北山村

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きたやまむら
北山村
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 和歌山県
東牟婁郡
団体コード 30427-1
面積 48.21 km²
総人口 440
推計人口、2014年10月1日)
人口密度 9.13人/km²
隣接自治体 奈良県吉野郡下北山村十津川村
三重県熊野市
村の木 ジャバラ
村の花 シャクナゲ
北山村役場
村長 奥田貢
所在地 647-1603
和歌山県東牟婁郡北山村大沼42
北緯33度55分55.4秒東経135度58分9.1秒
北山村役場
外部リンク 北山村

北山村位置図

― 市 / ― 町・村

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北山川中流部分

北山村(きたやまむら)は、和歌山県東牟婁郡である。和歌山県に属しながら、周囲を奈良県三重県に囲まれており、市町村単位の飛地がそのまま領域になっている、日本では唯一の自治体である。紀伊半島南部の山間部に位置している。

平成の大合併で他の村が消滅した結果、和歌山県で唯一の村となった。

離島を除くと、高知県土佐郡大川村に次いで人口の少ない村である。

地理[編集]

紀伊半島南部の山間部に位置している。その村域の約97%が山林地帯であり、三重県熊野市との境を流れる北山川沿いにある村の南端部分に小さな集落が点在する。

人口[編集]

Demography30427.svg
北山村と全国の年齢別人口分布(2005年) 北山村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 北山村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
北山村(に相当する地域)の人口の推移
1970年 1,135人
1975年 1,015人
1980年 790人
1985年 686人
1990年 613人
1995年 593人
2000年 635人
2005年 570人
2010年 486人
総務省統計局 国勢調査より

歴史[編集]

古来よりこの辺りで木材を切り出し、北山川に流して下流の新宮で商人がそれを受け取り売るという形態でこの辺りの人々の暮らしが成り立っており、新宮との結びつきが強く江戸時代にはこの地域は紀州藩新宮領に属していた。廃藩置県で新宮が和歌山県に入ると、この村は新宮との結びつきの強さゆえに和歌山に入ることを望み、それが叶った結果、飛び地村が出来た。1889年明治22年)に自治体として発足して以来この村に合併などは一切なく、飛び地ゆえに人口が少なくとも一村を維持してきた。

筏は大台ケ原方面から新宮まで北山川を流し運ばれ、北山村大沼付近が中継点となっていた。上流の筏師はここから引き返し、下流は北山村の筏師が引き継ぎ、夏場は2日程度、冬場は3日程度かけて新宮まで材木を運搬していた。北山川でも北山村から瀞峡付近までが最大の難所とされた。現在の北山川観光筏下りの最初の瀬であるオトノリはかつて弟乗りといわれ、後継ぎの長男は乗らないといわれた逸話がある。ここを乗り切る北山村の筏師の櫂さばきは筏師の華とされていた。北山川の筏師の技術は国外でも評価され、鴨緑江まで請われ出稼ぎに行った話も伝えられており、鴨緑江では馬賊に襲われたことがあるといわれている。命がけで材木を新宮港まで運ぶ筏師は非常に高収入だったといわれ、新宮まで下ると高額な報酬を手にすることができたが、新宮で豪快に遊んで帰ったため資産は蓄えなかったともいわれている。しかし、食糧難だった当時、宿泊する宿では食料を持参してくるため、筏師は大喜びで迎えられたようである。

昭和40年代に入りダムが建設され、筏師は姿を消したが、昭和54年に北山川観光筏下りとして筏流しが復活し、当時の筏師が復帰、再び活躍の場が与えられた。

ダム建設により、熊野市までの道路が整備され、現在はむしろ三重県の熊野市などとの結びつきが強くなった。三重県の市町村との合併により和歌山県の飛び地でなくなろうという動きも見られたが、住民投票の結果和歌山県に残った。2005年に多く行われた市町村合併のときは、新宮市に合併する具体案があったが、直前に中止になった。

沿革[編集]

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、大沼村・下尾井村・小松村・竹原村・七色村の区域をもって発足。

行政[編集]

議会[編集]

北山村議会[編集]

