山本寛斎

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やまもと かんさい
山本 寛斎
生誕 1944年2月8日(67歳)
日本の旗 日本 神奈川県横浜市
出身校 日本大学中退
職業 ファッションデザイナー
イベントプロデューサー
子供 山本未來 (娘、女優)
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山本 寛斎(やまもと かんさい、本名の読み: やまもと のぶよし、1944年昭和19年〉2月8日 - )は、日本のファッションデザイナーイベントプロデューサーである。寛斎スーパースタジオ会長。太田プロダクション所属。通名で、やまもと寛斎と表記することもある。

目次

[編集] 人物

神奈川県横浜市生まれ。岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜工業高等学校を経て、日本大学文理学部英文科中退。

1971年(昭和46年)に、日本人として始めて、ロンドンでファッション・ショーを開催したことでも知られる。

[編集] 経歴

幼少期に横浜で両親が離婚し、3人兄弟で伯父を頼り高知県に移るが補導され、児童相談所に収容されたが脱走した。その後、父に引き取られ、父方の祖母がいた岐阜市に落ち着く。この間、高知や大阪などで10数回の転校を繰り返す。父が洋服縫製業を始め、寛斎も縫製の手伝いをするようになった。そのうちに中学の友人から制服の改造を頼まれ、中学生にしてミシンを踏むようになる[1]。また、応援団長となり、さまざまな応援の振り付けを考えるようになった[1]

コシノジュンコ、細野久などのデザイナーの下で働いた後、1971年(昭和46年)に独立して、株式会社「やまもと寛斎」を設立した。同年、ロンドンで、日本人初となるコレクション 『Kansai in London』を実施した。1973年(昭和48年)には、デビッド・ボウイのステージ衣装も手がけ、1975年(昭和50年)にはパリで既製服のコレクションを発表した。

また、山本は2010年平成22年)に開業した日本の京成電鉄成田スカイアクセス新AE形の車輌デザインを担当したが、車体色の選定は候補の7色を直接車両に塗って行ったという[2]

[編集] 家族

女優・山本未來の父であり俳優・椎名桔平の義父。寛斎スーパースタジオ副社長の山本斎彦(やまもと よしひこ)は弟。俳優の伊勢谷友介は30歳以上離れた異母弟。

[編集] 主なデザイン作品

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[編集] 主な受賞

  • 第21回「装苑賞」
  • 「ファッション・エディターズ・クラブ賞」
  • 第7回「日本イベント大賞 審査員特別賞」
  • 第7回「東京クリエイション大賞 国際賞」
  • 第21回「民俗衣装文化功労者・国際文化大賞」
  • 2004年「ベストジーニスト賞」

[編集] 著書

  • 「熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条」(PHP新書、2008年
  • 「死にゃしない! OK!!」(日本実業出版社、2004年
  • 「山本寛斎 ハロー・自己表現―別冊課外授業ようこそ先輩」(KTC中央出版、2000年
  • 「寛斎 鉄丸全行動―未来へ向けて」(筑摩書房、1987年
  • 「寛斎完全燃焼」(新潮社、1983年
  • 「スーパーファッション」(講談社、1974年

[編集] パフォーミング・アート

山本寛斎は「KANSAI SUPER SHOW」という名称で、ファッション、音楽、舞台芸術を混合したパフォーミング・アートのイベントを開催している。

[編集] テレビ

[編集] 映画

[編集] CM・広告活動等

[編集] 特記事項

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 2010年1月4日朝日新聞
  2. ^ 2010年7月17日J-WEVEより
  3. ^ 京成電鉄の制服イメチェン

[編集] 外部リンク

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