ソニー・ロリンズ

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Sonny Rollins
ソニー・ロリンズ(2005年)}
ソニー・ロリンズ(2005年)
基本情報
出生名 Theodore Walter Rollins
出生 1930年9月7日(83歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州
ジャンル ジャズ
職業 サックス奏者
担当楽器 テナー・サックス
レーベル プレスティッジ
コンテンポラリー
ブルーノート
リバーサイド
RCAビクター
インパルス!
マイルストーン
ドキシー
共同作業者 ジャッキー・マクリーンマイルス・デイヴィスマックス・ローチクリフォード・ブラウン
公式サイト sonnyrollins.com

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ソニー・ロリンズSonny Rollins1930年9月7日 - )は、アメリカ合衆国ジャズサックス奏者。本名セオドア・ウォルター・ロリンズ(Theodore Walter Rollins)。ハード・バップの代表的奏者であり、ジョン・コルトレーンと並ぶジャズ・サックスの巨人と讃えられる。長年、歌心溢れるアドリブや、リスナーをリラックスさせるプレイは、今も多くのファンに支持されている。

経歴[編集]

デビュー前[編集]

1930年9月7日アメリカ合衆国ニューヨークで生まれた。7歳の頃、ルイ・ジョーダンのレコードを聴いてサックスに興味を持つ。9歳でピアノを、11歳でアルト・サックスを学び、高校時代にテナー・サックスに転向。この頃、ジャッキー・マクリーンケニー・ドリューと一緒にバンドを組んでいた。また、大御所サックス奏者のコールマン・ホーキンスが近所に住んでおり、サインを貰うためにホーキンスの自宅に押しかけたこともあったという。

その後本格的にプロの道に進み、1949年にレコーディングを初経験。同年、J・J・ジョンソンのレコーディングに参加し、初の自作曲「Audobon」を提供。更にバド・パウエルと共演。

1950年代[編集]

1950年マイルス・デイヴィスと出会う。マイルスは、当時のロリンズに関して「既に伝説的で、多くの若いミュージシャンにとっては神様みたいな存在だった。バード(チャーリー・パーカー)と同じようなレベルでサックスを吹いていると言う連中もいた」と証言している。

1951年1月17日、マイルス・デイヴィスのリーダー・セッションの傍ら、初めてバンド・リーダーとしてのレコーディングを行う。この時、ピアニストジョン・ルイスが所用で帰ったため、マイルスが代わりにピアノを担当。それを機に、ロリンズはプレスティッジ・レコードとの契約を得た。なお、ロリンズが初めて自己名義で録音した「アイ・ノウ」は、後年になってアルバム『ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・クァルテット』に追加収録される。

その後も度々、バンド・リーダーとしての活動と並行して、マイルスのレコーディングに参加。1953年3月にマイルスのセッションに参加した時は、ロリンズが憧れていたチャーリー・パーカーとも共演し、その模様はマイルスの『コレクターズ・アイテムズ』で聴ける。1953年10月に行われたロリンズのリーダー・セッションでは、モダン・ジャズ・クァルテットがバックを務めた。

1954年、音楽活動を停止してシカゴに引っ込むが、1955年11月、クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットの一員として活動再開。更に、ローチのサポートを得てバンド・リーダーとしても再起する。

そして、1956年のリーダー・アルバム『サキソフォン・コロッサス』が高く評価され、一躍知名度が上がった。本作の収録曲「セント・トーマス」は、21世紀に至るまで、ロリンズのコンサートで重要なレパートリーとなった。同年、アルバム『テナー・マッドネス』でジョン・コルトレーンと共演。その後はブルーノートコンテンポラリー・レコードリバーサイド・レコードなど様々なレコード会社に多くの録音を残した。この時期の代表作としては『ウェイ・アウト・ウエスト』『ニュークス・タイム』『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』『フリーダム・スイート』などがある。また、1957年11月29日、殿堂カーネギー・ホールでコンサートを行った。

1950年代末には人気の絶頂にあったが、ロリンズは自分の演奏を見つめ直すため、突如引退。最初は近所の公園で練習に励んだが、苦情が来たため、練習場所をウィリアムズバーグ橋に移した。

1960年代[編集]

