三宅一生
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三宅 一生(みやけ いっせい、ISSEY MIYAKE、1938年4月22日 - )広島県出身のファッションデザイナーである。多摩美術大学図案科卒業。
[編集] 来歴・人物
幼少期から優れた美的センスを発揮、一貫して美術部に所属。焼け野原から復興する広島の街、特に高校の近くにあった丹下健三設計の広島平和記念公園やイサム・ノグチが設計した平和大橋のデザインに感銘を受ける。
上京し多摩美大に入学。在学中からすでに彼の行動力は際立っていたといわれ、装苑賞の第10回(1961年)、第11回(1962年)と2年連続で現在の佳作にあたる賞を受賞、頭角を現した。第1回コレクションは1963年に発表した「布と石の詩」。しかしファッションを独立したデザイン分野と認知しない当時の環境に苛立ち、パリに渡り、1966年ギ・ラロッシュのアシスタントとなる。バレンシアガの元で働くことを望んでいたものの、1968年にバレンシアガが引退したため、その一部を引き継いだジバンシーでアシスタント・デザイナーに就く。パリモードがオートクチュールからプレタポルテに移行する時代、実用的な衣服をデザインすることで、人の在り方を表現するプレタポルテの若手デザイナー達に大きなショックを受けた。
日本に帰国後、1970年「三宅デザイン事務所」設立。翌年2月にはニューヨーク市内のデパートに「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設した。
1973年には、パリで「イッセイ・ミヤケ秋冬コレクション」を発表。衣服の原点である「一枚の布」で身体を包み、“西洋”でも“東洋”でもない衣服の本質と機能を問う“世界服”を創造。布と身体のコラボレーションというべきスタイルの確立は、1978年発表の「Issey Miyake East Meets West」で集大成された。コンパクトに収納できて着る人の体型を選ばず、皺を気にせず気持ちよく身体にフィットする1990年代初頭に発表された代表作「プリーツ・プリーズ」はこれらの延長線上にある。
1993年、フランスレジオン・ドヌール勲章、イギリス英国王立芸術院名誉博士号授与。1998年 文化功労者に顕彰、2005年 第17回 高松宮殿下記念世界文化賞、彫刻部門、2006年第22回 京都賞、思想芸術部門 など多くの賞を得た。 1999年には米週刊誌タイム・アジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれる(他の日本人の受賞者は昭和天皇・盛田昭夫・黒澤明・豊田英二・井上大佑)
2007年3月、東京六本木・旧防衛庁跡地に誕生した複合施設「東京ミッドタウン」内に併設されたデザイン拠点「21_21 DESIGN SIGHT(トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト)」をオープンさせた。
[編集] ISSEY MIYAKE
彼の作り出したブランド名。イッセイ・ミヤケグループ傘下にはZUCCa・TSUMORI CHISATOなどを展開している株式会社エイネットがある。メンズ・レディス共に手がけており、1992年には香水「ロードゥ イッセイ(L'EAU D'ISSEY)」も発売。
1993年 「プリーツ・プリーズ」スタート
1998年 「A-POC」発表
2007年 秋冬コレクションよりメンズ・レディースともに藤原大がクリエイティブディレクターを担当している。

