小池晃

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日本の政治家
小池晃
こいけ あきら
小池晃
生年月日 1960年6月9日(51歳)
出生地 東京都世田谷区
出身校 東北大学医学部
前職 医師
所属政党 日本共産党
称号 医学士
公式サイト 小池晃 Koike Akira

日本の旗 参議院議員
選挙区 比例区
当選回数 2回
任期 1998年7月 - 2010年7月
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小池 晃(こいけ あきら、1960年6月9日 - )は、日本政治家医師日本共産党中央委員会政策委員会責任者(政策委員長)、常任幹部会委員。

参議院議員(2期)、日本共産党参議院議員団長、参議院幹事長を務めた。

目次

[編集] 来歴

東京都世田谷区生まれ。東京教育大学附属駒場高等学校東北大学医学部卒業。大学在学中、全日本医学生自治会連合(医学連)副委員長、国際部長を務める。大学卒業後、健康文化会小豆沢病院、医療法人社団北病院を経て、1997年10月から代々木病院に勤務する。1998年全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)理事に就任。

1998年7月、第18回参議院議員通常選挙日本共産党公認で比例区から出馬し、初当選を果たした。2004年1月、日本共産党常任幹部会委員、政策委員会責任者(政策委員長)に就任。同年7月、第20回参議院議員通常選挙で再選。その後、党参議院幹事長に就任。2007年には、党参議院議員団長にも就任した。

2010年第22回参議院議員通常選挙には比例代表ではなく、東京都選挙区(定数5)から立候補する意向を表明。共産党は緒方靖夫の引退以来、衆参共に選挙区での議席を有しておらず、そのため緒方の選出選挙区であった東京都選挙区での議席を奪還するため、知名度の高い小池が選挙区に回ったが(当初、東京都選挙区からの出馬を予定していた田村智子が比例代表に鞍替えした)[1][2]タリーズコーヒージャパン創業者でみんなの党公認の松田公太に約10万票及ばず、次点(6位)で落選し、議席奪還は果たせなかった。逆に田村智子は比例代表で当選している。

なお小池の立候補表明に際し、超党派革新無党派市民を中心に「小池晃さんを応援する市民勝手連Q」が立ち上げられた。これは同選挙区において、他に護憲派有力候補がいなかったことが背景にある(ただし、社会民主党は独自候補を擁立した)。

2011年2月、2011年東京都知事選挙革新都政をつくる会から要請を受け、同会を選挙母体とする無所属日本共産党推薦)で立候補したが、4選をめざした現職石原慎太郎、前宮崎県知事・東国原英夫ワタミ前会長・渡邉美樹(いずれも無所属)に次ぐ4位で落選[3]。得票数は623,913票、得票率は10.4%であったため、供託金の没収は免れた。

[編集] 政策・主張

  • 医師の経験を生かし、医療・福祉分野での活動を積極的に行なっている。介護保険制度を利用する人たちの要介護度が不当に低く認定されるように厚生労働省が誘導しているのではないかと、同省の内部文書を示して政府を追及した。
  • 2003年静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[4]
  • 児童ポルノについて日本ユニセフ協会のメンバーと懇談した際に「現状は放置できないひどい実態」「みなさんの要望をしっかりと受け止める」とコメントしている[5]。同時に、共産党は児童ポルノ単純所持の違法化については反対の意志を表明している[6]
  • 2010年に大きな波紋を呼んだ東京都青少年健全育成条例改正問題について、「表現の自由の否定だ」として、改正された条例とこれを推進した石原慎太郎東京都知事を批判している[7]。都知事選出馬を表明した際、当選した場合は条例の改正部分は廃止する考えを示した。

[編集] 人物

[編集] 所属団体・議員連盟

[編集] 著書

この他、全日本民医連の月刊機関誌「いつでも元気」(保健医療研究所発行)に「Dr.小池の国会奮戦記」という連載ページを持っている。

[編集] 関連項目

[編集] 出演

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

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