1961年11月に突然活動を再開し、ほどなくRCAビクターと契約。1962年初頭にはジム・ホールなどを従えて、久し振りの新作をレコーディング。アルバムのタイトルは、練習場所にちなんで『』となった。同年発表の『ホワッツ・ニュー』は、ラテン音楽からの影響をふんだんに取り入れた明朗な作品となったが、一方、ライブ・アルバム『アワ・マン・イン・ジャズ』では、ドン・チェリーなどと組み、前衛的なアプローチも見せる。

1963年ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した際、ロリンズにとって憧れの存在だったサックス奏者コールマン・ホーキンスと共演し、ホーキンスをゲストに迎えたアルバム『ソニー・ミーツ・ホーク』も制作。同年、初の日本公演を行う。演奏のみならず、モヒカン刈りの頭で、日本のファンに強烈な印象を残した。ロリンズは後年、「僕は同じマイノリティ(アフリカ系アメリカ人)として、インディアンが抱えていた社会問題とは無縁でいられなかったから、衝動的に髪を剃った」と発言している。

その後インパルス!レコードに移籍。1966年初頭、イギリス映画『アルフィー』の音楽を制作。同年制作した『イースト・ブロードウェイ・ラン・ダウン』が、ロリンズにとって1960年代最後のスタジオ・レコーディングとなった。1968年、2度目の日本公演を行い、日本のジャズ・ピアニスト菊地雅章と共演。同年、精神修行のためインドを訪れる。

1969年秋、みたび活動を停止した。

1970年代以降[編集]

1972年マイルストーン・レコードに移籍。復活作『ネクスト・アルバム』では、1960年代末から流行しつつあったエレクトリック・ジャズの分野に挑戦。1973年から1976年にかけて、日本人ギタリスト増尾好秋と共に活動。1977年のアルバム『イージー・リヴィング』は、スティーヴィー・ワンダーのカバー「イズント・シー・ラヴリー(可愛いアイシャ)」が話題となった。

1981年ローリング・ストーンズ刺青の男』のレコーディングに参加。ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツは以前から生粋のジャズ・ファンで、ミック・ジャガーから「最高のサックス奏者は誰か」と相談され、ロリンズの名前を出したという。その結果、本当に共演が実現し、チャーリーは後年「目の前で吹いている姿が観られて感激した」と述懐している。この時、ロリンズが参加した「友を待つ」はシングルカットされ、全米シングルチャートで13位にまで上昇した。

1985年7月19日には、ニューヨーク近代美術館で1時間近くに渡って無伴奏のサックス・ソロを演奏し、話題となった。その一部始終は録音され、ライブ・アルバム『ザ・ソロ・アルバム』として発売された。

1986年、ジャズとクラシック音楽の融合に挑戦し、「テナー・サックスとオーケストラのための協奏曲」を作曲。オーケストラ編曲は、フィンランド指揮者ヘイッキ・サルマントが担当。5月18日の東京公演で読売日本交響楽団を従えて初演され、その模様の一部はDVD『サキソフォン・コロッサス』で視聴できる。

1989年の作品『JAZZに恋して』では、ロリンズを慕うサックス奏者ブランフォード・マルサリスと共演。

2001年9月11日、ロリンズは世界貿易センターからわずか6ブロック先の場所で、アメリカ同時多発テロ事件を目撃。大きなショックを受けるが、妻の支えもあって、9月15日のボストン公演はキャンセルせずに敢行。ロリンズはメンバー紹介の後、音楽の素晴らしさや美しさについて改めて力説した。この模様は、2005年にライブ・アルバム『ウィザウト・ア・ソング (9.11コンサート)』として発売される。

2005年、活動を縮小することを発表し、11月に再度日本公演を行う。その後、自主レーベルのドキシーを立ち上げ、2006年には6年ぶりのアルバム『ソニー・プリーズ』を発表。2007年9月18日、カーネギー・ホールで50周年コンサート(ロリンズ初のカーネギー・ホール公演から50年という意味)を行う。

2008年、5月に再度日本公演を行う。

影響[編集]

チャーリー・パーカーマイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンオーネット・コールマンといった奏者とは異なり、ロリンズは音楽理論面でジャズを革新させたわけではない。しかし、テクニック・表現力・作曲能力は極めて高く、後進ジャズメンへの影響も大きい。

