ステッペンウルフ
ステッペンウルフ(Steppenwolf)
- ヘルマン・ヘッセの小説。邦題は『荒野のおおかみ』。
- 上記小説から名付けられたカナダ出身のバンド。本項で詳述。
- アメリカ・シカゴに拠点をおく劇団。 → ステッペンウルフ・シアター・カンパニー
| ステッペンウルフ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック ハードロック |
| 活動期間 | 1967年 - 1971年 1974年 - 1976年 1981年 - 現在 |
| レーベル | ABCダンヒル・レコード マムズ・レコード エピック・レコード MCAレコード |
| 公式サイト | http://www.steppenwolf.com/ |
| メンバー | |
| ジョン・ケイ ほか |
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| 旧メンバー | |
| ジェリー・エドモントン マイケル・モナーク ゴルディ・マックジョン ラシュトン・モーヴ ニック・セント・ニコラス ほか |
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ステッペンウルフ(Steppenwolf)は、1967年にカナダで結成されたロック・バンド。代表作は「ワイルドでいこう!(ボーン・トゥ・ビー・ワイルド)」(Born to Be Wild)、「マジック・カーペット・ライド」(Magic Carpet Ride)、「モンスター/スーサイド/アメリカ」(Monster/Suicide/America)、「レネゲイド」(Renegade)、「ザ・プッシャー」(The Pusher)など。バンド名は、ヘルマン・ヘッセの小説『荒野のおおかみ』(Der Steppenwolf)から名付けられた。彼らは1960年代に熱狂的なファンの支持を得て、現在までに全世界で2,500万枚以上のアルバムの売り上げを記録している。[1]
目次 |
歴史 [編集]
前歴 [編集]
ジョン・ケイ(John Kay, 本名Joachim Friedrich Krauledat, 1944年4月12日 ドイツ・東プロイセンティルシット(現ロシア・カリーニングラード州ソヴェツク) - )は、4歳のときに母親とともに(ドイツ兵であった父親は彼が生まれる1ヶ月前に東部戦線で戦死している)故郷を逃げ出して、ソ連の支配から逃れるために東ドイツから西ドイツへ移動し(この出来事が、楽曲「レネゲイド」や「ザ・ウォール」(The Wall)で語られている)、1958年にカナダへ移住した。この際彼は栄養失調から眼底出血を起こし、視力が大幅に低下したといわれる。
ステッペンウルフは、トロントのブルース・バンド「ザ・スパロウズ」(The Sparrows)をその原点とする。このバンドは1964年に結成され、トロントのヨークヴィル地区にあるコーヒー・ハウスで活動していた。1967年に彼らはサンフランシスコに移住し、ブルースロック、サイケデリアおよびフォークミュージックが混合されたエネルギッシュな音楽を演奏した。ロサンゼルスのダンヒル・レコードのプロデューサーであったガブリエル・メイラーは彼らに、より強烈なビートを披露するよう提案し、ヘルマン・ヘッセの小説の名からとって彼らをステッペンウルフと名付けた。オリジナルメンバーは以下の通りである:
- ジョン・ケイ - ボーカル、ギター、ハーモニカ
- ジェリー・エドモントン - ドラムス
- マイケル・モナーク - リードギター
- ゴルディ・マックジョン - キーボード
- ラシュトン・モーヴ - ベース (1981年に交通事故死)
なお、デビューアルバム『Steppenwolf』のレコーディング中に、ベーシストがラシュトン・モーヴからジョン・ラッセル・モーガンへ交替している。
成功 [編集]
ステッペンウルフは、デビューアルバムからシングルカットされた第3シングルの「ワイルドでいこう!」と、ホイト・アクストンの楽曲のカバーである「ザ・プッシャー」の2曲が映画『イージー・ライダー』の作中で用いられたことにより、世界規模の知名度を得た。「ワイルドでいこう!」は、ジェリー・エドモントンの兄で、ザ・スパロウズ時代およびステッペンウルフ時代初期のリードギタリストであったデニス・エドモントンによって制作された。デニスはソロ活動を行うためにステッペンウルフを脱退し、マーズ・ボンファイヤー(Mars Bonfire)名義で活動した。「ワイルドでいこう!」はチャート2位を記録した。この曲は、ロックの歌詞に「ヘビーメタル」という言葉を織り込んでいる(実際には、この言葉は音楽のジャンルではなくバイクを表している)。
