ジェスロ・タル

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ジェスロ・タル
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基本情報
出身地 イングランド, ブラックプール
ジャンル プログレッシブ・ロック
ブルース・ロック
フォーク・ロック
ハード・ロック
活動期間 1968年 - 現在
レーベル ロードランナー・レコード
アイランド・レコード
キャピトル・レコード
EMI
公式サイト Official Website
メンバー
イアン・アンダーソン
マーティン・バレ
ドーン・ペリー
デイヴィッド・グーディア
ジェイムズ・ダンカン
ジョン・オハラ
旧メンバー
ミック・エイブラハムズ
グレン・コーニック
クライヴ・バンカー
ジョン・エヴァン
ジェフリー・ハモンド
バリモア・バーロウ
ジョン・グラスコック
デヴィッド・パーマー
エディ・ジョブソン
デイヴ・ペグ
マーク・クレイニー
ジェリー・コンウェイ
ピーター=ジョン・ヴェテッシ
ポール・バージェス
ドン・エイリー
マーティン・アルコック
デイヴ・マタックス
アンドリュー・ギディングス
ジョナサン・ノイス

ジェスロ・タルJethro Tull) は、イギリス出身のプログレッシブ・ロック・バンド。イアン・アンダーソンをリーダーとして、1968年にアルバム『日曜日の印象』でデビュー。このアルバムは、全英10位にチャートインし、その年の「メロディ・メーカー」誌の人気投票で、ビートルズに次ぐ第2位を獲得し注目される。デビュー当初から独自の存在感を放っていた。

バイオグラフィー[編集]

結成当時のラインナップは、イアン・アンダーソン(ヴォーカル、フルート、etc.)、ミック・エイブラハムズ(ギター、ヴォーカル)、グレン・コーニック(ベース)、クライヴ・バンカー(ドラムス)の4人。結成当時はイアン・アンダーソンに並んでミック・エイブラハムズの影響力も大きく、ブルース・ロック色が濃い作品だった。だがブルース・ロックの範疇に収まらないジャズや、ブリティッシュ・トラッドといった別種の泥臭いフィーリングを含んだ曲もあり、他のブルース・ロック・バンドとは一線を画するものであった。

デビュー・アルバム『日曜日の印象』リリース直後に、ミック・エイブラハムズが脱退するが、ローリング・ストーンズが製作したTVショー「ロックンロール・サーカス」への出演が決まっていたため、ブラック・サバスギタリストトニー・アイオミを引き抜き、「ロックンロール・サーカス」の収録を乗り切るものの、この仕事のみでトニー・アイオミは脱退しブラック・サバスに復帰することとなり、最終的にはゲッセマネというバンドのギタリストであったマーティン・バレを加入させ、セカンド・アルバム『スタンド・アップ』をリリースする。ブルース以外にも音楽性を大きく拡大させたこのアルバムは全英第1位となる。中でもバッハの楽曲をジャジーかつアーシーにアレンジしたインスト曲「ブーレ」は注目を集めた。

続く『ベネフィット』はアメリカでも11位とヒットを記録し[1]、さらに脚光を浴びた。この時期、同じクリサリス・レコードに所属するバンドだったトラフィックテン・イヤーズ・アフタープロコル・ハルムなどと共にブリティッシュ・ロックの世界的な位置づけを確定させた。その後グレン・コーニックが脱退するが、バンドは文学的な気品とリリシズムを毒々しいユーモアと盤石のテクニックで演出したプログレッシヴ・ロックで人気を拡大していき、『アクアラング』(1971年)からこの方向性が顕著となる。その後クライヴ・バンカーの脱退、バリモア・バーロウの加入を経て、『ジェラルドの汚れなき世界』(1972年)、『パッション・プレイ』(1973年)というアルバム全体が一曲という大胆な大作で全米1位を獲得するまでになる[1]。技術や創造的な必要上グループの結束力は強かったが、結成10年を経過する頃からメンバーが流動化した。

1979年、アルバム『ストームウォッチ〜北海油田の謎』発表後のツアーにフェアポート・コンヴェンションのデイヴ・ペグが参加して、ペグは1990年代中期までジェスロ・タルの正式メンバーとなる。1980年、イアン・アンダーソンはエディ・ジョブソンらと共に初のソロ・アルバムを制作しようとするが、最終的にはジェスロ・タル名義のアルバム『A』としてリリースされた。

1987年、元レインボーオジー・オズボーン・バンドのドン・エイリーが加入するが、翌年には脱退した[2]

ローランド・カークに影響を受けたイアン・アンダーソンのフルートを中心にパントマイム劇を取り入れたライヴも好評だった。幻想的なサウンドや複雑なコンセプトを持ったアルバム作りなどから、プログレッシブ・ロックのジャンルに括られることが多い。しかし、1987年に発表したアルバム『クレスト・オブ・ア・ネイヴ』が、その年に新設されたグラミー賞ベスト・ハードロック/ヘヴィメタル部門を受賞して物議を醸した(タルのサウンドはヘヴィな要素はあるがその方のジャンルと似た手触りではない)。ただし、アイアン・メイデン(メンバーのスティーヴ・ハリスはジェスロ・タルからの影響を認めている)を始めとする多くのハードロック・バンドたちに影響を与えていることも事実である。

日本では(英米でのチャート実績の割に)一般的な知名度こそ低いものの熱烈なファンも少なくなく、2005年までに4回の来日を果たしている。

エピソード[編集]

  • ジェスロ・タルというバンド名は、18世紀イギリスの農学者の名前に由来している。当時彼らはロンドンの複数のクラブに出演していたが、必ず1回で仕事を打ち切られて継続的に出演の予約を取るのが難しかったため、次々に名前を変えて別のバンドのふりをすることで食いつないでいたという。バンド名はエージェントの思いつきで決められたため、あるとき歴史マニアのエージェントが農学者の名前にちなんでジェスロ・タルと命名した。この名前でクラブに出演していた時、クラブの支配人に気に入られて継続出演が決まったため、それ以降もジェスロ・タルというバンド名で通しているという。
  • 当初ギタリストでありながら、プロデューサーの意向でミック・エイブラハムズをギターヒーローに祭り上げるためにギターを取り上げられたイアンであったが、何とかミックからスポットライトを奪おうと、ギター以外の楽器を持つことを思い立つ。そこで楽器屋に行き、最初はバイオリンを購入するつもりだったのだがフルートが目に付き、店員に「バイオリンとフルート、どっちが簡単かな?」と聞いたところ「フルートかなぁ」と言う返事が返ってきたので急遽購入する楽器をフルートに選んだ。
  • 映画「アルマゲドン」の中の台詞の中に「どうしてみんなジェスロ・タルっていうバンドのことを知らないのか?」と登場人物がボヤくシーンがある。

ディスコグラフィ[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]