つボイノリオのオールナイトニッポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オールナイトニッポン > つボイノリオのオールナイトニッポン
つボイノリオのオールナイトニッポン
ジャンル トーク
放送方式 生放送
放送期間 1977年10月7日 - 1979年3月30日
放送時間 毎週金曜日 25:00 - 29:00(金曜1部・金曜2部)
→ 毎週金曜日 25:00 - 27:00(金曜1部)
(JST)
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN
パーソナリティ つボイノリオ
テンプレートを表示

つボイノリオのオールナイトニッポン』は、ニッポン放送深夜放送オールナイトニッポン』でつボイノリオパーソナリティを担当したラジオ番組である。

放送時間[編集]

  • 金曜1部・2部 1977年10月7日 - 1978年9月30日 25:00 - 29:00 (土曜未明1:00 - 5:00)[1]
  • 金曜1部 1978年10月6日 - 1979年3月30日 25:00 - 27:00 (土曜未明1:00 - 3:00)[2][3]

概要[編集]

東海地方を拠点に活動していたつボイが、28歳になって本格的に東京に進出したラジオ番組である[4]

放送開始当初は4時間であったが、番組が始まって1年が経った頃に、2時間に短縮した。原因として、つボイの体調不良があった[4]。これについて、つボイは後のインタビューで「本番が始まると突然視野が狭くなり、胸が苦しくなってくるんです。ところが本番が終るとケロっと元に戻る。病院に診てもらっても特に悪いところはないといわれる」と当時の状況を振り返っている[4]。そして、その後も半年間にわたって、番組を担当したが、結局、通算して1年半の番組の歴史に終止符を打つことになった[4]

主なコーナー[編集]

恋のイチャイチャコーナー
  • リスナーの彼氏、彼女とのイチャイチャエピソードを紹介[5]
デキントボーイ17号
  • リスナーから見せるのも恥ずかしい点数を取ったテストの答案を募集、紹介してリスナーを慰める[5]
悪書追放運動
  • 悪書追放」と称し、リスナーからエロ本の差し入れを募った[5]

ゲスト[編集]

参考文献[編集]

  • つボイ正伝 - 「金太の大冒険」の大冒険 扶桑社 2008年12月

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ オールナイトニッポンヒストリー 1977年”. オールナイトニッポン. ニッポン放送. 2021年11月8日閲覧。
  2. ^ オールナイトニッポンヒストリー 1978年”. オールナイトニッポン. ニッポン放送. 2021年11月8日閲覧。
  3. ^ オールナイトニッポンヒストリー 1979年”. オールナイトニッポン. ニッポン放送. 2021年11月8日閲覧。
  4. ^ a b c d 軍司貞則著、ラジオパーソナリティ~22人のカリスマ~、扶桑社、1998年、320頁。
  5. ^ a b c d e 『オールナイトニッポン大百科』1997年、主婦の友社、140ページ
1977年オールナイトニッポンパーソナリティ
曜日 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月曜 河野嘉之 くり万太郎
火曜 くり万太郎 所ジョージ
水曜 タモリ
木曜 自切俳人
金曜 吉村達也 湯浅明・田畑達志 つボイノリオ
土曜 笑福亭鶴光
1978年オールナイトニッポンパーソナリティ
曜日 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月曜 くり万太郎 松山千春
火曜 所ジョージ
水曜 タモリ
木曜 自切俳人 南こうせつ
金曜 つボイノリオ
土曜 笑福亭鶴光
1979年オールナイトニッポンパーソナリティ
曜日 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月曜 松山千春 中島みゆき
火曜 所ジョージ
水曜 タモリ
木曜 南こうせつ 桑田佳祐
金曜 つボイノリオ 近田春夫・コッペ 長渕剛
土曜 笑福亭鶴光