平野レミ

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平野レミ
生誕 1940年3月21日(69歳)
東京都荒川区三河島
職業 料理愛好家、タレントシャンソン歌手
配偶 和田誠
  

平野 レミ(ひらの れみ、1940年[1]3月21日 - )は、日本料理愛好家、タレントシャンソン歌手である。東京都荒川区三河島生まれ、千葉県松戸市で育つ。本名は和田伶美、旧姓平野。

目次

[編集] 人物

東京都荒川区三河島生まれ。第二次大戦中は2歳上の兄や2歳下の妹と共に山中湖畔の天使園というサレジオ会経営の児童養護施設に預けられ、ここで吃音症の子の真似をしているうちに自身も吃音症となってしまう[2]。天使園では体罰が横行していた上、粗悪な食事ばかり出されて栄養失調となったため、戦後に東京の実家へ戻され、1947年6月末から千葉県松戸市で育つ。

東京都立上野高等学校中退[3]後、文化学院在学中、佐藤美子シャンソンを学び、日航ミュージックサロンで歌手デビューする。コロムビアレコードから出した最初のシングルレコード『誘惑のバイヨン』がヒットしたが、プロダクションの意向でにっかつロマンポルノに出演させられそうになり、それを拒んだために仕事を干されてしまう[4]

やがてTBSラジオのディレクターから声がかかり[5]、TBSラジオ番組『キンキン・ケンケンのそれいけ歌謡曲』内のコーナー『ミュージック・キャラバン』で久米宏とコンビを組み活躍した(番組内で平野が叫んだ「男が出るか! 女が出るか!」は、当時話題を呼んだ)。その番組を聞いていた和田誠が平野に惚れ込んだことが縁で[6]、1972年和田と結婚した。

一時は育児・主婦業に専念していたが、両親が旨いもの好きという影響から家庭料理の研究にも力を入れるようになり、料理研究家ならぬ「料理愛好家」として再び表舞台で活躍しはじめた。 『きょうの料理』の「20分で夕御飯」では20分かけずに料理を作り終えてしまったため、余った時間でオリジナルソングを歌ったことがある。シャンソン歌手としても活動を続けている。番組で料理を作るときには、口癖の「そんでさ」「~だからさぁ」「あのね」などを連発し、あわただしく料理を作っているように見え(実際、手際は普通)モノマネをされるときはだいたい「適当に料理を作るキャラ」にされている(実際にX-GUNがものまねした時も、適当に料理を作るキャラだった)。

2007年公開のディズニー配給映画『レミーのおいしいレストラン』の日本でのプロモーションでは「料理親善大使」を務める。

父はフランス文学者平野威馬雄。夫はイラストレーター和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。祖父は日本美術史家で法律家ヘンリイ・パイク・ブイ

[編集] レミパン

レミパン(蒸気穴開放状態)

株式会社オダジマと共同開発した多機能「平野レミの鍋 ドゥ! レミ・パン」(以下「レミパン」)を使って料理をすることが多い。レミパンはフッ素樹脂加工された平底のアルミニウム鍋ないしは深いフライパンで、蓋に可変式の蒸気穴がある。蓋の取手は蓋立てとしても機能する。また、平野が審査員を務める料理コーナーの景品にレミパンをプレゼントすることがある。主なレミパン支持者にグッチ裕三がいる。累計販売個数が150万個となる。

[編集] メディア

[編集] 主な出演番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] CM

[編集] 主なレコード・CD

[編集] 主な著書など

  • 『平野レミ・料理大会』(1986年、講談社)
  • 『平野レミ・料理パレード』(1992年、講談社)
  • 『平野レミのエプロン手帖』(1995年、文化出版局)
  • 『平野レミのうまいもの教室』(1996年、日本放送出版協会)
  • 『笑顔がごちそう』(1997年、講談社)
  • 『平野レミの作って幸せ・食べて幸せ』(1998年、主婦の友社
  • 『平野レミのごちそうレシピ』(1999年、小学館
  • 『平野レミ・元気印のおかず屋さん』(1999年、文化出版局)
  • 『平野レミ・一見豪華ふう』(2000年、講談社
  • 『平野レミのなんてったって、うちのご飯がいちばん!』(2000年、講談社)
  • 『気まずい二人』(三谷幸喜との対談集・ゲストとして登場、角川文庫)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 公式プロフィールでは1947年生まれだが、平野威馬雄著『アウトロウ半歴史』pp.255-256(話の特集1978年)には「昭和21年ごろ(つまり終戦直後)に、5、6歳だった」「公表の年齢よりはるか上」との記述がある。
  2. ^ 平野威馬雄『アウトロウ半歴史』pp.237-257(話の特集1978年
  3. ^ 平野レミ『愛のオーロラ』(北欧社、1973年)
  4. ^ 『ド・レミの歌』p.38(中公文庫、1984年)
  5. ^ 『ド・レミの歌』p.39(中公文庫、1984年)によると、これはラジオのディレクターに配られていたレコード会社の新人宣伝書で平野レミと辺見マリの写真が入れ替わって刷られていたことが原因だったという。ディレクターとしては辺見マリと契約するつもりで平野と契約したのだった。
  6. ^ 初め和田は久米宏にレミの紹介を頼んだが、久米は「絶対、紹介しませんよ、あんな出歯! しようがないですよ!!」と真剣に断った。平野レミ『ド・レミの歌』(中公文庫1984年)の巻末に収録された黒柳徹子「レミちゃんのこと」p.215を参照。