ザ・パンチ・パンチ・パンチ

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ザ・パンチ・パンチ・パンチは、ニッポン放送の夜の23時台(24時台)で、1968年6月から1982年12月まで放送されていたラジオ番組

スポンサーは平凡出版(現・マガジンハウス)から出版されていた週刊誌平凡パンチ。テーマ音楽は三保敬太郎の作曲によるものだった。

目次

[編集] 概要

[編集] 初期

内容としては、『パンチガール』と呼ばれる女性パーソナリティたちが、時々ゲストを交え、時にはセクシーな雰囲気を醸し出しながらおしゃべりを展開するという形の番組だった。上野修が制作を手がけ、最初は10人ほどの女性パーソナリティでやってみようとシミュレーションをしてみたが、結局3人に絞ったという[1]

当初は月曜日から土曜日まで、1972年4月からは月曜日から金曜日までの毎日15分間の放送だった。当初は6局ネットでスタート、ニッポン放送においては23:35からのスタートだった。(のちに1969年2月からは23:25、1971年10月からは24:00、1972年4月からは23:50、同年6月からは23:45と放送時間が変動)

初代パーソナリティを務めたのは全員オーディションで選ばれた、高橋基子(モコ)、川口まさみ(ビーバー)、シリア・ポール(オリーブ)。当時は女性三人でのラジオ番組というのは画期的だったといわれ、主にリスナーとして番組を支えていた、当時若者だった団塊の世代から大きな支持を得た。三人が『モコ・ビーバー・オリーブ』という名前で『忘れたいのに(I Love How You Love Me)』(1961年のパリス・シスターズ(The Paris Sisters)によるヒット曲、ボビー・ヴィントンもカバー)、『海の底でうたう唄』(1994年Le Coupleがカバーした曲でもある)と続けてレコードを出したことも話題になった。また時々、地方での収録も行われていた。

ニッポン放送開局記念日スペシャル 笑顔が一番!あなたと一緒に50年』などのニッポン放送の歴史を振り返る特別番組において、時々本番組の音源が紹介されることがあるが、モコ・ビーバー・オリーブ時代の音源が流れることが多いことから、現在でも『ザ・パンチ・パンチ・パンチといえば、モコ・ビーバー・オリーブ』というイメージが強いようである。

[編集] 中期

1971年6月、モコ・ビーバー・オリーブに替わって同じく女性三人組の二代目パンチガールとして、海老名美どり、井上久美、志摩明子が登場。この二代目の募集の時には、本番組の人気、話題を反映してか2000通を超える応募があったという。

1973年4月からはこれまでの女性メインというスタイルを変え、メインパーソナリティのくず哲也と女性7名のアシスタントに交替した。くず哲也メインの当時のコーナーに、リスナーから処女喪失のエピソードを募集した『グッバイ・バージン』コーナーがあり、収録では放送禁止用語も時々出るなどしたと言われている[1]が、編成からの抗議で終了したという。なお、この時はグアム島に出掛けて公開録音を行った時があった。

1975年2月からはくず哲也に代わり、日替わりパーソナリティ(月:志賀まさひろ、火:みなみらんぼう、水:中山エミ・北島興、木:黒田征太郎、金:立花リカ小野進也。なお、水曜の中山エミと北島興が月~金通して「案内役」としても出演)と日替わりコーナー(月:『SEXチェック』、火:『パンチジャーナル』、水:『ミュージックギャンブル』、木:『歌謡曲人生論』、金:『ラブ&ラブ』)に変更。 『ラブ&ラブ』では、パーソナリティ2人による「ピポピポ」の電子ブザー音の伏字で聴取者の想像力をかきたてる、勘違い的な落ちのあるエッチなラジオドラマが演じられた。(後に鶴光のオールナイトニッポンのミッドナイトストーリーとともにニッポン放送社長の叱責により自粛したとも言われている。)

1975年4月からは、ニッポン放送では夜ワイド番組『大入りダイヤルまだ宵の口』がスタートしたが、本番組は引き続き内包番組として放送を続けた。この他に、乱一世岸じゅんこ(『11PM』火曜・木曜5代目アシスタント)がパーソナリティとして登場した頃もあった。

この当時、金曜日に『ハダカで今晩は!』というコーナーが存在し、その内容は上半身裸のヌードモデル日活ロマンポルノ女優らのゲストを迎え、トークを展開するというもので、実況担当は当時アナウンサーの高嶋秀武が務めていた。この収録日はわざと残業をするニッポン放送の社員も多かったといわれ、当時『オールナイトニッポン』金曜1部のパーソナリティだった武田鉄矢も見に来ていたことがあったという[1]。しかし、これも当時の編成局長からの抗議に会い[1]、数回ですぐ終了したという。

[編集] 後期

1979年12月には再び女性三人組になり、翌1980年に本格デビューする松田聖子と、初田順子(後の速水陽子)、戸田裕子の三人が7代目パンチガールとして登場。この時には番組の最後を、月曜日は英語、火曜日はアラビア語、水曜日は中国語、木曜日はフランス語、金曜日は日本語の各国語のメッセージで締めくくるようになっていた。

1981年には最後となる8代目パンチガールとして林紀恵(1980年のホリプロタレントスカウトキャラバングランプリ)、谷山衣枝、小林恵美子が登場。同年11月からニッポン放送では夜ワイド『くるくるダイヤル ザ・ゴリラ』の内包番組となって引き続き放送されていたが、夜ワイドが『くるくるダイヤル ザ・ゴリラ』から『ヤングパラダイス』に変わる前の1982年12月30日をもって本番組は終了、15年の歴史に幕を下ろすこととなった。

[編集] 放送時間・ネット局

1975年当時、いずれも月曜日から金曜日まで)

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d 上野修 著『ミスター・ラジオが通る』(実業之日本社、1986年)より
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