日本共産党(左派)

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日本共産党(左派)
設立年 1966年(昭和41年)
本部 日本の旗 日本 山口県下関市上田中町3-3-28 
位置 左翼
社会主義
共産主義
毛沢東思想
左翼ナショナリズム
反米主義
親中主義
公用語 日本語
重要人物 森脇保寺尾五郎
設立者 初代中央委員会議長:福田正義
ウェブサイト 人民の星社
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日本共産党(左派)(にほんきょうさんとう さは)は、日本左翼組織の一つ。日本共産党から除名された福田正義らが1969年11月に結成した。親中国系である。「日共左派」、「人民の星派」ともいう。主に山口県で活動する。結党時の政治報告に「反米帝・反売国の愛国正義」を掲げる[1]など、左翼ナショナリズム色が強い傾向にある。

概要[編集]

1966年9月に日本共産党山口県委員会は、中国に従って分派活動をおこなった福田正義らを除名した。除名後、福田らは「日本共産党山口県委員会(左派)」と称した。1969年11月、福田らは「日本共産党(左派)第一回全国大会」を開催し、「一九二二年以来の日本共産党の革命的伝統を継承する唯一の組織」[2]と称し、以後、「日本共産党(左派)中央委員会」と名乗っている。

山口県に拠点を置き、毛沢東主義の立場から、中国共産党長征になぞらえて山口県を「日本の延安」と捉えていた[3]。概して新左翼学生運動には好意的だったが、連合赤軍は批判していた[4]。1971年9月20日に議長の福田が訪中した際には、周恩来首相に「日本の真の革命政党の代表」と持ち上げられた[5]。その後、中華人民共和国アメリカ合衆国と関係を改善すると、さらに急進的な共産主義国家だったアルバニア派(ホッジャ主義)に転向した後、再び毛沢東主義へと戻っている。現在ではフィリピン共産党シソン派など他国の毛沢東主義派グループと国際的な関係を持っている。

ゆとり教育と「個性重視教育」が「凶暴な攻撃的個人主義」を育てているとみなす観点から体罰を肯定的に捉えるなど[6]、他の左翼とはかなり違う主張を行う。

「原爆と戦争展」を各地で開催し、その際、反米右翼と共同することがある。原爆記念日においては、独自の集会及びデモ行進を行なっている。

思想[編集]

1969年11月30日に採択された第一回全国大会の政治報告では、明治維新以後の戦前の日本は絶対主義天皇制帝国主義国家であり、1945年の敗戦後の日本はアメリカ帝国主義に従属し、アメリカ資本と国内の独占ブルジョワジーによって政治、経済的に支配されている独占資本主義の従属国だと規定した[1]。その観点から「売国反動派」のブルジョワジーを批判し、日本人民のアメリカ帝国主義と国内の反動派との闘争を重視している[1]。また、ソビエト連邦修正主義社会帝国主義であると批判し、トロツキズム日本共産党修正主義マルクス=レーニン主義毛沢東思想に敵対するアメリカ帝国主義の手先だと断じている[1]。そして、アメリカ帝国主義と独占売国ブルジョワジー双方に反対する、プロレタリア社会主義世界革命の一環としての「反米帝・反売国の愛国正義」の日本革命を訴えた[1]

略歴[編集]

機関紙誌[編集]

他に関連紙として『長周新聞』(長周新聞社)がある。

関連組織・団体[編集]

  • 人民の星社 - 公然拠点
  • 日本共産主義青年同盟(現在活動停止状態にあるものと推測される。)

選挙闘争[編集]

  • 国政選挙
    • 1990年2月 衆議院議員選挙(山口1区)に守田茂子を無所属で擁立、落選。
  • 下関市議会議員選挙


関連文献[編集]

  • 『自主独立の旗のもとに - 山口県における毛沢東盲従反党分派との闘争二十五周年にあたっての思い出』 (記録集刊行委員会編 日本共産党(山口県小郡町)1991年9月)

脚註[編集]

外部リンク[編集]