日本民主青年同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
日本民主青年同盟
民主青年会館(千駄ヶ谷)
略称 民青同盟、民青、民青同
設立年 1923年4月5日
種類 青年組織
地位 任意団体
本部 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-20-2
位置 科学的社会主義平和主義
メンバー 約2万人[1]
主要機関 中央委員会、中央常任委員会、都道府県委員会、地区委員会
関連組織 日本共産党全日本学生自治会総連合平和・民主・革新の日本をめざす全国の会
ウェブサイト http://www.dylj.or.jp
テンプレートを表示

日本民主青年同盟(にほんみんしゅせいねんどうめい)は、日本共産党[2][3][4]の日本の青年組織。略称は、民青同盟(みんせいどうめい)、民青(みんせい)[5]。なお、「民青同」(みんせいどう)という略称は、主に警察公安調査庁保守メディアが使用する。

概要[編集]

「日本民主青年同盟の目的」には次のように書かれている。

民青同盟は、「青年の切実な要求に応え、生活の向上、平和、独立、民主主義、社会進歩を目指す自主的な青年組織です。」「日本共産党を相談相手とし、援助を受けて、科学的社会主義と日本共産党綱領を学び、自然や社会、文化について広く学んで人間性を育み、社会の担い手として成長することを目指します。 」[5]

現在の主な活動は、平和運動、学費値上げ反対運動、各種署名活動やボランティア活動、学習会、同世代の交流と連帯などである[6][7]

沿革[編集]

1923年4月5日に設立された日本共産青年同盟(共青)が民青の前身である[5]。共青は、天皇を中心とした戦前の日本で、満18歳以上の男女の選挙権、被選挙権」、「同一労働同一賃金」、「天皇制打倒」、侵略戦争と軍国主義反対を掲げ、弾圧された[8]川合義虎高島満兎[9]飯島喜美[10]など捕らえられて殺害された同盟員もいた。

戦後は日本青年共産同盟(青共)として発足。その後、日本民主青年団(民青団)と改称し、一旦科学的社会主義の放棄を行なったが、日本民主青年同盟への改称と共に科学的社会主義の路線が復活。1960年の第6回全国大会で民青は「青年同盟の呼びかけ」と「規約」を採択し、現在の組織の性格を確立した[11]。「基本的任務と性格」は「日本共産党のみちびきをうけ科学的社会主義と党綱領を学ぶ」[12][13][14]とされ、党の指導を受ける事が明確化されたが、この表現は1980年代以降に「日本共産党に相談する」と変更された。

ソビエト連邦共産党中国共産党などと日本共産党の対立が激化した際には、「日本の運動に干渉を加えてきた時期があったが、干渉をはねのけた」としている[5]

1969年を頂点とした学生運動の昂揚期には、当時の学生の間で大きな力を持っていた全共闘などの反代々木派学生や新左翼諸セクトを「トロツキスト」と批判し、激しく対立した。黄色いヘルメットと「民主化棒」と称するゲバ棒で武装した民青の防衛隊は「あかつき行動隊」と呼ばれ、数千人規模の全共闘を数百人の部隊で圧倒することもあった[15]。1967年の善隣学生会館事件では中国共産党政府の主張をする在日華僑学生やその支援者などとの間に流血事件を起こしている。一方で、民社党系の「若い根っこの会」のような交流サークルの一面も併せ持ち、交流会や旅行などの企画を行なっていた。また、関連団体の中央合唱団日本のうたごえ全国協議会などを通じてうたごえ運動を主導した。その事から、新左翼からは「歌って踊って日共民青」と揶揄される事もあった。

最盛期の1970年には同盟員数は約20万人を数えた(名古屋大学生総数4,000人中1,000人、東北大8,000人中1,000人、岩手大3,000人中1,000人、京大、立命四桁、東大600、早大、法政、中央数百)。近年は毎年同盟員数を減少させながら[16]2万人程度で推移しており[17][18]、2010年のパンフレットでも「高校生から社会人まで全国に2万人」としている[19]

沖縄返還を機に1972年5月28日沖縄民青同盟が合流、日本民主青年同盟沖縄県委員会となった[20]