例えば、1980年代以降のジャズ・シーンの代表的サックス奏者として知られるブランフォード・マルサリスは、「高校から大学にかけての時期、ロリンズ風に吹きたいと思っていたから、毎日のように聴いていた」と語っている。また、ロリンズは『ウェイ・アウト・ウエスト』など多くの作品で、ピアノ抜きのトリオ編成での演奏を試みた。サックスは構造上和音を出せないため、こうした編成でバンド・サウンドに厚みを出すのは難しいが、それで多くの名演を生み出したロリンズは、やはり希有のソリストと言える(ロリンズと並び称されるジョン・コルトレーンでさえ、ピアノ抜きでの録音は少ない)。

作曲面でも、「エアジン」「セント・トーマス」「オレオ」などのスタンダード・ナンバーを生み出した。サックス奏者はもちろん、ビル・エヴァンスマル・ウォルドロンなどのピアニストウェス・モンゴメリージム・ホールなどのギタリストも、ロリンズの作品を取り上げている。また、カリプソボサノヴァといったラテン音楽を、早くからジャズと融合させていたことも特筆すべきである。

文学の分野でも、ロリンズへの敬意が伺える作品が存在する。筒井康隆の『ジャズ小説』(文藝春秋ISBN 416718110X)は、短編小説『ソニー・ロリンズのように』収録。また、村上春樹の小説『アフターダーク』(講談社ISBN 4062125366)の作中には、ロリンズ作曲の「ソニームーン・フォア・トゥー」が登場。

人物・エピソード[編集]

  • 野球選手ドン・ニューカムに顔が似ていることを、しばしばネタにされていた。マイルス・デイヴィスによれば、ロリンズと一緒にタクシーに乗った時、運転手がロリンズを本物のニューカムと間違えたとのこと。ロリンズは1957年、ニューカムに捧げたアルバム『ニュークス・タイム』を制作している。
  • ヨガといった東洋哲学にも造詣が深い。1968年の日本ツアー中、横浜市總持寺に立ち寄ったこともある。また、2005年のインタビューでは、「ヨガは今でもやっている」と発言し、サックスを吹くための呼吸法にヨガを取り入れていることを語った。

作品[編集]

リーダー・アルバム[編集]

1950年代[編集]

  • Sonny Rollins Quartet(1951年、プレスティッジ
  • Sonny and the Stars(1951年、プレスティッジ)
  • Mambo Jazz(1951年、プレスティッジ)
  • Sonny Rollins With the Modern Jazz Quartet - ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・クァルテット(1953年、プレスティッジ)
  • Moving Out - ムーヴィング・アウト(1954年、プレスティッジ)
  • Sonny Rollins Plays Jazz Classics(1954年、プレスティッジ)
  • Sonny Rollins Quintet(1954年、プレスティッジ)
  • Taking Care Of Business(1955年、プレスティッジ)
  • Worktime(1955年、プレスティッジ)
  • Saxophone Colossus - サキソフォン・コロッサス(1956年、プレスティッジ)
  • Sonny Rollins Plus 4 - プラス・フォー(1956年、プレスティッジ)
  • Three Giants(1956年、プレスティッジ)
  • Tenor Madness - テナー・マッドネス(1956年、プレスティッジ)
  • Rollins Plays for Bird - ロリンズ・プレイズ・フォー・バード(1956年、プレスティッジ)
  • Sonny Boy(1956年、プレスティッジ)
  • Tour de Force - トゥア・デ・フォース(1956年、プレスティッジ)
  • Sonny Rollins Vol I - ソニー・ロリンズVol.1(1956年、ブルーノート
  • Way Out West - ウェイ・アウト・ウエスト(1957年、コンテンポラリー
  • Sonny Rollins Vol II - ソニー・ロリンズVol.2(1957年、ブルーノート)
  • The Sound of Sonny - ザ・サウンド・オブ・ソニー(1957年、リバーサイド
  • Newks Time - ニュークス・タイム(1957年、ブルーノート)
  • Night at the Village Vanguard - ヴィレッジ・ヴァンガードの夜(1957年、ブルーノート)
  • The Freedom Suite - フリーダム・スイート(1958年、リバーサイド)
  • Sonny Rollins and the Big Brass - アンド・ザ・ビッグ・ブラス(1958年、ヴァーヴ
  • Brass & Trio(1958年、ヴァーヴ)
  • Sonny Rollins and the Contemporary Leaders - コンテンポラリー・リーダーズ(1958年、コンテンポラリー)
  • In Stockholm (1959) - イン・ストックホルム1959(1959年、ドラゴン・レコード)