  • 定数 - 6人

地域[編集]

大沼地区、下尾井地区、竹原地区、七色地区、小松地区に分かれていて各地区を北山川に沿って国道169号が結んでいる。以下各地区について詳述する。

大沼(おおぬま)
村南部に位置する北山村の中心集落で北山村の役場・郵便局・農協もある。大沼はさらに大沼六水(ろくみぞ)に分かれるが、人家の大半は大沼のほうにある。大沼は北山川が大きく曲がる部分の内側にできた平坦地に位置しており、地区を国道169号が東西に走っている。国道沿いには商店や旅館なども存在し北山村立北山小学校もある。六水は山の斜面にある集落で大沼の東部にある集落である。北山村立北山中学校がある。
下尾井(しもおい)
村南部にある。北山村では大沼と並び大きな集落となっており、大沼とあわせると北山村の人口のうちほとんどが居住していることになる。下尾井はさらに下尾井瀬戸(せと)、木屋(こうや)に分かれるが、人家の大半は下尾井にある。北山川の作った大沼よりも大きな平坦地にこの下尾井は位置しており、北山村では本当に見ることの少ない水田も見られる。下尾井遺跡、道の駅おくとろの所在地。国道169号が通る。
竹原(たけはら)
村東部に位置する。この集落も北山川の作った平坦地に位置する。竹原はさらに竹原相須(あいす)に分かれるが、人家の大半は竹原の方にある。北山川を挟んで三重県熊野市神川町は花知集落と向かい合っており、奥瀞橋で両者は結ばれている。この集落にも国道169号が走っており、国道沿いに竹原は開けている。
七色(なないろ)
村の東端に位置する山の斜面にある集落である。七色はさらに七色(わたし)に分かれるが、七色のほうが人家は多い。七色は竹原に近い集落なのに対し、渡は七色ダムにも近い、文字通りの東端の集落である。国道169号が通る。
小松(こまつ)
村の西端にある。国道169号が通り同道の小松トンネルで奈良県十津川村の東野集落と結ばれており、その先新宮方面に道は伸びている。国道から集落までは離れており、細い道で連絡しているが、国道の開通前は小松橋という小さな橋で北山川を渡り川畑川に沿って現在の三重県熊野市の長尾方面に出るしか、この集落から車によって外に出る手段はなかった。小松は北山川の削ったわずかな傾斜面にある集落で、戸数は10戸未満といたって少なく、その住民はほとんどが林業に従事している。

経済[編集]

じゃばら

農業[編集]

じゃばら
ゆずカボスのような高酸柑橘で、福田国三により種苗登録された北山村特産の柑橘。世界でも北山村でしか生産されておらず、生産量は世界一。
1975年当時は北山村を救う産物になりうると福田と村が協力し特産品化に努めたが、思うように需要が伸びず、毎年赤字を重ねるお荷物産業となっていた。合併が現実化するなか、村は最後の手段として2001年1月に楽天市場に出店。出店後、かねてから噂のあった「じゃばらが花粉症に効く」ことを検証するため、ネット上で花粉症効用調査1000人モニターを実施。数日で10000人を超えるモニターの申し込みがあった。このモニター調査の結果で47%の人から効果があったと報告があり、じゃばらの需要が伸びるきっかけとなった。花粉症効果で2000年度まで2500万円前後の年間売上が、2001年度で5000万円、2002年度で1億円、2005年度には2億2000万円と2億円を突破し、村の基幹産業として成長を遂げている。

教育[編集]

1980年代初頭に村内では小中学校の統合が進められた結果、小学校が村立北山小学校、中学校が村立北山中学校だけになり、高等学校および大学などはなく、小中学校を合わせても2校だけになった。なお、北山小学校と北山中学校は同敷地内に併設されている。

中学校[編集]

小学校[編集]

交通[編集]

道路[編集]

路線バス[編集]

警察[編集]

観光[編集]

道の駅おくとろ

かつて北山川上流のこの地から木材をで流して下流の町に運んでいたことにちなんだ北山川の観光筏下りも知られる。

その他[編集]

村ぶろ[編集]

外部リンク[編集]