この曲に続いていくつかのヒットソングが発表された。例を挙げると、セカンドアルバム『Steppenwolf The Second』収録の「マジック・カーペット・ライド」(チャート3位)、サードアルバム『At Your Birthday Party』収録の「ロック・ミー」(Rock Me, チャート10位)などである。2枚組アルバム『Steppenwolf Live』について、ジョン・ケイは自叙伝『Magic Carpet Ride』で個人的にこのアルバムが嫌いであると述べている。
ニクソン大統領時代のアメリカの政策を批判する作品である『Monster』と、『Steppenwolf 7』の2作品はバンドの最も政治色の強いアルバムである。
解散と再結成 [編集]
ステッペンウルフは1971年、同じく政治的コンセプトのアルバム『For Ladies Only』のリリース後、1972年のバレンタインデイに突然活動休止を発表。ケイはソロ活動に移行する(この活動は成功したものの、無節操なものであった)。1974年にはステッペンウルフが再結成されてアルバム『Slow Flux』をリリース、収録曲「ストレート・シューティン・ウーマン」(Straight Shooting Woman)が小規模なヒットを記録した後、1976年に再度解散。1977年から1980年にかけてはツアーのための再結成が行われ、かつてのメンバーであるニック・セント・ニコラス、ゴルディ・マックジョン、ケント・ヘンリー、ラシュトン・モーヴなどを起用したさまざまな形態で活動を行ったが、ケイ本人は参加しなかった。フィル・スペクターのプロデュースにより新しいスタジオ・アルバムが1978年に企画されたが、断念された。別のアルバム『The Night Of The Wolf』は1979年に録音が行われたものの、リリースされなかった。さらに3番目のアルバムが1980年に録音されたが、法的手段によって中止させられた。ケイの自叙伝によると、新たなステッペンウルフは結局元のバンドの殻に過ぎないと分かり、バンドの評判が低下してしまう原因となった。数件の訴訟が起こされ、バンドの名を守るためにジョン・ケイは1980年代初頭に新たな形態のステッペンウルフを結成し、ジョン・ケイ・アンド・ステッペンウルフ名義でツアー活動を行うようになった。2001年にはソロ・アルバムもリリースしている。
ディスコグラフィ [編集]
- Steppenwolf(1968年) - ゴールド認定
- Steppenwolf the Second(1968年) - ゴールド認定
- At Your Birthday Party(1969年) - ゴールド認定
- Early Steppenwolf(1969年のライブ・アルバム、ただし収録は1967年)
- Monster(1969年) - ゴールド認定
- Steppenwolf Live(1970年) - ゴールド認定
- Steppenwolf 7(1970年) - ゴールド認定
- For Ladies Only(1971年)
- Gold: Their Great Hits(1971年) コンピレーション・アルバム
- Rest In Peace(1972年) コンピレーション・アルバム
- 16 Greatest Hits(1973年) コンピレーション・アルバム
- Slow Flux(1974年)
- Hour of the Wolf(1975年)
- Skullduggery(1976年)
- The ABC Collection(1976年) コンピレーション・アルバム
- Reborn To Be Wild(1976年) コンピレーション・アルバム
- Live in London(1981年)
- Wolftracks(1982年)
- Paradox(1984年)
- Rock & Roll Rebels(1987年)
- Rise & Shine(1990年)
- Born To Be Wild - A Retrospective(1991年) コンピレーション・アルバム
- Live At 25(1995年)
- Feed The Fire(1996年)
- Summerdaze(1997年)
- All Time Greatest Hits(1999年) コンピレーション・アルバム
- The Millennium Collection(2000年) コンピレーション・アルバム
- Live In Louisville(2004年) DVD + CD
- Steppenwolf Gold(2005年) 2枚組コンピレーション・アルバム
- Live In London (2006年)