山下勇三

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山下 勇三(やました ゆうぞう、1936年5月30日 - 2008年1月31日)は、グラフィックデザイナー広島県広島市観音(現・広島市西区)出身[1][2]

経歴[編集]

広島市立観音小学校[2]、山陽中学校(現・山陽高等学校[2]崇徳高等学校を経て[2]1960年多摩美術大学図案科卒業[2]ライトパブリシティに入社。和田誠は大学の同窓でデザイン会社も同僚の盟友[3]1963年に独立して「山下勇三事務所」を設立した。1969年矢崎泰久の推薦により、日本のタウン誌第一号と呼ばれる「新宿プレイマップ」のアートディレクターとなる[3]。「新宿PLAY MAP」というタイトルとロゴ文字を作成し、創刊号に斬新なイラストレーションの表紙画を書いた[3]。「新宿プレイマップ」は第3号で降板したが、「話の特集」では、井上ひさしが15年にわたって長期連載した小説「江戸紫絵巻源氏」のイラストレーションを担当したほか、同誌に30年間掲載された永六輔との「せきこえのどに浅田飴」の広告を手がけた。このほか、キユーピーパッケージ・広告デザイン、無印良品イラスト新聞小説児童書等の挿絵装幀などを手がけた。

また母校・多摩美術大学の講師を務めたほか、自動車レースにも出場した[3]

著作に「オジサンも考える」や「バイクは動くか?」、共著に「せきこえのどに六輔」がある。

2008年、上部消化管出血のため逝去、享年71。

1975年にラジオ番組で方言で曲を作る企画があり、山下が作詞してシングル盤として発売された「広島の川」を、2008年、山下の死後「山下勇三を囲む会」で中山千夏が歌ったところ、「この曲をもう一度広めよう」という声が上がりCDとして再発売されている[4]

弟は法学・政治学者の山下威士、 長女はイラストレーターの山下以登。

主な受賞歴[編集]

出典[編集]

  1. ^ 2008ヒロシマ
  2. ^ a b c d e 「短期集中新連載 【東京の中の郷土】(1) 広島県の巻 この30人の咲く花鳴く鳥そよぐ風 山下勇三」『週刊読売』1975年11月1日号、読売新聞社、40頁。 
  3. ^ a b c d #新宿119-133頁
  4. ^ asahi.com(朝日新聞社):「ピカドン川」の歌、33年ぶり原爆の日に再リリース
    中山千夏/広島の川

参考文献[編集]

  • 『新訂 現代日本人名録 2002 4.ひろ~わ』日外アソシエーツ、2002年
  • 本間健彦『60年代新宿アナザー・ストーリー タウン誌「新宿プレイマップ」極私的フィールド・ノート社会評論社、2013年6月。ISBN 9784877383527