1960年代[編集]

  • The Bridge - (1962年、RCAビクター
  • The Quartets featuring Jim Hall(1962年、RCAビクター)
  • What's New? - ホワッツ・ニュー(1962年、RCAビクター)
  • Our Man In Jazz - アワ・マン・イン・ジャズ(1962年、RCAビクター)
  • Sonny Meets Hawk! - ソニー・ミーツ・ホーク(1963年、RCAビクター)
  • All The Things You Are(1963年、RCAビクター)
  • Now's The Time - ナウズ・ザ・タイム(1964年、RCAビクター)
  • The Standard Sonny Rollins - スタンダード(1964年、RCAビクター)
  • There Will Never Be Another You(1965年、インパルス
  • Alfie - アルフィー(1966年、インパルス)
  • Sonny Rollins On Impulse - オン・インパルス(1966年、インパルス)
  • East Broadway Run Down - イースト・ブロードウェイ・ラン・ダウン(1966年、インパルス)

1970年代以降[編集]

  • Next Album - ネクスト・アルバム(1972年、マイルストーン
  • Horn Culture(1973年、マイルストーン)
  • The Cutting Edge - ザ・カッティング・エッジ(1974年、マイルストーン)
  • Nucleus(1975年、マイルストーン)
  • The Way I Feel(1976年、マイルストーン)
  • Easy Living - イージー・リヴィング(1977年、マイルストーン)
  • Don't Stop The Carnival - ドント・ストップ・ザ・カーニヴァル(1978年、マイルストーン)
  • Don't Ask(1979年、マイルストーン)
  • Love At First Sight - ラヴ・アット・ファースト・サイト(1980年、マイルストーン)
  • No Problem(1982年、マイルストーン)
  • Sunny Days Starry Nights(1984年、マイルストーン)
  • The Solo Album - ザ・ソロ・アルバム(1985年、マイルストーン)
  • G-Man(1986年、マイルストーン)
  • Dancing In The Dark(1987年、マイルストーン)
  • Falling In Love With Jazz - JAZZに恋して(1989年、マイルストーン)
  • Here's To The People(1991年、マイルストーン)
  • Old Flames - 薔薇の肖像(1993年、マイルストーン)
  • Sonny Rollins +3(1996年、マイルストーン)
  • Global Warming(1998年、マイルストーン)
  • This Is What I Do - ジス・イズ・ホワット・アイ・ドゥ(2000年、マイルストーン)
  • Without a Song: The 9/11 Concert - ウィザウト・ア・ソング(9.11コンサート)(2005年、マイルストーン)
  • Sonny, Please - ソニー・プリーズ(2006年、ドキシー)
  • Road Shows - ロード・ショー(2008年、ドキシー)

サイドマンとしての参加作品[編集]

参考文献など[編集]

書籍・ムック

ロリンズ初の日本公演のエピソードに関して参照
  • マイルス・デイビス自叙伝I(マイルス・デイビス/クインシー・トループ・著、中山康樹・訳、宝島社、ISBN 4-7966-1682-9
マイルス・デイヴィスの証言に関して参照
  • CDジャーナルムック ジャズ・スタンダード名曲徹底ガイド上巻(池上信次ほか・著、音楽出版社、ISBN 4-900340-93-6
「影響」の節に関して参照
デビュー前の来歴、ヨガとの関わりについて参照
  • ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100(小川隆夫・著、河出書房新社、ISBN 4-309-26912-5
1960年前後の引退、復帰作『橋』、ブランフォード・マルサリスの発言に関して参照
1960年前後の引退、ローリング・ストーンズ関連のエピソードに関して参照
  • 音楽CD検定ガイドブック上巻(レコード検定評議会・編、音楽出版社、ISBN 978-4-86171-029-2
コールマン・ホーキンスとの共演、インド旅行に関して参照
  • 『ジャズの歴史 その誕生からフリー・ジャズまで』 Frank Tirro、音楽之友社、1993年。ISBN 4276232511

サイト

ロリンズとカーネギー・ホールの関わりについて参照

オリジナル英文ライナー・ノート

  • ウェイ・アウト・ウエスト
1950年代中期の活動停止に関して参照
  • ウィザウト・ア・ソング (9.11コンサート)
同時多発テロ当時に関して参照

外部リンク[編集]