大阪外環状線

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大阪外環状線(おおさかそとかんじょうせん)は、大阪府が計画・事業化した都市計画道路・広域幹線道路のうちの一つで、現在は国道170号線のバイパス道路および国道171号線の一部区間として供用されている環状道路である。略称は「外環」(そとかん)。

大阪府内の外かく部を通り、大阪郊外の主要都市を結ぶ骨格的な環状道路軸である。国道171号と国道170号をまたいではいるものの、現実として両者の関連性は大きいとはいえない。また、1980年代以降は国道171号は外環と称することが少なくなっている。

なお、国道170号バイパスに平行する旧道を一般に「旧外環」「旧外」などと称することがあるが、「外環」はあくまでバイパス道路につけられた名称であるという観点からは必ずしも正しいとはいえない。

目次

[編集] 概要

日本の高度経済成長のさなかの1965年(昭和40年)、大阪府北部の千里丘陵において大阪万博が1970年(昭和45年)に開催されることが決定した。それに伴い、開催地までの交通アクセスの整備が求められるようになり、各方面の都市計画道路が早急に計画され、事業化された。 大阪府の外かく部を通る道路の整備も急がれ、とくに兵庫県内~大阪府北部~藤井寺市沢田(1969年3月21日開通の西名阪自動車道藤井寺I.C.の接点となる)の区間は早急に事業化され、万博が開幕された1970年3月14日までに供用が開始された。また、羽曳野市以北では淀川を水源とする府営水道の幹線水管を大阪外環状線の地下に敷設し、村野浄水場枚方市)から大阪府東・南部へ水道水を供給することにした。

河内長野市以西の区間について、計画決定自体は比較的早かったものの、その後、事業化がされないまま1982年にルートの見直しを含む計画の変更を行っている。 1984年、関西国際空港が泉州沖の大阪湾を埋め立てて建設されることが決定したため、南河内地区泉州地区・関西空港を結ぶ幹線道路として事業化され、1994年にようやく全線が供用された。 用地取得の最も遅い区間で1992年に取得しており、計画決定から全通するまでに時間がかかっている。

ほぼ全線4車線で計画されたものの、2008年現在、河内長野市小山田町~和泉市南面利(なめり)町、和泉市仏並町~岸和田市内畑町および熊取町から泉佐野市の末端にかけての区間は暫定2車線での供用となっている。 ごく一部の区間を除き拡張用地は確保済みであり、4車線化が進行中であるが、一部区間は4車線化の見通しさえ立っていない。国道1号枚方バイパス)分岐部北側の一部区間も2車線となっている。

国道170号国道171号にも記載されているが、とくに河内長野市以北の区間については、すでに交通容量が飽和状態にあり、慢性的な混雑と渋滞を引き起こしている。そのような状況を打破すべく、 都市計画道路 十三高槻線(大阪府道14号線バイパス)および 都市計画道路 大阪内陸都市環状線 が事業中および計画調査中である。 ただし前者は国道からは距離がかなり離れているため抜本的な解決となるかは不明。後者はほんの一部の区間が泉北1号線として供用されているものの、残りの区間は事業化される見通しも立っていない。

区間
新開橋交差点(起点) 新開橋交差点(起点) 新開橋交差点(起点)
新開橋交差点(起点)
上瓦屋交差点(終点)



距離
  • 約94.4km
計画幅員
  • 20m(4車線)

[編集] 事業名称

大阪外環状線自体は一つの事業として計画・建設されたわけではなく、いくつかの事業計画に基づいて建設され、途中の事業計画見直し等により、最終的に「都市計画道路 大阪外環状線」となった。

[編集] 開通年度

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[編集] 通過市町村・沿道施設

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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