歴代の大会・代表者は以下のとおり。

  • 1951年5月5日 日本民主青年団(民青団)第1回全国大会
  • 1953年9月20-22日 民青団第2回建団全国大会
  • 1954年4月2-3日 民青団第3回躍進全国大会
  • 1955年5月4-6日 民青団第4回全国大会
  • 1956年11月23-25日 民青団第5回全国大会 日本民主青年同盟(民青同盟)に改称
  • 1960年6月25-27日 日本民主青年同盟第6回全国大会 書記長前田稔
  • 1961年6月4-6日 第7回全国大会
  • 1963年1月25-27日 第8回全国大会 書記長土屋善夫
  • 1965年2月28日-3月2日 第9回全国大会
  • 1967年9月16-18日 第10回全国大会 委員長吉村金之助
  • 1969年11月26-28日 第11回全国大会 委員長吉村金之助
  • 1972年9月27-29日 第12回全国大会 委員長浦田宣昭
  • 1974年2月24-26日 第13回全国大会 委員長浦田宣昭
  • 1976年3月24-27日 第14回全国大会 委員長福重泰次郎
  • 1978年2月23-25日 第15回全国大会 委員長福重泰次郎
  • 1980年4月10-13日 第16回全国大会 委員長福重泰次郎
  • 1982年5月15-18日 第17回全国大会 委員長大幡基夫、書記長金子邦彦
  • 1984年7月26-29日 第18回全国大会 委員長大幡基夫
  • 1986年11月21-24日 第19回全国大会 委員長中村正男、書記長和田一男[21]
  • 1994年4月 第22回全国大会 委員長川田忠明
  • 2002年11月22-24日 第30回全国大会 委員長姫井二郎
  • 2004年2月13-15日 第31回全国大会 委員長姫井二郎
  • 2005年11月 第32回全国大会
  • 2007年11月23-25日 第33回全国大会 委員長田中悠
  • 2009年11月21-23日 第34回全国大会 委員長田中悠
  • 2011年11月18-20日 第35回全国大会 委員長田中悠
  • 2012年11月23-25日 第36回全国大会 委員長田中悠[22]
  • 2013年11月22-24日 第37回全国大会 委員長田中悠[23]

中央機関紙[編集]

中央機関紙として、青年向けの『民主青年新聞』を発行している。

民主青年新聞
青年・学生・高校生にむけて発行。時事解説、政治・社会学習、文化・社会運動など。隔週刊(隔週月曜日発行、かつては週刊)。タブロイド判12ページ。購読料:680円(月額)。えびはら武司の漫画が連載されていた事もある。
1950年6月15日、民青団中央団報『プロレタリアの若き戦士』として創刊。10日刊、タブロイド版2ページであった[24]1952年1月1日、民青団中央機関紙『若き戦士』に改題[25]1956年3月15日、民青団中央機関紙『民主青年新聞』に改題された[26]

また、かつては「われら高校生」(隔週刊、それ以前は週刊)、「同盟活動」(週刊)、「青年運動」(月刊)を発行していたが、読者数の減少により廃刊となった。「青年運動」は全国大会が開催されるたびに臨時増刊され、全国大会の諸決議や中央役員や全国大会での発言などが掲載されていた。

同盟員[編集]

民青同盟の規約で、「民青同盟の目的と規約をみとめ、同盟費をおさめ、民青同盟の一定の組織にはいって学び活動しようとする15歳から原則として30歳までの日本青年は同盟員になることができる。」(第1条)としている。基礎組織(班)での加盟決定と上級機関の確認を経て、加盟できる。運営資金は、同盟員や読者が払う同盟費(一般月額550円、高校生月額250円、減免制度あり)と機関紙代、個人からの募金によりまかなわれている[5]

年齢上限は弾力的に運用されており、30歳以上でも在籍している同盟員もいる。当初は28歳までとされていたが、後に世代交代を促すため25歳に引き下げた。2012年より上限が30歳まで引き上げられた。

組織[編集]

各都道府県に都道府県委員会があり、全国大会を毎年開催している[5]。全国大会はかつては2~3年ごとの開催であったが、中央委員(中央常任委員と都道府県委員長がほとんどである)の交替の促進などから毎年開催にかわった。

日本共産党との関係[編集]

民青の組織化には日本共産党も協力している[27]。ただし、同盟員の資格は、日本共産党の党員資格とは完全に別のものであり、組織的にも同党の青年組織とは異なる[5]

民青同盟員で、なおかつ日本共産党員である者は、党費から同盟費を割り引いて減額する制度がある。

出身者[編集]

国会議員[編集]

