タモリのオールナイトニッポン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| タモリのオールナイトニッポン | |
|---|---|
| ジャンル | ラジオバラエティ |
| 放送方式 | 毎週水曜日生放送 |
| 放送期間 | 1976年10月16日 - 1983年9月28日 |
| 放送時間 | 25:00 - 27:00(120分) |
| 放送局 | ニッポン放送 |
| ネットワーク | NRN |
| パーソナリティ | タモリ |
| 出演 | 赤塚不二夫、山下洋輔、近田春夫 |
『タモリのオールナイトニッポン』は、1976年10月16日から1983年9月28日まで、ニッポン放送他で毎週水曜日 25:00 - 27:00(JST)に生放送されていたラジオ番組。メインパーソナリティーはタモリであり冠番組。
目次 |
[編集] 概要
タモリが起用されたきっかけは、この番組が始まる前の年にアグネス・チャンがスペシャルパーソナリティーとして『オールナイトニッポン』に生出演した時にタモリが電話出演し、デタラメだったがそれっぽく聞こえる中国語でアグネスと会話をしたところこれが大きくウケて、その芸が話題となったことといわれる。
ちなみに、この番組のディレクターを務めていた近衛正通(現.ニッポン放送常務取締役)は、タモリと同じ年齢で共に早稲田大学のモダン・ジャズ研究会に在籍していた同志だった。[1]タモリは、前年に芸能界デビューしたばかりであり、メインパーソナリティーに配したのは、大変な英断であった。
[編集] 出演者
[編集] メインパーソナリティ
[編集] 準レギュラー
ほか
[編集] 略歴
- 1976年10月16日 - 番組開始。余談だが、開始当初は(キー局であるニッポン放送も入れて)16局ネットだった(番組放送中に14局がオールナイトニッポンのネットを開始して、番組末期には30局ネットとなった)。
- 1977年 - 番組中で「大学対抗悪口合戦」が始まる。事の発端は、タモリが中国語の放送をパロディ化したレコードを出そうとしたらレコード倫理委員会から待ったが掛かり、その委員の中に慶應大学の教授がいたというもの。
- 1977年頃 - この頃から“ナンチャッテおじさん”が話題になり始め、同時に「情報源はウチだ」「元祖はウチや」などと、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」と論争になる。(しかし元祖は、同じニッポン放送の番組だった「たむたむたいむ」が最初だったとされている。 - たむたむたいむ#ナンチャッテおじさんの項も参照のこと)
- 1978年7月24日 - 「タモリの中洲産業大学夏期講座」を東京・高田馬場の「アート・スペース」で開催。赤塚不二夫、山下洋輔、ツービートを講師に招く。
- 1979年6月 - 近田春夫と大ゲンカ放送。しかしこれは大ゲンカをしてみて周囲をあわてさせようという演出だった(聴取者ドッキリ)。
- 1980年11月 - この番組を語る上で欠かせないコーナー「NHKつぎはぎニュース」が始まる。(下記「主なコーナー」参照)
- 1981年2月 - 面白い歌詞の曲を紹介する「思想の無い歌」コーナーで、当時まだ自費出版作品だったさいたまんぞうの「なぜか埼玉」を紹介。その後問い合わせが殺到し、同曲は同年4月に全国発売となる。
- 1981年3月4日 - 「月光仮面スペシャル」。新宿から月光仮面と一緒にバイクで有楽町のスタジオへ移動、スタジオでは月光仮面の原作者川内康範をゲストに迎える。
- 1981年7月2日 - RCサクセションとのスペシャルライブを行う。
- 1983年9月22日 - あと3回で番組終了となったのを惜しんで再びゲストに来た忌野清志郎と、セッションライブ「脳みそJAM'83」を行う。
- 1983年9月28日 - 当番組最終回を迎える。
- 1991年10月16日 - 『オールナイトニッポン25周年記念』として復活。
- 2008年2月23日 - 『オールナイトニッポン40周年記念』として復活。『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』(2008年2月24日)
[編集] 提供読み
- 社長の顔がデカい角川書店グループ
- 堅実な経営を誇る東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)
- 股間の恋人B.V.D.フジボウ(現:富士紡ホールディングス傘下のフジボウ・アパレル)
- 社長がユニークなキャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)
