寺田典城
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てらた すけしろ
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アメリカのイージス艦駆逐艦ステザム号のゴンザレス艦長の表敬訪問を受ける寺田典城。
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| 生年月日 | 1940年6月19日(71歳) |
| 出生地 | 秋田県大仙市 |
| 出身校 | 早稲田大学 |
| 所属政党 | (無所属→) みんなの党 |
| 親族 | 次男・寺田学(衆議院議員) |
| 公式サイト | 寺田典城(てらたすけしろ)公式サイト |
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| 選挙区 | 比例区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2010年7月26日 - 現職 |
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| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 1997年4月20日 - 2009年4月19日 |
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| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 1991年4月 - 1997年4月2日 |
寺田 典城(てらた すけしろ、1940年6月19日 ‐ )は、日本の政治家。みんなの党所属の参議院議員(1期)。旧姓は小原。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 略歴
秋田県仙北郡大川西根村(現大仙市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第二法学部卒業。横手市の寺田家に婿入りし、石油小売会社テラセキ・建設会社創和建設社長を務める。
1991年、横手市長選挙に出馬し、新人4人が立候補[1]する混戦を制して初当選を果たした。1995年には無投票で再選された。
1997年、佐々木喜久治秋田県知事が県庁食糧費問題の責任を取り、辞任。新進党の小沢一郎らの要請を受け、秋田県知事選挙に出馬する(県知事選出馬により市長を自動失職)。寺田は新進・社民・太陽・公明4党の推薦を受け、自由民主党推薦の佐竹敬久、旧民主党推薦の中島達郎、日本共産党推薦の斎藤重一の3人を破り、秋田県知事に初当選する(次点は佐竹)。
秋田県議会では自民党が第一党であり、非自民系の寺田は議会運営に腐心した。知事就任に伴い、佐々木前知事が務めていた秋田経済法科大学理事長に就任。2000年、佐々木満元総務庁長官に理事長職を一旦は譲ったが、佐々木の退任に伴い復帰。後に秋田経済法科大学長の稲田俊信に理事長職を兼任させた。
2001年の秋田県知事選挙では、自民・公明・保守3党が推薦する村岡兼幸(村岡兼造元内閣官房長官の長男)らを大差で破り、再選を果たした。
2005年の秋田県知事選挙では寺田に加え、前羽後町長の佐藤正一郎ら新人3人が共に寺田知事のトップダウン的な手法や秋田空港ターミナルビルの接待問題、市町村合併への対応、多選、県庁・県警・県教職員へのワークシェアリング・賃金カット、人件費削減等、8年間の寺田県政を批判して立候補したが、寺田が次点の佐藤に約10万票の大差をつけ、3選を果たした。
2008年12月、文部科学省が07・08両年度に実施した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の県内25市町村別の小中学校の成績を、全国で初めて公表した。
2009年の秋田県知事選挙には出馬せず、知事を退任(後任は元秋田市長の佐竹敬久)。
2010年、第22回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で比例区から出馬し、当選し、みんなの党政調副会長に就任。[2]。2011年3月31日に採決された子ども手当のつなぎ法案は党の方針に反して賛成票を投じて可決された。子ども手当のつなぎ法案に賛成票を投じたことにより、役職停止6ヶ月の処分を受ける。
[編集] 人物
[編集] 親族
[編集] 脚注
- ^ 現職の千田謙蔵市長は不出馬。
- ^ “比例選寺田前知事が初当選”. 読売新聞. (2010年7月13日) 2010年7月16日閲覧。
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