ダディ竹千代

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ダディ竹千代(だでぃ たけちよ、1953年5月25日 - )は、1980年代コミックバンドであるダディ竹千代&東京おとぼけCATSのメインヴォーカリスト兼リーダーであった人物で、本名は加治木剛鹿児島県加世田市出身。

[編集] 来歴

1976年にダディ竹千代&東京おとぼけCATSを結成し、78年にビクターからシングル「電気クラゲ」でデビュー。80年に1stアルバム『First』、翌81年2ndアルバム『イデオット・プロット』をリリースし、同年解散。その後80年代半ばと90年代初頭に一時再結成し、2度目の再結成時にはスタジオアルバム1枚を発表。その他、現在までに未発表曲集1枚やライブアルバム2枚がリリースされている。

東京おとぼけCATSは、著名アーティストの完全パロディコピーや挑発的な歌詞、エレキベース担当のなかよし三郎チョッパー奏法(スラップ奏法)をあらゆる素材で奏でる「大根チョッパー」「豆腐チョッパー」など、過激なパフォーマンスで知られたが、メンバーのテクニックは確かであり、他にもそうる透や後に竜童組に参加する川崎真弘(当時ラッキー川崎)らが在籍。ファンクバンドとしても実力派であった。

しかし、その過激且つ破天荒さが災いし、出入禁止となったライブハウスが続出。活動ベースとしては渋谷時代の屋根裏での定例ライブがあり、変わったところでは東京タワー特別展望台で年越ライブを行なったこともある。

当時の日本の音楽界では交遊関係が広く、自らを日本ロック界のドン、もしくはロック界の笹川良一と名乗ったこともある。この件に関して本人は「本家との違いは金があるか?ないか?の違い」と語り、笑いを取っていた。特に山下達郎竹内まりやとの関係は深く、おとぼけCATSの3rdシングル「偽りのDJ」は山下の作曲であり、1stアルバムには竹内が参加している。

1980年4月、深夜放送オールナイトニッポンのレギュラーとして水曜2部に登場。7月からは木曜1部に昇格。その内容は、田舎自慢を競い合う「日本のチベットを求めて」や「あれはどうなってるんだ?コーナー」などのリスナー参加企画や、当時ブームだった芳賀書店ビニ本プレゼントなど、ライブでの過激パフォーマンス同様、放送コードに抵触するか?というものであった。また、当時親交のあったARBアナーキーをゲストに招いた際、彼らとスタジオで大騒ぎをしてディレクターから始末書を書かされ、そのことが原因で番組は年内で打ち切りとなったという。その後の同時間帯を引き継いだのは、当時マンザイブームの最中人気絶頂であったツービートビートたけし北野武)であった。

81年の東京おとぼけCATS解散後は、一時第一線を退き、芸能事務所経営やアーティストプロデュースなど裏方に回っていたが、新橋ZZというライブハウスのプロデュースをきっかけに音楽活動を再開、その身を削るような生活をもいとわず日夜ロックの伝道師として活躍している。

ギタリストの春日博文は高校の同級生であり、その縁でカルメン・マキ&OZの楽曲の作詞を担当した。一部は作曲もし、半ばマネージャー的存在であった。

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