- 人事異動はまだか
- 人事異動が待ち遠しい
- 人事異動で揺れるCBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)
- 何を造ってるのかわからない武藤工業
- ここを出ればあなたも一流カメラマン東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)
- 当初、ここを出ても職が無いと言いかけたがディレクターからの指示があったのか言い直した。
など
[編集] 主なコーナー
- NHKつぎはぎニュース
- この番組で最も有名だったコーナーのひとつ。NHKニュースの音源を適当に接ぎ合わせ編集して(「北京で始まった、大相撲九州場所で、牝馬の横綱・○○山が何者かに棒で殴られ・・・」「こんばんわ、暮れも押し迫った、こんばんわ・・・」という風に)、脈絡の無い無意味なデタラメのニュースを作っていたもの。リスナーからカセットテープで作品を募り、回を追うごとにハイレベルな作品が集まり盛り上がりを見せたが、音源使用がNHKには無断であったため、始まって約3か月経った頃にNHK側から「面白いんですけど、やめていただけませんか」とクレームが付いて終了してしまったという。
- なぜだろうなぜかしらなぞなぞベストテン
- 主にダジャレのなぞなぞのコーナー。やはり、下ネタが多かった。
[編集] 備考
- 1980年に、麻上洋子のレコード「おはよう・・・・海!」を、この番組で、本来の45回転を、33回転で流したことがあった。
- 45回転を33回転にして流した曲といえば扇ひろこの曲「新宿ゴールデン街」もある。回転を遅くしたらオカマのような声になることが大きく話題となり、1980年にレコードが再発売となった。
- 現在フリーアナウンサーである山中秀樹が、大学生時代、ニッポン放送でアルバイトをしていた時に、同番組のディレクターをしたことがあった。
- 韓国のCM等の、下ネタっぽく聞こえる音源を募集し紹介していたことが一時期あった。
- 晩年、2時にFM調のDJ(しかも英語主体)を放送していた。
- 今でも時々ネタにする「オ○ニーボールペン」はここが最初。
- 出典は韓国の文房具メーカー「モナミ」[1]のラジオCMである。
- とんねるずは、タモリに誘われて「タモリのオールナイトニッポン」の見学に行った際、このままお笑い芸人として本格的に活動するべきかどうかタモリに相談を持ちかけて、「やりたかったらやってみればいい」というタモリの言葉に後押しされて本格的にプロの道に進む決心をしたという逸話もある。
- タモリが「苦手な芸能人」と公言していたことのある小田和正のことについては、当時からこの番組の中で「暗い」などと批判したり茶化したりしていた。本番組終了から約4か月半後の1984年2月14日、フジテレビの『笑っていいとも』の『テレフォンショッキング』にその小田が出演、小田もこのことを知っていた上でタモリに言葉を返すなど緊張したような放送となった[2]。
- エンディングには、ソニー・ロリンズの「Round Midnight」が使われていた。
[編集] 放送時間
- 毎週水曜日 深夜25:00 - 27:00(ニッポン放送をキーステーションに全国ネット)
[編集] レギュラー放送終了後の復活
- 1991年10月16日、オールナイトニッポンの25周年を記念し、特別番組として復活している(この日はゲストに井上陽水、藤子不二雄Aが来ている)。ディレクターは、オンエア当時の土屋夏彦が担当した。
- 2008年2月24日、オールナイトニッポンの40周年を記念し、「オールナイトニッポン40時間スペシャル」内で特別番組として再び復活を果たした。(この日はゲストに木梨憲武、永作博美、井上陽水が来ている)。
[編集] 関連項目
- オールナイトニッポン
- 俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル(2008年2月24日)
- タモリの週刊ダイナマイク
- ダントツタモリのおもしろ大放送
- ブリタモリ大百科事典
- 日本石油 タモリの美女対談
- グーテンタモリ
[編集] 脚注・出典
- ^ 参考:2007年7月21日付『サンケイスポーツ』オールナイトニッポン40周年連載記事
- ^ 『TV Bros.』2009年10月17日号『SCHOOL OF RADIO!!「歴史を学ぼう ラジオ・知っておきたい10の事件」』より。なお、テレフォンショッキングでのこの前日のゲストは明石家さんま、翌日が星野仙一だった。
[編集] 外部リンク
| オールナイトニッポン水曜1部 |
||||||||||||||
|
|
|
||||||||||||