影響を与えた例として、1998年に横浜が優勝した際に横浜市内の川へ飛び込み(1人が死亡)、1999年の中日優勝時に納屋橋から堀川へ、福岡ダイエーホークス優勝時に中洲の福博であい橋から那珂川へ、2001年の大阪近鉄バファローズ優勝時には(2003年の阪神優勝時よりは数が少なかったものの)道頓堀へ、などがある。1989年には、日本シリーズで近鉄が巨人に3連勝した後に4連敗を喫し日本一を逃したため、その悔しさと腹いせで飛び込みを行った近鉄ファンもいた。
また、道頓堀への飛び込み行為はサッカーファンにも飛び火し、2002 FIFAワールドカップ及び2010 FIFAワールドカップで日本が決勝トーナメントに進出した際には多くの人が飛び込みを行った。
[編集] 道頓堀川への飛び込みに関係するエピソードなど
かつてミナミの有名店であった「くいだおれ」の玄関前にあり、店のシンボルとして知られているくいだおれ太郎には、阪神ファンによって道頓堀川に投げ込まれることを危惧した店側が「わて泳げまへんねん」と書かれた吹き出しを付けていた。
詳細は「くいだおれ#くいだおれ太郎」を参照
また、千日前にあった総合食堂「千日堂」のマスコット、スッポン太郎は難を逃れるため避難させられた。スッポン太郎は地元の南海ホークスの帽子を被っていたが、ホークスが福岡へ移転してからは、阪神タイガースの帽子を被るようになった。
[編集] その他
神宮球場での対ヤクルト戦では、ヤクルトのラッキー7で「東京音頭」が歌われ、一部のヤクルトファンから「くたばれ読売」とコールされるが、阪神ファンも一部のヤクルトファンと一緒に「くたばれ読売」とコールする[注釈 3]。
さらに、これはファンがジェット風船を飛ばすイベントがあるすべての球団に言えることであるが、ジェット風船が打ち上げられる7回攻撃回の直前に相手チームの攻撃が長引いてしまうと、待ちきれずに打ちあげるファンが見られることもある。
[編集] 注釈
[編集] 参考文献
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- ^ 2003年7月30日付読売新聞
- ^ 『朝日新聞』2003年7月30日、30面。なお、この記事を執筆した朝日新聞記者の山田佳毅は、「一握りのファンの暴行だろう」と切り捨てた。
- ^ 「阪神ファンが妨害?ラミレス幻の逆転3ラン」] 『スポニチ』2008年5月8日、『朝日新聞』2008年5月8日p.19
- ^ 観戦マナー 阪神タイガース公式サイト
- ^ 大阪 道頓堀川で発見されて1周年 ケンタッキーフライドチキン、2010年3月19日。
- ^ 「道頓堀川ダイブついに死者 〜何者かに押されて転落?〜」『janjan』2003年9月18日。2009年10月15日閲覧。