民青出身の国会議員を記す。左から名前 - 民青時代の役職/国会議員としての所属政党

現職
  • 井上哲士 - 京大地区委員長/日本共産党
  • 笠井亮 - 中央委員会国際部長/日本共産党
  • 紙智子 - 中央委員会副委員長/日本共産党
  • 塩川鉄也 - 埼玉西南地区委員長/日本共産党
  • 田村智子 - 中央委員会常任委員・「民主青年新聞」編集長/日本共産党
  • 宮本岳志 - 中央委員・大阪府委員長/日本共産党
  • 山下芳生 - 北河内地区委員長・大阪府副委員長/日本共産党
前・元議員

参考文献[編集]

  • 日本民主青年同盟中央委員会 『日本民主青年同盟の70年』 日本民主青年同盟中央委員会、1996年
  • 日本共産党中央委員会編 『日本共産党の八十年-1922~2002』 日本共産党中央委員会出版局、2003年、ISBN 4530043932
  • 日本民主青年同盟中央委員会 『ソ連の覇権主義との民青同盟の闘争』日本民主青年同盟出版事業部、1991年
  • 日本民主青年同盟中央委員会『写真集 青年同盟65年のあゆみ 反戦平和、青年の要求実現、政治革新の旗かかげて』日本民主青年同盟中央委員会、1988年4月

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 「民青同盟って?」(民青同盟のホームページより)[リンク切れ]
  2. ^ 「日本の高等教育政策: 決定のメカニズム」(T.J.ペンペル、玉川大学出版部、2004年、p168)
  3. ^ 「国內公安情勢について:青年学生運動の流れとその背景」(法務総合研究所、1979年、p67)
  4. ^ 「昭和史」(中村隆英、東洋経済新報社、2012年、)
  5. ^ a b c d e f g 「民青の目的・規約・大会決定」(民青同盟ホームページ)
  6. ^ 「何かしたい思いをカタチに」(民青同盟ホームページ)
  7. ^ 「社会のしくみにせまる学び」(民青同盟ホームページ)
  8. ^ 『日本民主青年同盟はどういう組織か』 日本民主青年同盟中央委員会、1986年、10頁。
  9. ^ 反戦平和の信念を貫いた共産党員、高島満兎とは?(しんぶん赤旗、2005年8月20日)
  10. ^ コンパクトに「闘争・死」と刻み 獄死した飯島喜美とは?(しんぶん赤旗、2005年8月18日)
  11. ^ 『日本民主青年同盟はどういう組織か』、12頁。
  12. ^ 「民青同盟の活動と主張」日本民主青年同盟中央委員会(1984年、p71)
  13. ^ 「青年学生運動と日本共産党」日本共産党 中央委員会(1973年、159p)
  14. ^ 「前衛 第 571~574 巻」日本共産党 中央委員会(1989年、p182)
  15. ^ 産経新聞取材班著『総括せよ! さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか』産経新聞出版、2009年11月
  16. ^ 『日本民主青年同盟第34回全国大会決定集』
  17. ^ 第27回全国大会報告(1999年11月)
  18. ^ 別冊宝島編集部編著『日本を牛耳る巨大組織の虚と実』宝島社(宝島SUGOI文庫)、2008年6月
  19. ^ あなたも民青同盟へ - 民青同盟[リンク切れ]
  20. ^ 『写真集 青年同盟65年のあゆみ』p.157
  21. ^ 『写真集 青年同盟65年のあゆみ』pp.141-175
  22. ^ “願い掲げ社会変える流れを 民青全国大会が閉会”. しんぶん赤旗 (日本共産党中央委員会). (2012年11月26日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-26/2012112604_01_1.html 2014年9月14日閲覧。 
  23. ^ “青年に心強い民青に 全国大会がおわる”. しんぶん赤旗 (日本共産党中央委員会). (2013年11月25日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110809/chn11080921220006-n1.htm 2014年9月14日閲覧。 
  24. ^ 『写真集 青年同盟65年のあゆみ』p.141
  25. ^ 『写真集 青年同盟65年のあゆみ』p.142
  26. ^ 『写真集 青年同盟65年のあゆみ』p.143
  27. ^ 「若い世代のなかでの活動、とくに民青同盟への援助の抜本的強化」「民青同盟の強化のために、全党的なとりくみをよびかける」(2008年7月11日、日本共産党第24回大会期第6回中央委員会総会への幹部会報告)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]