下北山村

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しもきたやまむら
下北山村
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 奈良県
吉野郡
団体コード 29450-1
面積 133.53km²
総人口 979
推計人口、2012年2月1日)
人口密度 7.33人/km²
隣接自治体 吉野郡上北山村十津川村
三重県熊野市
和歌山県東牟婁郡北山村
村の木 トチノキ
村の花 カワツツジ
村の鳥 カワセミ
下北山村役場
所在地 639-3803
奈良県吉野郡下北山村大字寺垣内983
下北山村役場
外部リンク 下北山村オフィシャル

下北山村位置図(奈良県)

― 市 / ― 町・村
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下北山村(しもきたやまむら)は奈良県の南部に位置する

目次

[編集] 地理

[編集] 隣接する自治体

[編集] 歴史

北山郷の歴史 北山郷は昔から紀伊國牟妻郡に属し、その北部の山里であることから北山と呼ばれた。 吉野朝時代後醍醐天皇の皇子護良親王は、北条の難を避けて南都般若寺より十津川に入り、土豪戸野兵衛良忠とともに北山村に入られた。 その時、供奉の村上義光、平賀三郎、竹原八郎などと共に寺垣内恵日院で1ヶ月あまりを過ごしたあと吉野山へ入られた。 慶長19年10月、前鬼の五鬼継、河合の山室等は秀頼と家康との争乱による北山への運送途絶に憤り、郷中及び熊野の民をせん動していわゆる「北山一揆」を 企て、和歌山城を乗っ取らんとして先ず新宮城を狙った。しかし城主浅野右近は家臣に命じてこれを討たせ、大敗した。 この乱の折は、北山は全くの亡所となったのであるが徳川方の詮議の結果、一揆の余類のないことを認められて徳川方に属した。 文久3年8月天誅組が五条に兵を挙げ、9月19日十津川をへて笠捨を超え昼夜兼行して20日に寺垣内正法寺に着泊した。この勢60人、他に十津川人士30 人、人夫120人であった。 北山郷は古くから上組、下組に分かれていたが、明治22年の市町村制の実施と共に上組は上北山村、下組は下北山村になった。


[編集] 行政

  • 村長・上平一郎(2003年4月30日より)

[編集] 経済

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県南部の山間部に位置しているため交通も不便で経済活動は盛んではない。地元企業は温泉、ゴルフ場などの観光業や林業が中心にあるが公営企業の性質や補助金などによる活動が主である。最近は精密機器メーカーが地元に工場を設立した。IT企業を誘致したが23年に撤退した。


[編集] 産業

[編集] 金融機関

[編集] 農業協同組合(JAならけん)

  • 下北山支店(寺垣内)

なお、ショップしもきた(上池原)にJAバンクATMが設置されている。

[編集] 日本郵政グループ

※下北山村内の郵便番号は「639-38xx」(下北山集配センターの管轄)となっている。

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 国内

[編集] 地域

[編集] 人口

Demography29450.svg
下北山村と全国の年齢別人口分布(2005年) 下北山村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 下北山村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
下北山村(に該当する地域)の人口の推移
1970年 2,360人
1975年 2,051人
1980年 1,800人
1985年 1,589人
1990年 1,514人
1995年 1,370人
2000年 1,292人
2005年 1,212人
2010年 1,039人
総務省統計局 / 国勢調査

下北山村の人口

  • 人口増加率(2002年→2007年) : -5.6%

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

  • なし

[編集] バス

[編集] 道路

一般国道
一般県道
  • 奈良県道229号上池原下桑原線

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

池原集落

[編集] 温泉

  • きなりの湯[1]

[編集] 催事

  • さくら祭(4月)
  • 夏祭(8月中旬)
  • 山の音楽祭(9月)

[編集] 外部リンク

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